In My Room.

In My Room 2000.11.01. Utada Hikaru 何故かわからないけど。 聴くだけで、そのときの、いろんな情景が戻ってくる、そんな曲がある。 そして、その中でも、 歌詞の1つ1つすらもが、 僕に、 そんな情景を思い起こさせるときがある。 本当は、 新譜や、自分の知らなかった曲を、 ここで書いておきたいけど、 仕方ない、思い出しちゃったんだから。 何故、16歳の少女の書いた詩に、 心を揺さぶられるのだろう? 僕と彼女は、何が違うんだろう? でも、だから、 人間はたくさんいるんだよね。 (2000.11.01.)

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With an Air of Abstruction

詩を書くことと、文章を書くこととは、 ほとんど同じコトだけど。 言いたいことに言葉を加えて 分かりやすくしていくのが文章で、 言いたいことから言葉を削って 分かりやすくしていくことまたは 言いたいことだけを選ばずに 書いていくのが詩じゃないかと…

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TAKARAZUKA

TAKARAZUKA(下書き) とても幻想的な雰囲気だった。何もかもが。 宝塚歌劇を見に出掛けた。初めてのことだ。彼女の母がチケットを手に入れ、都合で行けなくなったので、娘に誰かと行きなさいとくれたのだ。彼女は、僕が「そんなもの!」というのではないかと、おそるおそる「行かない?」というメールを携帯によこしたのだけど、かねてから“TAKARAZUKA”に少し興味を持っていた僕は、二つ返事で、「行きたい!」と答えたのだった。 宝塚のチケットというのは、なかなかにプレミアらしい。特に、特別な日(初日、千秋楽、新人公演)と、土日のいい席(例えばS席の真ん中辺りなど)などは、なかなか取れないとのこと。今回は既に引換券があるので余裕だろうと思っていたら、いや、『引き替えで指定席の取り合いがある』とかで、彼女は僕のために(それともちろん宝塚に憧れていた自分のために)朝早く起きて、並んで、S席のいい席を取ってくれた。まさに、『きみって…まったく…』、だ。 関西、特に兵庫大阪の人の中には、勘違いしている人もいるようだけど、宝塚から遠い地方、例えば僕の出身地静岡などでは、それが一体どういうモノなのか知っている人など、ほとんどいないと言っても良い。それは関西だって一緒だよ、知らない人はいっぱいいると彼女は言うけど、いや、それとはレベルが違う。第一、これはもちろん特異な例だけど、スーパーの抽選で貸し切り招待になるなんて話は聞いたこともない。 宝塚駅で待ち合わせた彼女と一緒に、大劇場のエントランスをくぐったときの僕の気持ちと言ったら…。客は、ほとんどすべて、女性なのだ。ぼくはそのときその状況に動転して、「これはすごいな、すべて女性が演じる歌劇の客が全て女性なんだ、女性が演じて男性が見るという娯楽ならばどこにでもある、でもこれは違う、ここではそれが『文化』にまで『昇華』してるんだ。」なんて、論を唱えたりしたのだけど、動転していたわりに、案外はずれていないのかも知れない。だって、老い若いの差はあるが、見渡す限り女性なのだ。5,000人は入ると思われる劇場の中、男性は1%程しかいなかったのだ! 指定の席を探し当て、そこに着席し、若干の会話を彼女と交わし、照明が落とされ、指揮者が紹介され(フル・オーケストラなのだ!)、幕が上がったとき、僕は、大きな一つのことに気付いた。僕は、『圧倒的に』『部外者』なのだった。それはつまり、素人であり、男性であるからなのだが、いやそんな理屈よりも、幕が開いた瞬間に変わった空気が、僕を指さして、そう宣言したように思えた。そして、その部外者という感覚の他に、観劇者としても、蚊帳の外に置かれているような感覚が走り、それはその後30分ほどは残ったままだった。 演劇の内容そのものへの描写は、なるべく避けたいと思う。それはつまり、僕が、3時間に及ぶ演劇(2本立て、ロマンス/ショウ)について、筆を振るえるほどの知識を持っていないということと、そんな面倒には耐えられないからだ。 ただ、上演中の時間について、僕がどうしても言いたいことは、それは、非常に『幻想的』であったということだ。つまり、この感覚を拙い言葉で説明するならば、舞台上にいるスターと観客とは、ともに、ある種の『幻想』を共有し、そこに属するための約束を持って、同じ時間を過ごしている。舞台の上で繰り広げられる、素晴らしいショウ(これは本当に素晴らしい。世辞などではない、僕にはそんなことを言う理由はない)、その幻想さと、そこに関わる全ての人が想いめざす幻想と、そこに属すための約束という幻想。そして、いま自分がここにいるという幻想…そうしたものが、空間の中へと浮かんでいき、かたまり、そして、それぞれの体の中へと深く、入っていく…。そこに、これだけの人を引き付けるモノがあるのだろう。 全くの部外者であった僕が、そうしたことに感覚として気付き(理屈を付けたのは今の今のことだ)、幻想を眺め、少しだけ共感し、約束を結ぼうとしたとき…その、素晴らしい時間は終わってしまった。僕は隣にいる彼女とほとんど会話しなかった。そんな余裕はなかったのだ。 もう一度、ここを訪れる機会は来るのだろうか?もし彼女にこれを読まれた場合を想定して書いておくならば、僕は特に望んでいるわけではない。でも、もし、機会が訪れたならば、その時は、今日よりもっと『構えずに』席へと身を沈めることができるだろう。 そうそこに、リアリティ以外の現実はいらない。 幻想にて、全ては、繋がっているのだ…。 (2000.Oct.29)

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Sports

18.44m。90min。180second。18H。 そこが甲子園でも、ヤンキー・スタジアムでも、マラカナン・スタジアムでも、後楽園ホールでも、日本平スタジアムでも、はたまた、あなたの部屋、TVの前であっても、いや、もしかしたら、翌日の新聞やインターネット上のニュースでもその大きさに違いはあるとはいえ、皆同様に楽しんでいる。そして、これもよくあることだが、100人見ていれば、100人が、50,000人いれば50,000人が、それぞれに勝手に解説者として、解説している。 野球なら野球、サッカーならサッカー詳しい人は必ずいて、そういう人は目の付け所が違って話を聞くと面白いんだけど、でも見ているときにずっと側にいてほしいかっていうと、それはそれでうっとおしい。かといって自分は、話をしないかと言えば、矛盾はあるけど一緒に見ている隣の人に自分の考えを聞いてもらいたい。 プロの解説者ってのはどの競技にも必ずいて、鋭い指摘をしてくれたり、選手の思惑や、今後の展開を示してくれたりするのだけど、玄人は必ず素人上回るかというとそうでもなくて、それは、例えれば、分析に対する『ファクター』の数の違いで、いろんなファクターを盛り込んだ複雑な占いと、トランプ占いにそう差がないときがあるように、結局、その人にその人のそのスポーツがあるって事だ。 人間で一番不幸せなのは、悲しいときなどではあり得ない。 それは、『感情がないとき』、だ。 スポーツは、歓喜の笑顔を、悲しみや悔しさを、感動の涙を、 僕らにもたらしてくれる。 僕は、スポーツが、好きだ。 (Oct.28.2000)

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Paralympic

パラリンピック…。 周りの人たちは、パラリンピックを見ているんだろうか?人道的にか分からないが、どのメディアも、ページと時間を割いて特集しているから、人によっては、見ている人もいるんだろうと思うが…なぜだろうか、僕には、彼らを直視することができない。痛い、のだ。 頭では分かっている、彼らはそんな哀れみや、同情など望んではいないし、体が不自由で何でも満足にできるわけではないけれど、しかし、彼らなりに一生懸命生きているのだと。 僕の親戚にも、身体障害者がいる(この書き方でいいのだろうか。礼を失しているような気がするのだが他の表現が見つからない)1人は、生まれたときから一緒に住んでいる(正確には『隣に』)叔母だ。彼女は、少女のときに病気をしたせいで、体が不自由になってしまった。歩くのもつらそうだし、すごく痛々しい。普段、話をしている分には全く意識したことはないのだが、例えば一緒に歩いたりすると、ハッと気付くことがある。もう1人は、いとこで、彼の場合は未熟児だった。小さいときから、体に多くの障害を持ち、日常生活には全く問題はないのだが、喋ることが少し不自由だったり、勉強を人並みのスピードでしていく事ができなかったりした。今も、そうしたことは変わらないが、しかし風の便りでは、彼なりに、一生懸命できることをやっているという話を聞く。 叔母は僕が生まれたときにはもう身体に障害を持っていたが、いとこは僕より2つ年下なので、長い間見てきた。あまり親戚づきあいがあるとは言えなかったし、正直付き合うのは苦手だった。幼い僕には、彼の表情や考えていることが読めなくて、怖かったのだと思う。しかし、彼にとって、最も幸運だったことは、母親の大きな愛があったことだと思う。母親は(つまり叔母は)、彼に、普通の学校に通わせ教育させることにこだわり、裕福な家庭だったこともあるが、彼を、普通の子供として(少なくともそうなるように)育てようとした。その結果がどうと、僕に言う資格はない。しかし、彼女や兄弟の愛があったこそ、今の彼があるのだな…と、思うのだ。 そして、パラリンピック。考えてきたけど、結局よく分からない。でも、メディアがこぞって素晴らしいと口を揃えても、僕には見ることができない。 …なぜなのだろう…? (Oct.27.2000)

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music002:Scha Dara Parr

彼方からの手紙 2000.10.24. Scha Dara Parr MD故障につき、唯一所有のSDPのCD、 「The Cycle Hits -Remix Best Collection」より。 (なんで唯一がリミックスなんだ…我ながら情けない(T^T) この曲あげると、こいつ、昔のSDPばっかきいてんなとか思われそうだが、 ちょっと当たり(・・;) いやいや。 スチャラカでスーダラなもんばっか聴いてる訳じゃない、んだけど、 そんなみなさんにも、楽しんで一度は聞いてもらいたいそんな曲。 HipHopって、ホントに好きな人は違うんだろうけど、 素人的には、肩肘張ってるところがあるのも感じる一点。 アーティストの強がりっていうか。Lyricとか、語呂と自慢だもんね。 日本もアメリカも。 Lyricがそうなら、Soundも、攻撃的だし、疲れる時も。 そんなときはスチャダラパーで一息入れましょう。 もうサイコー。 あ、『後者 ?THE LATER?』もお薦め。Lyric、うまい。面白い。 2000.10.24.

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music001:Gospelers

Password 2000.10.19. Gospelers 深夜TVのクリップで発見した、いい感じの曲。 アカペラが美しいゴスペラーズ。 デビューこそその個性で名を売りはしたが、 その後あまり名前を聞かなくなっていた。 たまに見るTVでは、その方向性を探っているような感じも受けたが…。 そんな彼らの、耳に残ったこの1曲。 独特の声を残しながら、R&Bぽいbeatの入った曲。 既に評価が固まっている彼らだけに、 この1曲からブレークということはなさそうだが、 いい雰囲気を与えてくれる1曲だと思う。 これからも、少し気にしてみたい。 毎度思うことだが、あの深夜クリップ(関テレ…か?)の選曲をしているプロデューサー、 音楽会社からの売り込みも多いのだろうが、なかなかいい耳してる。 あらゆるジャンルにて。 ヘビーローテーションなので、1ヶ月単位くらいで同じ曲が流れるが、 たまに見ると、おお、と思うことも。 2000.10.19.

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born to be Ippei=Suzuki

1977年1月26日、静岡市生。 ごく中流の家庭の長男として誕生。父方は有力な弁護士の家系であり、父も長男であったため(戸籍上は次男だが長男は早世している)祖父母、曾祖父母はかなり喜んだらしい。そうした家系と血筋に反した性格と趣味を持って生きてき、実家の強い意向で無理矢理横浜から静岡に連れ戻された父は、恐らく周囲のそうした反応には白けた思いを持っていたと推測する。1978年11月7日、妹・茜生まれる。伝統のある家系にはよくあることだが、女は女としてそれ以上の扱いは決して受けない。祖父はいい祖父であることは間違いないが、しかし、そうした男尊女卑の思想を少なからず持っており、自分が婿であることも手伝ってか、女性軽視の発言が目立った。それは、名家の出である祖母も同じであり、その娘達も同じだった。今でも、そうした声が聞かれることが、妹の心を傷つけている、そして、それをどうにもしてやれないことを心苦しく思うことがある。しかし、そうした声とは逆に、両親は娘の誕生を素直に喜び、特に父は長男誕生以上に喜んだであろうと思う。彼の血を引く長男が、娘について言っているのだから、間違いない。母は、この人は自分の子供に興味がないのよ、と言うが、それは半分は照れ隠しであることを長男は知っている。そして、実は、もう半分は事実であることも知っている。父の、自分の趣味や好きなことに対する情熱と、それとは反する仕事であっても、家族のために自己を犠牲にしている姿(本人はきっと否定するだろうが)とが、好きなところであり、尊敬するところなのだから、それはその通りなのだと思う。 まぁ、なにはともあれ、こうして、僕は、70歳以上の弁護士であれば、現在でも誰もが必ず知っているような弁護士を曾祖父に持つ、しかし、その実体はただの中流家庭、そういう家庭に『スズキ・イッペイ』として生を受けることになったのだった。(Oct.17th.2000)

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2000年7月7日<金>13時42分

●イッペイ(945) 題名:…。 投稿日 : 2000年7月7日<金>13時42分 衝動買い。服。CD。無いのに、、カネ。Money。Oh- I’ve No Money…! そんでもって、雪印食中毒の疑いも浮上しつつの熱発にて行けなかった ライムスター聞きながら、暑さにうだりつつ、衝動にちょっと後悔しつつ、 40度あってもいきゃよかったと激しく、これまた後悔しつつ、 あこさんのLuv+への想いにちょっと感動しつつ(昨日行けば良かったな…)、 実は独りで何度かこっそり行ったことがあるLuv+、あの中に、 そん時は知らなかったあこさんもいたのだなと感慨にふけりつつ、そういえば、 あのMC(?)ちょっと役に立つ情報だった気もするな、今思えば、と、 まだ見ぬエイズに気を配りつつ、 ちょっと寝込んだだけなのに、急に体力無くなってる自分に驚き、 しかし平熱で、こりゃ三食きちんと摂って夜寝て朝起きる生活しなくちゃダメだな とか思う暇もなく、来週は69に80sにAniv.3rdで、 きっと多分、ドリンク剤飲んでいくんだろうなと、ちょっとだけ未来の自分を笑いつつ、 衝動買いしてしまった服を並べつつ、そうかーお前こういう風に持ってきたいんだー とか思いながら、バイトしろよと舌打ちしてみたり、 コーヒー飲みたくなって買ってきたはいいけど、紙がなくって、結局インスタントなのか? いやいや、ここまで来たらそういうわけにはいかんでしょ、んじゃ我慢するか、 とか訳の分からない我慢して、喉渇いてみたり、喉渇くと余計にひりひりする、 痛めた喉を気遣ってのど飴に手を伸ばして、気が付くと噛んでたり、 近づく夏休み、何するか?でも金はないぜ?に思いを巡らせつつ、おっ、 そういえば、ナッキー、テープ出来たのかなーUVで聞くの忘れたなーと思い出しながら、 聞かなくて良かったのかな?とフォローしてみたり、してみなかったり。 なんて努力してるウチに時計は進んで、ちっとも涼しくならなくて、 雨でも降れよー涼しくなるからーでも上がると余計蒸し暑くなんのよねーこれがー なんていって、シャワー浴びてみたり。 あ、やっぱだめだ。熱ありそう、、気のせいでなく。 あー黄色ブドウ菌。か?くそ、信じてたのに雪印。いや、疑ってなかったのにか。 まぁいいや。 (2000.07.07.from『69tracks on the WEB-Guestbook』) ↓ (2000.11.19.編)

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