本日のブックマーク – 2006/02/23

昨日は、つい出来心で、サッカー日本代表戦を見てしまいました。 あ、いや見たくないわけじゃなくて、最近仕事時間の関係で見れてないだけなんですが、 しかし昨日の試合は酷かったなぁ。 たとえて言うなら、『格下とやってる草サッカー』って感じでした。 それで6点も入っちゃうんだからなぁ。 でも実際、インド戦を用意されて(アジアカップ予選だから仕方ないけど)、 『さあ、W杯準備だ!』 とか言われても、モチベーションなんか上がんないよね… 無理だろ、そんなの。 マスコミが煽りすぎだって。オリンピックもそうだけどさ。 重要なのは分かるけど、ここは軽く流す程度にしとけって。 さて、お話はその辺にして、本日のトップニュースは…

携帯電話会社の英ヴァージン・モバイル社は21日(現地時間)、携帯メールの打ちすぎで、指の痛みなど「反復運動過多損傷」(RSI)を患う人が、イギリスだけで年間380万人に上ると発表した。予防マッサージを考案し、専用ウェブサイトで紹介している。
がーん!(爆笑) そんなわけねーだろー!(笑) 380万人て…
ヴァージン社は同日、主要駅で啓発活動を展開。「数分間打ったら一回休む」ことなどを呼びかけた。ウェブサイトでは、専門家が考案したストレッチの方法を、アニメーション付きで解説している。
…大まじめなのか…? ていうか、名前付けて大げさに騒ぎすぎだと思います。 日本でも誰か言い出したりしてね。 人口比率で換算すると、814万人、日本はイギリスより携帯が発達してるかもだから、 推計1,000万人が、メールの打ちすぎで指に障害を負っている ── とかね(笑)

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静岡人チェック:テンプレ

古い友人で、マイミクでもあるともPさんが、 『静岡人チェック』なるモノをやってたので、トライしてみることにした。 が、もうやたらと長いんだこれが… テンプレを探したところ、なんと162問。アホかと。 まぁしかし、アホだと思いながらやってみるのも楽しいわけで。苦行ですな。 結果はmixiでよろしく。 ちなみに、この元ネタは、『ご当地チェック』というところらしいですね。 全国のチェックが載っている模様です。 よろしければ是非。 (相当だるいこと請け合いです) ご当地チェック

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時間は何も解決しない。

否、 比喩としての表現であるならば、時間は全てを解決する。 たとえ、どんなにこじれた問題であっても、 長い時間が経ち、当事者が全て死亡したり、 状況そのものが変わったりすれば、問題そのものが無くなってしまう。 でも、実際に使われるときに、 この表現が完全に比喩であると意識することは、ほぼ無い。 比喩ではなく実質的な解決を望むような場合にも、 この表現は使用される。 極めて、分析的に見てみると、『時間』が何かを解決しているわけではない。 例えば生ゴミを庭に埋め、分解されるのを待つとしても、 解決しているのは時間ではなくて、 微生物である。 人間関係、例えば、恋愛など、 どんなに考えても答えが出ない、時間に解決を任せるしかない、 そんなときであっても、本当のところは、 気持ちが薄れたり、誰か他に気になる人が出来たり、 相手に新しい恋人が出来て悩むことを許されなくなったりして、 解決せざるを得ない状況になるから、解決する。 いや、問題が無くなる。 そこで、時間がしていることは、これと言ってない。 時間は、万能な神と同列に並べられるようなものではなく、 ただそこに存在しているものだ。 いわば、ひとつの目盛りにしか過ぎないし、 『解決を時間に任せよう』という言葉はすなわち、 自分以外の他のモノが変えて(変わって)くれるのを待とう、と言う意味だ。 そこには、自己解決という側面はない。 時には、単純に、責任転嫁という結果にしかならないこともある。 寝かせた企画は、環境が変わって動きやすくなることはあるにせよ、 誰かが手を付けない限り、企画自体は進まない。 時間は、何もしてくれない。 だから、時間に任せたいときには、 それに対して自分は関与しない、ただ待つだけだ、と言う意味を自覚することが必要だ。 私は、他人を頼ります、 私にはどうすることも出来ないのです、 そう言う意味だからだ。 そして、 ひょっとすると、逆説的に感じられるかもしれないけれども、 生きていく上で、そうした考え方が重要になることもあるということだ。 ある問題で、どうしても自分以外の要素がネックになって、 解決が進まない、 そんなときに、誰かが変えてくれることを期待し、 自分としては一時的に放棄する。 それが、自分自身の問題であっても、ネックになっている部分が自分以外であれば、 それは厳密には自分だけで解決することは出来ない。 寝てる間に小人が出てくれると、もう少しことは楽に進むのだが(苦笑) なかなかそんなことはないわけだし、 盲目的に時間に任せるのではなく、 一方で、盲目的に抱え込むのではなく、 問題を見て、それを分析し、 自分と、問題とで折り合いを付けていくことが重要だと思うのだ。 時間は、何も、解決しない。

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本日のブックマーク。 – 2006/02/21

『本日のニュース』『本日の気になったニュース』改め、 『本日のブックマーク』。 はてなブックマークの本格活用により、それをまとめた方が良いかなぁと言う感じで。 CHEEBOWさんみたいに、それを取得して、はてブ→MTという自動投稿でも良いんだけど、 技術的な面と、『あとで読む』の処理に困るなぁ、と思いつつ、 まぁいいや、今まで通りにピックアップしてまとめるか、ということで。 はてなブックマークに登録しているものも、されていないものもありますが、 まーその辺、適当に。 で、トップニュース。

東京大学、海洋研究開発機構などの研究チームは20日、高密度のメタンガスが氷に閉じ込められ、“燃える氷”と呼ばれる「メタンハイドレート」が、新潟県上越市沖の日本海海底深部に、深さ100メートルの柱状に存在していると発表した。
正直よくは分からないんだけど、 メタンハイドレートというのは、メタンの水和物、水とくっついて結晶化したもので、 効率よく分解できれば、天然ガスの代替として利用できるのではないか、と 期待されている物質らしい。 サイエンスZERO/放送内容/第22回“燃える氷”を獲得せよ しかもこれが日本近海、深度900メートルに発見されたと言うことは… もしこの開発に成功したら、日本のエネルギー事情は大きく変わると言うことでは? 外交にも影響を与えそうだし。 開発自体は時間を掛けて、じみーに進むと思うけど、 エネルギーを自前で用意できるようになると、 日本もかなり変わるよなぁ。

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今日も曇りの京都より。

最近、天気がすぐれないですね。天気予報を見ても、今日は曇りのち晴れ、明日は晴れのち雨。明後日以降も、2月いっぱいは曇りまたは雨という予報になってます。なんだかなぁ。気圧の谷の影響、らしいですが。どっちにしろ、春は移動性高気圧の影響で天気が変わりやすい…とかだったはずなので、ずっと晴れが続くとか無いんですけどね。それにしたって。 昨日も、定時上がり。取り立ててがんばろうというモチベーションがないからなぁ。そう言うときは静かにしておくのが吉。頑張ってモチベーション上げても、例によってあっという間に大暴落させられるんでね。無駄な努力はしない。しばらくは、自分の利を優先させてみようかなと。 で、3時頃就寝。 今朝は、9時半起床。最近、5時間以上寝ることがあんまり無かったので、結構貴重。起きがけに面白い夢を見る。夢って不思議だよなぁ、確かに見てるストーリーなのに、目が覚めた時点でこの世の何処にも存在していないわけだから。映画を見た後と同じような感覚を持って目覚めるのに、その映画はもう何処で見ることも出来ないわけで。不思議だ。 写真撮りながら普通に出勤。寺町姉小路西入るの駐車場の前に紅白の梅の盆栽?が出ていた。そうか、そんな季節ですねぇ。明日は休みだし、どこかに梅を取りに行きたいなぁ。晴れてくれないかなぁ。 BGM: m-flo/been so long(Zed Bias Remix)

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雨の降り続く街

起きたら雨が降っていた。 このところずっと、曇りの日が続いていたのだけど、雨が降るには至らなかった。 したたり落ちるしずくに、冬の雨の痛さはもう無く、 さっと街を撫でる春の雨の、優しさをほんの少し感じる。 _ _ 昨日は、仕事でもの凄くむかついて、イライラしたまま帰宅。幸い、愚痴をこぼせて、風呂にゆっくりとつかって気分転換できたおかげで、今日はだいぶマシだけど、限界が来てるような気がしないでもない。きっと、根本的に人間が好きではないんだろう。とても興味があるとは思えない。あ、僕じゃなくてね。イライラの対象の方のことですが。無視できる立場だと楽なんだけどなぁ。そういうわけにも行かないしなぁ。会社を辞めて、自分に何が出来るかをしばし考える。今年中に辞めれたら辞めたいな、とぼんやり考えつつ。 で、暫くゲームをして、夜遅く就寝。 朝は9時半起床。蕎麦を茹でようと思って湯を沸かすが間に合わなかったので、そのまま食わずに出勤。そう言う日はコンビニ飯(主にサンドイッチ)になるわけです。ふう。やっぱり今日も眠い。でも何となく慣れてきた感も。 _ _ 本日のBGM:タクロック.コム: 10mix #037: バウンス・ン・スキャット・ミックス スキャット良いねぇ。 アーティストとか全然わかんないけど、音楽は好きです。

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西正氏のブログでコメント欄が復活

なんかイチイチ書いてるとストーカーみたいだが(苦笑) コメント欄を閉じた5日後の2/1よりコメント欄が復活していたようだ。 僕がこの件に注目してるのは、単に面白いからと言うこと以上に… マスメディアに対してある程度の知識と意志を持つ人間が、 馴れ合いに成りつつあるブログの世界に入ってどうなるか、 ということに興味があるからだと言っても良い。 コメントを再開した2/1のエントリの中で西氏は、

匿名で日記を書いて、知らない他人に読んでもらいたいという気持ちは全く理解できない。
匿名で発言できることの問題は、正体が分からない(実際にはそんな都合の良いことは有り得ない)のをいいことに、顔を合わせてだと言えないようなことも思い切って言えることだ。結果的に、非常に過激にもなる。実名でも「メール」がそういう現象を引き起こしていると聞く。匿名なので思い切ったことが言える快感が楽しいというなら、それは結構だが、何か虚しくないかと思うのである。
と書いているのだが… 匿名に関して、いろいろと混同している気がする。 例えば、僕はこのサイトを、本名を隠すことなく運営しているわけだけど、 実際そのことは匿名性に関してなんの影響もない。 お互いに全く知らない人間にとっては、それが匿名だろうと、 多分実名であろうとたいした違いはないからだ。 ウェブ上で日記を書いて、匿名でない人間というのは、つまりは名を知られている人間であり、 むしろ、西氏のように(特定の自分として)とらえられる人間の方が珍しい。 どんなに有名なサイトであっても、 (例えば、面白いサイトを見つけたよ、とか) 僕はその運営者(中の人)がどんな人かは知らないし、 コンタクトを取る手がかりがそこ(サイト)にあることを除けば、 匿名と殆ど変わらない。 つまり、名前は分かるけれども、実質的に匿名なのである。 少なくとも僕にとっては。 でも、特にmixiなんかを見るとわかるけれども、 知らない人から見れば匿名に見える人であっても、 知ってる人にとってはその人は、特定の誰かであるということになる。 そうなると今度は、それは実質的にも特定の誰かということになる。 サイトを毎日訪問するのは、 今日も元気にやってるかな、ということだし、 当然このサイトを訪れる人の中にも、そういう人はたくさんいるはずだ。 結局、この場合の匿名、というやつは、匿名性がその形式に依らないという点で、 次に書く一般的な匿名とは違う。 一見匿名であっても、了解が取れている範囲内においては、 特定のモノになりうる。 また、広く一般的に言われるところの匿名、 わざわざコメント欄に『通りすがり』なんて書くような人たちのことだけれども、 それは確かに、先ほどの匿名とは違う。 本質的に匿名であり、殴られてもこちらから殴れない、という点が違う。 ただ、殴る手段がないわけではない。 コメント欄なり、エントリなりで反論または論破されれば匿名も痛いわけで。 身を隠した卑怯者、という言い回しはよく匿名に対して使われるけれども、 実際には、匿名でなくても、同じようなことは出来る。 書きっぱなしも出来るし、誤解したまま殴ることだって出来る。 反論しても殴り返せているかどうかは分からないし、 匿名ではないから読んでくれているというのは、単なる思いこみに過ぎないかもしれない。 結局、どのような形態の匿名にせよ、 いやむしろ実名(のようなもの)にせよ、 無責任な行動をする人間はそうするし、匿名でも節度を守る人間はそうする。 匿名が過激になり、それが集まるブログが炎上し、そうした文化を否定する… というのはかなり使い古されたステレオタイプで、 もうなんか反論する気も起きないけれども、 そんなことは問題じゃないんである。 (むしろ、もっとやっかいなのは『実名』で過激な人たちであることを彼は知らない) ウェブサイトというのは、暗黙の了解の上に成り立つ、基本、匿名の世界だ。 相手が、ID:5431だと分かっていたとしても、 それはIDを変更した途端に途切れてしまう、疑似実名の世界だ。 そう言う意味で、その性善説に基づく了解を突くような詐欺(フィッシング)が横行するのも、 ある意味当然ではある。 本来匿名であるのに了解によって実名であると擬似的に解釈させることがWEBサイトなら、 その了解を(デザインやサイト名などで)偽造すれば、解釈も偽造できる。 フィッシング詐欺を通して、僕らは、 その了解が正しいかどうかを確認することを求められ、 実名であるというけれど本当にそうなのか、ということを再認識する。 論点にすべきは、匿名か否かではないはずなのだ。 ネット上では、いつだって名前を捨てて逃げられる。 本名を偽ることも出来る。 使い分けることも出来る。 どれが匿名で、どれが本名か分からないのに、 そんな不確かなモノを基礎にどんな判断を下そうというのだろうか? (これ以上広げると収拾付かないけれども) むしろ、リアルの世界でさえ、匿名とは何か、という点について、曖昧ではある。 あなたの目の前にいる人間が、確かにその人間であるという証拠を、あなたは持っていない。 お互いの了解で、彼は彼としてあなたの前に存在しているだけだ。 その了解が不誠実なものであれば、 それは、実質的に匿名と同義である。 ネットや書籍や、そうした情報に基づいて、追跡できる人間なんてのは、そうは多くない。 全ての著名人、芸能人、コラムニストその他を数えたって、全人口の10%もいるだろうか? それ以外の人は、知らない人間の前では匿名でいられる。 ネットであれ、リアルであれ。 匿名性を過大評価して、調子に乗るヤツが多いのは事実だが、 それを評価したり、または逆に否定したりすること自体が、既にナンセンス。 そういう点で、西氏も同じ土俵に上がってしまっていると感じる。 匿名なんて、ことさらに珍しがることじゃないのだ。 ネットなんてその程度のもんなんである。 西正が贈るメディア情報 [ITmedia +D Blog]

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