今日は晴れ。
一度眠ろうと努力してみたものの、さすがに難しい。結局、6時頃まで眠れず、寝たら寝たでよくわからん夢を見て(元スタッフが出てきてよくわからん会話をしてた)、9時に起床、朝飯にトーストと目玉焼きを食い、珈琲を飲み、MLBを少し見て、出勤。相変わらず目はチクチクする。如何に花粉が舞ってるか分かるなぁ…でも、気温が高くなってきて過ごしやすくなってきたからまぁ良いか。今日の最高気温は、21度[前日比+5]の予定。
一度眠ろうと努力してみたものの、さすがに難しい。結局、6時頃まで眠れず、寝たら寝たでよくわからん夢を見て(元スタッフが出てきてよくわからん会話をしてた)、9時に起床、朝飯にトーストと目玉焼きを食い、珈琲を飲み、MLBを少し見て、出勤。相変わらず目はチクチクする。如何に花粉が舞ってるか分かるなぁ…でも、気温が高くなってきて過ごしやすくなってきたからまぁ良いか。今日の最高気温は、21度[前日比+5]の予定。
雨の中を歩くのが好き。 静かに、広がるように落ちてくる雨粒の中を、 身をすくめてゆっくりと歩く。 街は、屋根を求めて小走りに急ぐOLや、 片手に持っていた傘を慌てて開くサラリーマン、 カフェから出て、手をかざしながら談笑する女性や、 顔を曇らせて文句を言う工事関係者、 嬉しそうに身を震わせて飼い主を見上げる犬、 稼ぎ時、とばかりに慌てて自分の車に戻るタクシー運転手。 オープンカフェではスタッフが慌てて椅子を雨陰へと移し、 携帯ショップの販売員が憂鬱そうに外を眺めている。 そんな街の中を、僕は一人、歩く、 多分、傘を差した方がいいんだろう、今なら取りに帰れる。 でもね、まぁいいや。 雨粒は、灰色に乾いた空気の中をまっすぐに落ちてきて、 黒くざらついたアスファルトの上に落ち、瞬間にはじけて溶ける。 そんな様子が、こちらからあちらへ移動していき、 街は雨に包まれる。 街の音は雨音に溶け、 静かに、雨粒の流れへと身を委ねる。 僕は、その音を聴くのが、好きなのだ。
WYSIWYG読み方は、『ウィジウィグ』らしい。 blogの投稿画面を初めとして、最近結構見るようになってきてるし、 今後の、インターフェイスのキーワードになるんだろうけど、 でも実際これをきちんと搭載するのって面倒じゃね…? 目で見て編集できるのは確かに楽なんですけどねぇ… そういう、ユーザーフレンドリー(死語かも)な、インターフェイスが 好まれるようになってきてるってことですかね。 会社で使ってる、スタッフ用の更新プログラムに、 WYSIWYG的インターフェイスを搭載しようとして、 かなり嫌になってきてる、ワタクシでした・“What You See Is What You Get” の略。 「見たものが、手に入るもの」という意味。作成・編集時にディスプレイ画面で見たものが、そのまま印刷物やHTML文書として出力できることを言う。(IT用語辞典 e-Wordsより引用)
RSSって最近よく聞くようになったけど、結局なんなの? RSS使うとどんなことが出来るの? ていうか、便利なの? そんな疑問を良く聞くわけで、その度にわかったようなわからんような答えで説明してるんだが、 (専門用語を全く使わずに概念だけ説明するというのは非常に難しい) そんな方に朗報。 ITMediaの記事内で、 RSSとは何かから始まって、今後どうなっていくのか、みたいなところが、 上手にまとめられているので、 RSSに興味のある人は一度読むべし。 ITmedia エンタープライズ:特集:第1回 RSSの要約配信はさらに加速する
昨日はそんなに飲んでなかったので、比較的、楽な休日。とはいえ、一度起きて鼻炎がひどくなって薬飲んだら、また眠くなって、結局15時起床。うーむ。慌てて休みの日にすべきことを片づけつつ。
相変わらずの雨模様。今夜は69tracksのため、気力体力共に温存中。まぁ別に大はしゃぎするような気分でも、やけくそになる気分でもないわけで、普通に過ごせそうな感じなんだけどね。なーんとなく、なんかありそうな、何か起きそうな気配がある。気のせいかもしれないけど。 そういえば昨日の夜は、ネットに一切繋がずに寝たんだった。メールの量が凄いことになってるなぁ。
暫く更新もないし、とうっかりしていたら、 次々に仕様変更 / バグフィクス版、がリリースされてるじゃないですか。 まぁ大体は最新版じゃなくても大丈夫なんだけど、 (それぞれで一応安定してるから) 重大なバグフィクス、ちょっとした機能追加なんかが行われてるときもあるので、 まぁ気が付いたときには、アップグレードした方がいいですな。 というわけで、アップグレード。 Becky! Ver.2 BBS: Becky! Ver.2.20.07 Becky!
『GATE02』に収録されているECDコラムを一足先にWEBで公開した。 その中に、印象的な言葉遣いがあったので引用しておく。 ECDらしい考え方だし、また僕自身の思いにもかぶる(ECDの方がより深く考えているけれど) コラムとしても面白いので、良ければ読んでみてください。
「楽しみ」として供せられる音楽に対して限りなく横柄になっていくリスナーと呼ばれるひとたち。これは、過去のインタビューや、1回目のコラムでECDが書いていたことともかぶるのだけど、 それまでは、曲を聴いて初めの何秒かでDJとして使えるか判断し、 それでOKが出たものだけを買う、そういう買い方をしてきた…と言っていた。 要するに実効性重視の音楽選択だ。 僕自身もそういうことをすることがある。 試聴をしていて、フロアが思い浮かべられれば、買い。そうでなければスルー。 その音楽が良いかどうかなんてことは二の次だ。 全ての音楽にそうして接しているわけではないけど、 自分の好きな曲と好きな曲の間を埋めるためにかけられる曲達は、そうして選ばれる。 なんて、不幸な音楽選択だろう、と思う。 僕には、ECDが言うような、 実効性を求めない音楽、という感覚をまだ上手く共有できない。 自分に何も与えようとしない音楽をなぜ買うのか、 もしその音楽を買ったとして、そして聴いてみて、自分は何を感じるのだろうか? その感じたものは与えられたものではないのか、いや、 それはそれとして、この場合彼が述べている奉仕とはもっと別のものか… そうしたことをまだ上手く捉えられないが、 でも彼の書き表そうとしたことは、少しわかるような気がする。 だから僕も、ファッション誌のコピーをディスるんだろう。
例えば僕は最近、音楽誌等で音楽を語る言葉がグルメ評論家が料理を語る言葉と同じになってしまっていることがたまらなくイヤだ。美メロなんて言い方が大嫌いだ。音楽をサプリメントか何かのように扱い、実効性を求める。自分に合っているかいないかだけで評価する。クラブ・ミュージックというジャンルも、目的が踊らせることに特化しているからどうしても実効性に評価がかたよりがちだ。