鰻の消費量はこの10年で3分の1になっている
ソースは、日本養鰻漁業協同組合連合会の統計情報にある「鰻輸入量及び国内養殖生産量」。
日本養鰻漁業協同組合連合会
これによると鰻輸入量と国内生産(養殖・天然)量の合計は、2003年に142,192トンだったものが年々減り続け、2011年には56,319トンになっています。個人的には、
- スーパーで安い鰻が出回るようになった
- 消費量が増えた
- 資源が枯渇した
ソースは、日本養鰻漁業協同組合連合会の統計情報にある「鰻輸入量及び国内養殖生産量」。
日本養鰻漁業協同組合連合会
これによると鰻輸入量と国内生産(養殖・天然)量の合計は、2003年に142,192トンだったものが年々減り続け、2011年には56,319トンになっています。個人的には、
「断食に興味あるけどこれ以上体重減ったらヤバイしプチ断食にしておきます」と言うことらしいのでそれに付き合って久々に断食してます。あーなんだろ。感じとしてはペースメーカーとか伴走者とかそんな感じ。自分がやりたくてやってるわけでは無いけども、嫌々やってるわけでも無くまあ良いかなと言う。 「プチ断食」の何が「プチ」なのかというと、期間じゃ無くて食べるものの制限。約2日掛けるけど絶食期間というのは無くて3食に少しは何かを胃に入れる感じ。まあその方がダメージは少ないし、復食も簡単で済むしいいのかも。
彼女の人が楽天ブログで日記を書いていて度重なる不具合にストレスフルな感じなので、なんか良いブログサービスはないものかと考えてみたのだけど「あまり技術に詳しくない人でもストレス無く更新できて、かつ今使っている機能が不足なく使えるブログ」を考えるとどう考えても候補がはてなブログしか無くてぐぬぬな感じ。いや別にはてなブログはとても良いプロダクトなのだけど、まだまだ機能不足だと言われるベータ版であり、はてながきちんと継続して開発してくれるかも不安で、個人的に「注目」くらいのポジションに置いていたので。自信を持ってオススメするわけじゃ無いけどこれが一番良いのですよねという「ぐぬぬ」。
彼女の人が楽天ブログを使っていて不便に感じるのは以下のようなポイントらしい。
科学世紀のカフェテラス by すじゃ on pixiv
というわけで東方オンリーのイベントが京都であるというので行ってきました。 通称「京都秘封」、正式には次の4つのイベントの同時開催です。 どれも熱烈なファンのいるジャンルなのでさてはてどうなることかと思っていたのですが、想像以上に熱かったです。なんというか、コメントのしようがないな、と言うのが直後の率直な感想でした。1人の情熱溢れる報道写真家の一生を振り返りながら現在の日本に繋がる様々な問題点に焦点を当て、90歳を過ぎてなお活動を続けるその報道写真家の今も伝える、そんな映像作品でした。彼の伝えることは事実であろうし、彼の心情や信念や考えにも真実は含まれていると思うけど、どこかで「それがあなたの生きた日本」と感じている自分を否定できなくて。 単純に彼の生きた時代の殆どを僕が体験していないと言うこともあるけれど、それ以上に、彼の表現していることがどうしようもなく「主観」だからそんな感じを受けたのかもしれません。「表面的な5W1Hをさらうようなマスメディアの伝え方ではなく、実際に自分が中に入ってその中に何があるのかを伝えたい」それが彼の信条であって、そのおかげで多くの実りある事実が広く知られることとなりましたが、それは同時に「現場の人間が何を感じどう考えているか」であって、歴史事象としての「事実」では必ずしもなかったとも思うのですよね。例えば昭和天皇の戦争責任について彼が語っていることを、彼の表現を通して見たときと「昭和天皇の戦争責任論」を通して見たときでは見え方が違うこととか。 それは単純な政治イデオロギーの差異ではなく、自分の見る範囲をどこまでにするかという問題だと思います。目の前に苦しみにあえいでいる人間がいる、その根源になった人間がいる、根源になった人間が苦しんでいる人間を認めない。それに対して抗議している。その中に入ってその抗議を切り取り残す。その抗議が妥当であるかどうかは、事実が存在していることに対して特に大きな問題にならない。妥当であろうとなかろうと「苦しんでいる人間がいる」「苦しんでいる人間が抗議している」「苦しんでいる人間を救うべきだ」という事実は変わらないから。ただこれが、歴史事象としての「事実」にならない理由は、これと同種の事実が当事者の数だけ存在するからです。 「歴史書」自体は往々にして1つの歴史だけで書かれてしまうし、現代日本の「歴史」は少ない事実を選択して記録しているわけで、そのことが「ニッポンの『嘘』」という事になるのだろうと思うけれど、果たして彼らの問いかける真実を歴史に組み込めば『嘘』がなくなるのかというとそれは違うと思います。ある部分補完はされますが『嘘』はなくならない。このことは歴史とは常に『嘘』を抱えるものだということを示しているんだと思うのです。そしてそれを知った上で、それでもそれに隠された人間に寄り添って行く、それが報道写真家である…そういうことなのかも知れない。個々のイデオロギーや虚実よりも、その状況に向けられる視線が彼の視線なのかも知れないなと。 それでもやはり僕は思うのです。彼らにあなたに真実がある通り、僕にもやっぱり真実があるわけです。僕に彼らの真実が見えないのと同様に、彼らにも僕の真実は見えない。そうしたことが積み重なって歴史になっているわけだし、僕がこの映画で学ぶべき事は知らなかった事実に影響を受け考え方を転換する…と言う類のことではなく「僕は僕の日本を生きる」ということではないか。 そんなことを強く感じました。
doSomething ... 1/5
doSomething ... 2/5
doSomething ... 3/5
doSomething ... 4/5
doSomething ... 5/5 finished
こう。
doSomething ... 5/5 finished ← この行だけで更新されていく
わかりますかね…
どれくらいメジャーな方法なのか解りませんが、
ドワンゴの戀塚さん(@koizuka)がやっていてなるほど、と思ったので。
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「承前」というのは「前のツイートから続いていますよ」ということ。
例えばこんな感じで使います。
私のおじいさんがくれた初めてのキャンディ。それはヴェルタースオリジナルで私は四歳でした。その味は甘くてクリーミィでこんな素晴らしいキャンディをもらえる私はきっと特別な存在なのだと感じました。
— いず的ななにかさん (@nobodyplace) 11月 3, 2012
(承前)今では私がおじいさん。孫にあげるのはもちろんヴェルタースオリジナル。なぜなら彼もまた特別な存在だからです。
— いず的ななにかさん (@nobodyplace) 11月 3, 2012
ツイートの文字数が140文字に制限されていることから来る長文投稿用のテクニックの1つなのですが、2つのツイートはTwitter的には全く関連のない別々のツイートであり、話題を遡るには読み手が自分で探して「前」を見つけ出さなくてはいけません。どこが視点か解らなくなったり、論理順序が掴みづらかったり、一覧できなかったり何かと問題の多い方法でした。解りやすくするためにはtogetterにまとめるしかない。