本年もお世話になりました。

ということで、今年も残すところ約1日となりました。 いやー2009年も色々ありましたなぁ。 なかなかみんなで振り返る機会もないのであれですけれども。 そうそう、明日31日の予定は、

  • お仕事
  • メトロに遊びに行ってカウントダウン
  • 2時頃ウェラーズに移動
  • 3時頃からDJ
  • そのうち寝る
という日程になっておりやす。 お会いしましたら、一緒に乾杯しましょー あ、ヘパリーゼ買わな。 というわけで、良いお年を! isでした。

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京都府は気が早い

昨日、ポストに入っていた「きょうと府民だより 1月号」。 1面は「知事年頭あいさつ」と題して、「府民の皆様、明けましておめでとうございます。」で始まる 山田啓三府知事の新年の抱負が載せられていましたが……ちょっと気が早いんじゃないかって言う気が。 「1日発行」でも期日の問題で年内に配布しなくちゃいけないっていう事情は分かるけども、 まだまだ新年まで日のある暮れに新年の挨拶をされても。 そのへんがお役所仕事とか言われちゃう所以じゃないんですかね… もうちょっと考えろよ、と、思いましたです。 これが新年の分厚い朝刊と一緒に各家庭に配布されてたら、もう少し人の心を打つんでしょうけどね。。 所詮そんなもんでしょうかね。

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会話の比率とテレビ。

家でする会話の大体5割くらいは今日気がついたこととか、お互いの仕事の話とか。 2割くらいが友達の話とか家族の話とか。 で、残った3割は大体、今日Webで見かけたネタとか、可愛い犬とかそんな話。 僕らは家で1秒もテレビを見ないので(2009年に僕が見たテレビ番組は、WBCと録画済みの徹子の部屋と清志郎の特集くらいで全部で10時間もない)、多分普通の家で「テレビを見ながら」とか「今日見たテレビ番組」とか「芸能人の話」とか言うヤツが、Webの話になってたり、その他の会話になってたりするんだろうなぁと思う。「テレビ見なかったら話すことがない」って言う人がいたけど、そんなこと無いよ。全然無いよ。 ちなみに「テレビをなんで見ないのか?」の答えは「ただなんとなく」以上のものはなくて、一般的に言われてるような質の低下とか、実はあんまりよくわからなかったりする(*)。質の推移がわかるほどテレビ見てないんだもんなー。だから、「テレビがつまらなくなった」というのはどうやらそうらしいっていう知識としてはあるんだけども、「最近つまらない」とか「質が落ちてる」とか言える人は、きっとテレビが好きな人なんだろうなーと思うわけです。 いずれまた、テレビをよく見るようになるときが来るのかしら。 避けてるわけでは全然無いから、何かきっかけがあればそうなるのかも知れないけどね。 * ニュース報道はともかくとして

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「ええかっこしい」防止キャンペーン中

最近の癖なのか、以前からあった癖に最近気付いたのかわからないんだけど、どーも会話の中で格好付けることがあるなーと思った。それもなんか微妙な、数字とかで。「去年より増えた」ってことが言いたくて数字出すときについ、前年比1.5倍を2倍って言っちゃうとかそういうの。 雑談だから特に何の影響もないし、自分では誤魔化そうとか水増ししようと思ったわけじゃなくてぼんやりこの辺だっけ?と思って浮かんだ数字の上側の数値を選んだつもりなんだけど、なんだかねぇ。なるべくニュース性の高い数字をとは思ってたんだろうし、口に出した瞬間に「あれ…そんな数字だっけ」みたいな。 気にしすぎることでもないんだけど、あんまり放っておいてホントに大風呂敷広げる奴になっても困るので、最近は気付いたらどんなにタイミング悪くても訂正するようにしてます。恥ずかしいんだけどね…その方が良いかなぁと。 きちんとした数字が必要なときはきちんと時間を掛けて揃えるんですけどね。反射的なあれだとどうしてもね。自分に取って格好いい数字を選んじゃうんですよね。困ったもんだ。みんなそうかもしれませんけどね。

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若い頃の文章がいつまでも残るなんて…悶絶できるな

自分がWeb上で何か書き始めたのは大体2000年くらいからで、23歳くらい。それまでは、一太郎かなんかで日記を書いてたんだけど、HTMLの練習がてら自分のサイトを作ってみたってのが一番最初。 23歳っていうとまぁもういい大人のはずなんだけど、当時の自分の文章読むともうね。公私の区別はもちろん無いし、リテラシもないし、耳元で朗読とかされたらその瞬間に顔真っ赤になって発狂しそう。でも23歳どころか今どきの中高生にとっては、mixiとかブログとかプロフとかもモバゲーとかいろいろとサービスが整ったおかげで自分のページ持ってなにがしか書くとか普通なわけで、当然そういうのは自分で意図して消さない限り残る、と。 僕個人が大丈夫なのはそういう自分が高校生の時とかに考えてたことは苦労して探さない限り(実家に帰って物置のノートあさるとか)目に入らないわけで、それでまぁなんというか自分で言い出さない限り無かったことにしてられるからなんだけども、そういうのがWeb上にいつまでも残って、知ってる人なら検索すれば発見出来るみたいな状況になってるとしたらもうね、悶絶できるね。とてもじゃないけど勘弁して欲しい(苦笑) あんまりそういうことは考えて書いてないっていうか考えるようになったら年取ったってことなんだろうけど、黒歴史みたいなのの発掘しやすさとかこれから上がってくんだろうなぁとか思うと便利な一方でなんだか切ない。いや別に僕が切なくなる必要はないんだけども、結果的に中二病はダメとかいうとそれはそれで不健康なような気もするからなぁ何つってぼんやり思ったりとか。 結論:10代の頃の文章はWebに残すと恥ずかしいぞ!いやマジで!

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Shut the fuck up and…(30からの「老害」)

老害(ろうがい)とは、組織内において指導者・指導層が長期に渡って在任を続けて高齢化する一方で、円滑な世代交代が行われず、人材の若返りが阻まれるなどした結果、組織の老化・硬直化・腐敗化が進み、結果として様々な支障や弊害が発生すること。 現代では政治や大企業、経済団体などに顕著に見られ、またこれらで生じる問題が典型的な例でもある。ただし、決して近現代になって始まった問題ではなく、古代・中世においても3世紀の呉の皇帝孫権や6世紀の梁の武帝のように、長期間在位し老化と経年疲労により統治能力を失った人物がなおも在位し続けることにより問題が生じた例はある。 日本をはじめ、現在、少子高齢化社会が進展しつつある少なからぬ先進国において数多くの問題を引き起こす要因となっている。また、高齢ながらも経営や政治のトップにあり続ける人物が、自身の過去の成功体験に囚われた行動を硬直的に繰り返した結果、時代の潮流から取り残され、重大な弊害を引き起こしたり、企業や団体そのものを没落させてしまう事も見られる。また、政治にも影響力を持つ有力な経済団体や業界団体のトップが成功者としての独善的な行動・主張・要請を繰り返し、政治家の言動にまで影響を与えた結果、最終的に社会全体のひずみなどの形で悪影響が波及的かつ深刻に拡大して行く事もある。
 
自身の過去の成功体験に囚われた行動を硬直的に繰り返した結果、時代の潮流から取り残され、重大な弊害を引き起こしたり、企業や団体そのものを没落させてしまう

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それでもそんな大人にはなりたくない

仕事をしながらふと思ったのだけど、わずかに就職活動をしていたときに考えていた自分のPRは、実際の仕事では当たり前すぎてPRとしては全く役に立たないものだったな、とか。「柔軟な発想が出来る」とか「論理的な思考が出来る」とか。そういう「マジック・ワード」みたいなものは、実際の仕事において大きなメリットになる…というよりはない奴は使えないという程度のものであって、その個人がそう主張してそれでその人材が欲しくなるような要素でもないな、と。 書いてあれば無いよりかはマシだと思うし、きっとそういう事を現代の就職活動でもやってるんだと思うけど、まぁなんというかガキだったというか世間知らずだったというか。未社会人だったから当たり前なんだけどね。

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