久々に、サッカーの話でも。


サッカーの話って、試合の度に、むしろ試合がないときでも、
凡百の『自称:解説者』がしているわけなので、
まぁ今さら言う必要はないのだけど、
イマイチ盛り上がらないまま終えた(個人的には結構面白かった)
アンゴラ戦を見ていて思うことがあって何となく。

基本的に、この手の話はどこに視点を置いて喋るかによって全く違ってくるので
とりあえず何か一つのことを認めるという過程から出発するのが分かりやすいと思う。


良く言われる、決定力不足。
この問題は深刻且つ、解消すべき問題ではあるけれども、
解決はそう簡単ではない。
むしろ、単純すぎるのかもしれない、
例えば、卓越した一人のストライカーが出てくれば、それで解決してしまうのかもしれない。

でも、実際問題、誰か優れたプレイヤーを待つ、というのは現実的ではないし、
逆に言えば、そのひとりがいない限り、本質的には解決しない。


だから、この問題はここでは諦めてしまおう。


つまりこういうことだ、30本シュートを打って、点が入らなかったとする。
それに対して、決定力不足だ、と嘆くのではなく、
50本打てば良かったと解釈する。

もちろん、決定力が高いに越したことはないが、
確率が低いのであれば、母数を増やすしかない。
となると、現状で、日本が取るべき戦略は、
如何にチャンスを多く作るか、と言うことになる。


このことは、実はあんまり世界のクラブサッカーの流行には即していない。
チェルシーなどの例を挙げるまでもなく、
現在の世界を席巻しているスタイルは、『攻撃的なカウンターサッカー』だ。
パスで守備を崩す手間すら省く。
そして、点を与えず且つ、決定的な点を取る。

が、日本はそれを効率的に行うのがどうやら苦手だ。
決定力はあくまで確率論であるので、
それが一回目に来て、成功することもある(格上とやるときなど)、
でもそれは、カウンターサッカーではなく、
あくまで普段の延長線上でしかない。


日本が生き延びる道は結局は、
中盤(センターラインよりも後ろ)の支配、そして、重要なのはバックラインだ。
相手の攻撃機会を、玉際だけでなく、スペースの支配でも摘むこと。

比較的保守的な宮本の指揮のせいなのか、
日本の中盤とバックスの間には、たびたびスペースが生まれる。
そこを突かれて失点というパターンが最も多い。

そうではなく、本来は、そこを抑えてボールを奪い、
攻撃機会を増やさなくてはいけない。

良く、高い位置で中田、中村がボールを持てるようにというのだが、
もしかすると、それすら不可能かもしれない。
中盤はもっとも人の集中する領域だし、
元々2人にはマンマークが付くことも多い。
だから、サイドアタッカー(小野やサントス)や、
3人目の司令塔(松井や小笠原)が重要になる。

でもそれも、ベッカムのような決定的な仕事ではなく、
ワンクッションまたは、チャンスメイクのためのセンタリング。
日本には、屈強なDFに対抗できるFWは残念ながらいない。
身体能力で振り切れるFWも今はいない。
ということは、エリア外から詰める(飛び込む)、
または、ラストパスを送る必要がある。


中田、中村は稀代のパッサーだが、
役割は、いわゆるラストパスではないと思う。

今日の得点シーンは、リスタートでまだ体制が整っていないところから、
柳沢へのパス、折り返しを松井が押し込んだ。
中田、中村に求められるのは、アシストではなくて、
むしろ、展開のための精度の高いパス。

だとすれば、高い位置で彼らが組み立てる必要もないわけで。
ゴールから遠い位置でボールを持っても、
それを捌くクリティカルなスペースが、サイド、または敵陣のギャップに在ればいい。
そこに、誰が、侵入できるかの方がよっぽど重要だ。
その誰かがそこで組み立てられれば、それはチャンスとなりうるし、
高い位置まで運んで組み立てるよりも、
多くの機会を得られる。


そういう意味で、今年のサントスには不満が残る。
彼にはイマジネーションがない。
点を取るためだけのセンタリングでは、日本は点を取れない。
(Jリーグでは点が取れたとしても)

小笠原も同じ。
小笠原は良い選手だが、前線での組み立てに向いていない。
中田のスケールダウンバージョンでは、役に立たない。

司令塔というのは、排他的ではなく、
常に、共存でき、互いに相手を使えるようでなくては、いけないのではないか?
中田、中村、小野を共存させたジーコの戦略には、
賛否両論あるけれども、
そういう意味では、意義のある戦術だったかもしれない、と思い始めている。
少なくとも、小野には、指令を受けた上で、
さらに司令塔となれる能力があると思う。
(中田、中村が上手く行くようになったのも、その辺りの意識の変化ではないだろうか?)


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決定力は上がらない。
だから、そこを責めるのはよそう。
でも、それを認識するところから、目指す方向は見えるはずだ。