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京都市営地下鉄東西線の走行音はなんとかならんのかな
この記事読んで思いだしたので。
滋賀にあるパートナーの実家に行くとき、大抵、地下鉄東西線で山科まで行き、そこでJRに乗り換えるのだけど、地下鉄東西線のカーブの区間(京都市役所前駅~三条駅など)では、走行音が大きすぎて車内アナウンスが全く聞こえない。鉄道に詳しくないので分かんないけど、あれ、ブレーキなのかな…?それともレールと車輪の摩擦音?放送ではまもなく三条駅に着くこと、乗り換えの路線の案内、三条駅ではどんな見どころがあるかなんてことを案内しているみたいなんだけど、聞こえたためしがない。「まmキュキキキキーうえキュキキキキーのrキュキキキキー」みたい感じ。 東京メトロ銀座線の「線路のカーブにあわせて車軸が可動し騒音や振動を抑えるリンク式片軸操舵台車」という技術があればこれも抑えられるのかなーと思ったのだけど、京都市営地下鉄の特に東西線はかなり経費を抑えている印象だし、ある程度仕方ないのかも知れない。地図で見る限り急カーブもありそうだし。ただ観光都市で駅の乗り換え案内や観光案内が聞こえないとかありえんよなーと思いました。カーブ区間の速度を落とすのがダイヤ的に難しく、騒音を抑えるのも技術的/コスト的に難しいのであれば、聞こえない前提でアナウンスのタイミングを調整したり、アナウンスを止めて駅の案内を強化したりすれば良いのに。あれじゃあ観光客の人は余計に困るんじゃないか。 「20歳の自分に受けさせたい文章講義」という本の中で出てきたフレーズの改変になるけど、京都市交通局の人たちは「乗客の椅子」に一度座ってみるべきだと思います。ええ。東京メトロの銀座線1000系、ブルーリボン賞を受賞…地下鉄では初 | レスポンス
1000系は銀座線で運用されている01系電車の後継車両として開発され、2012年4月から先行試作車6両編成1本が営業運転を開始した。線路のカーブにあわせて車軸が可動し騒音や振動を抑えるリンク式片軸操舵台車、消費電力を大幅に抑えられる永久磁石同期モーター(PMSM)、前部標識灯や車内照明にLEDを採用するなど、さまざまな新技術が導入された。
【嬉報】 無印良品がゼスト御池に3/27オープン! 【的な】
BAL改装に伴う閉店で、お気に入りのファイルが買えなくなってしまって少々難儀していたのですが、ショップカード用のファイルを購入しようとたまたま開いた無印良品にて「ゼスト御池 3月27日(水)オープン!」の情報が。慌ててゼスト御池に行ってみたらば、そちらでもやはり情報出てました。3/16付け。なんだろう、急に決まったのかな。 場所はここ。無印良品 3/27(水)オープン | ゼスト御池 -新・スタイルを提案する、街空間-
2013年3月27日(水)にオープンいたします!!

僕の保守的な美容室選び
先月の26日で36歳になりました。 一昨日、髪を切りに行った帰りになんとなく考えてて気がついたのですが、そんな36年間の間に行ったことのある美容室がなんと2軒しかありません。静岡の実家で1軒、京都で1軒。 静岡での1軒は父親の行きつけでした。当時の名前は忘れましたが、今は「mahalo」という名前になっているようです。特に気に入っていたというわけではなかったのですけど、出来上がりになんの不満もなかったし、別に変えるのも面倒だったので静岡を出るまで、名古屋で浪人してたときもか、だいたい10年くらい通ってました。お店は結構大きくご主人1人と若い人が5-6人が働いていて、カットする席1つ1つにテレビが設置されていました。そのテレビで映画を見ながら、出してもらえる炭酸飲料を飲むのが好きでした。思い出してみるとなんだか楽しかった気がしますし、意外に気に入ってたのかもしれません。 その店があった付近は数年前に道路が拡張されてすっかり風景が変わってしまったのですが、先日店の前を通ったらばまだ店は元気に営業していました。外装がだいぶ変わっていたのでどなたかが継がれたのか、きっとご主人はもう現役ではないのしょう。見た目が堀井雄二さんにそっくりなご主人でした。 一方、京都での1軒は先輩の紹介でした。北白川の「Odeon」さん。まさか京都に引っ越してもなお静岡の美容室に通う必要も(お金も)ないし、先輩に「どこか良いところないですか?」と聞いて教えてもらいました。確か部活の3学年上の先輩、田口さんだったんじゃないかな。部活の連中は他に2軒くらいある激安美容院(カット1,000円など)とか、安くてチャレンジングな美容院(そこに行くヤツはみんな頻繁に髪の毛が変わってた。赤とか緑とか)に行っていたのですけど、僕の場合たまたまそういう巡り合わせにはならずに、Odeonさんへ。そしてそのままもう……17年も通ってます。うわ、マジか。長いなあ。 一番始めは当時お店で働いていた女の方、それから奥様、そして今はご主人に。合間に友達の友達が美容師になって修行に入ったり(超偶然)、僕自身が左京区から上京区そして中京区へ引っ越すなど色々ありましたが、そのままずっと通っています。なんというんですかね、人と人との付き合いですからね。少しでも知ってもらってる人に切ってもらえると落ち着くんですよね。僕の髪型オーダーなんで「短くしてください」ベースで面白くも何ともないですが、ただすっきりさせたいならバリカンで良いわけで、2-3ヶ月に1回カットのためだけに30分掛けて自転車で通う意味は、ただ髪を切るだけじゃないんでしょうね。落ち着くの大事。 「自分が今までに行った美容院が2軒だけ」ということと一緒に思い出してたのは、イラストレーターの沢野ひとしさんの話。確か椎名誠さんが書かれてたんだと思うんですけど、沢野さんは旅行に行ったらまず最初に床屋に行って髪を切ってもらうらしいです。そんでそこのおっちゃんと仲良くなったり、いやもしかするとただ単にそういう気分なだけかも知れないですが、さっぱりして旅に入っていくという。そのエピソードは今でもなぜか強烈に覚えていて、思い出すたびに「そういうのも良いかもなあ」と思ったりもします。思うだけで実行には移さないのですけどね。
鯖(アンコール) : すしブロマイドシリーズ。【傳編 2013/01】(最終回)
赤貝ひも : すしブロマイドシリーズ。【傳編 2013/01】
「京都人は古いものを壊すのが大好きだよね、という話。」の追記。
こういうブクマコメントいただいた。
明治維新以来新しいものを取り入れないと取り残されるという危機感が常にあって、その癖歴史や伝統に変なプライドを持っているのが京都人だけど、わたしはそんな京都が大好きですよ「危機感」。「新しいもの」。 僕はそれは誤魔化しだと思っている。始めはそうでは無かったかも知れないが、今ではただの言い訳でしかないように思える。古い建築物を新しい鉄筋コンクリート建築で塗り替えていくことが、それを「新しいものを取り入れる」と称することが、それが今はただの言い訳にしかなっていないのだと言うことを言っている。 まず第一に、「新しい」というもの、それは文化として日本全国にいくらでもあるものでちっとも新しくない。全く新しくない。見飽きていると言っても良い。そんなのは誇れる新しさでは決して無い。第二に、その街で「古都京都」を名乗るのは無理がある。日本全国どこに出しても遜色ない街に古都らしさなど見つけられない。第三に、「取り残された」部分で食い扶持を稼いでいるのに、危機感という言葉は嘘くさい。もし「取り残された」部分がなかったら、本当に京都は歴史に取り残された都市になってしまう。「取り残された」部分があるからこそ、取り残されずに済んでいるという事実を認めない。 「取り残された」部分を必死で守っているのは、ごく一部の志のある人たちだけだ。一般市民にそんな気がある人は少ない。それが街の変貌の割合として表出している。僕が憤っているのは、経済的な理由であっさりと街を変えていく人たちの意識の低さだ。経済的理由を解消させられない京都市や京都府の方針だ。力になれない僕らの非力さだ。街を歩いて欲しい。京都人は自らの手で京都を殺している。2012年、家の近所だけで全部で6軒の新しいビルが建った。そのうち2軒は明らかに保護されるべきレベルの建築物だった。今は方や駐車場、方やどこかの会社の自社ビルだ。それのどこが新しく、それのどこが危機感をフォローするのか聞かせて欲しい。それによって京都の何が救われたのか。 そんなものは誤魔化しだ。経済的合理性による活動に、「新しいものを常に取り入れる」という誤魔化しのタグを付けるのを止めさせるべきだ。そんなのはちっとも新しくないよ。もちろん古くもなく、とりたてて価値も無い。それなりの地方都市に掃いて捨てるほど落ちてる事象だ。「新しいものを取り入れている自分」を客観的に見つめ、そんなのは誤魔化しだと理解すべきだ。そんなの、ちっとも新しくないよ。そんなのちっとも「京都人らしく」ない。僕も大好きな京都人はそんなのでは無いはずだ。京都人ならもっと上手い方法を見つけるはずなんだ。醜悪なひさしをマンションの一階に付けて「景観を乱さない」などと嘯くような、そんなくだらない誤魔化しはたくさんだ。
京都人は古いものを壊すのが大好きだよね、という話。
「修学旅行でがっかりした観光地あげろ」なんて言う話になると出てくる京都の話。確かに見栄えのある観光地もたくさんあるのだけど、都市として京都は完全に日本の平凡な都市そのもの。京都に住んで18年、京都の街のど真ん中で暮らし仕事するようになって10年くらい経つけれど、毎年数え切れないくらいの歴史ある建造物が街から消えていく。伝統あるかまぼこ屋も伝統ある雑貨屋も伝統ある和菓子屋も、古着をゴミ箱に投げ捨てるようにして建築物を取り壊し、駐車場にしたりとってつけたようなデザインの鉄筋コンクリートのビルやマンションに作り替えていく。 京都でよく言われることは、
- 京都人は新しいものが好き
- 新しいものと古いものが混交しているのが京都