中国人という人々。

僕には、中国人の友人はいないわけで(中国系の友人ならいるけれども) 中国にも行ったことが無く、 中華コミュニティとの繋がりもないし、 具体的に、『中国人は?だ』という感想を持ったことはない。 要するに僕の中に有る中国人というのは、 テレビを通してみた中国人および中国政府の態度とほぼ同じであり、 それは要するに日本政府を見て、日本人はみな腰抜けだと思われるのと同じで あんまり正しくはないだろうと思う。 聞きかじるいろんな話を総合した上で、 中国人ってのは本当に気にくわない奴らだ、というのはまぁあるわけだが、 要するに何の根拠もない。 誰かが悪口を言っていたとしても、自らの経験に基づかないと それほど説得力のある理由にはならないわけである。 そういうわけで、あんまり中国人を悪く言いたくはないし、 ジャッキー・チェンなどを見ても、みんながみんな傲慢だとは思わないけれども しかしやっぱり、総体的に見て、自信過剰で自己中心と言えるような気はする。 中国が嫌われる七つの理由 そんなことを思っていたら、上のようなページを発見した。 まぁなんだろうな、反中な人々が見たら、諸手をあげて喜ぶような、 台湾人学者による、超ディスコラムなわけだが。 それなりに説得力がある。 ちなみに七つの理由というのは、

1.自己中心 – 自分以外は人間ではない 2.ご都合主義 3.独善 – 悪いのはすべて他人だ 4.責任転嫁 5.人間不信 – 二人で井戸をのぞくな 6.土匪国家 7.危険な「友好」
の七つ。 まぁ、中国の政策的には、全て当たっていそうである。 はじめにも書いたとおり、『中国』という国について考えるのであれば、 要するに、利害関係を挟む関係であるので有れば、 このような特徴は現れてくるかもしれない。 友人として、隣人としている分には、 それぞれの人格に依るだろうとは思うけれども。 理由を説明せずに急遽帰国し、 自国で日本批判を展開した、中国政府を見ていて思った。 抗議するなら日本でした方が遙かに効果的だったはずで、 帰国後に表明したのは、要するに自国メディアへのプライドの誇示でしかない。 良い悪いは別にして、小泉の靖国参拝に対する姿勢が変わらないのは 今に始まったことではないわけで、 帰るくらいならこなけりゃ良かったわけである。 まったく、自己中心的な国だこと。

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ふう。

今日は、遅い午後、15時起床。昨日、『香港映画のすべて』を見てしまって、その後すぐに寝る気が起こらず、朝4時にビールを買いに出掛け、それを飲みながら寝てしまったから、なんだけど。15時に起きて、はて何をするんだったか…としばし考える。そうそう、今日は色々やることがあったんだ、ということで、着替えて、出掛ける。目的地は、川端ニック。というのも、うちの風呂、ひび割れてて水が漏るんだよね…実は入居したときからそうなんだけど、大家は全く親身な対応をしてくれなかったので、それじゃ部屋出るときにも金払わないからな、と決めて放置していた。それが最近、より広がって、深刻になり、入浴しながら本を読んでても全く落ち着かなくなったので…なんとか出来ないか、と。そういうわけで、浴槽のひびを塞ぐ接着剤を探しに出掛けたんだけど、当然の事ながら無い。なぜなら、普通そういうときは浴槽を交換するし、それに浴槽に接着剤を使うと言うことは、何らの薬品が溶けだして健康に害を与える可能性があるから、だろうね。そりゃそうだ。とはいえ、無策というわけにも行かないので…飼育用水槽などの補修に使えるボンドを買ってきた。…俺は金魚か?(笑)でもこれで上手くいけば儲けもの。くっつかなかったら何か別の手を考えることにしよう。溶け出すかもしれない薬品は………目をつぶることにしよう…(汗) そんなこんなで、それだけかって店を出る。その後、最近どうしても欲しかったマンガがあったので(とある作品の最終2刊なんだけど…文庫化されたこともあって既に絶版)、新古書店を回る。古本市場高野店(カナート内)→コミックショック高野店→コミックショック河原町今出川店。最後の店で、ようやく1冊見つけた。もう1冊も、全巻セットの中にはあったんだけど、『ばらせません』と言われて断念。まぁそれは残念だったけど、この店『コミックショック河原町今出川店』、凄かった。取りそろえが…マニアックすぎ。良くあるような、売れ線だけ揃えておくんじゃなくて、誰も知らないようなマイナーな雑誌の単行本や、昔のコミック、希少本(包丁人味平のコミックとか、サイボーグ009のコミックとか普通の店にはおいてない)がおいてあって、店長のマニアックさに驚き。極めつけは、いしいひさいちも少しではあるけれども揃ってたこと。マジか。作品のメジャーさ(旧くは『おじゃまんが山田君』『タブチくん』、最近だと『ののちゃん』)とは裏腹に、作家としてはマイナーな存在だけに、その中でもマイナーなモノがおいてあるのはびっくり。売れてんのかなぁ…『鏡の国の戦争』とか、『私には向かない職業』とか、誰が知ってると言うんだ(笑) まぁそんなこんなで、帰り。今週末、ちょっとしたことがあるので某店によって準備。フレスコで、もやしと牛乳を買い、家でジンギスカン肉を焼いて食べ、映画を見て、この時間。ふうう。まさに休日だった。明日は晴れるかなー

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MOVIE, tonight – LULU ON THE BRIDGE

『ルル・オン・ザ・ブリッジ』(1998年アメリカ)
ルル・オン・ザ・ブリッジ◇98年、米。ハーベー・カイテル、ミラ・ソルビーノ。発砲事件に巻き込まれて重傷を負ったサクソホン奏者。人生に絶望した彼は、偶然手に入れた石に導かれるように知り合った女優の卵と恋に落ちたのもつかの間、再び数奇な運命をたどる。ポール・オースター監督。
今日も今日とて映画。 今日はこれ。『ルル・オン・ザ・ブリッジ』。 昨日の、『スモーク』で脚本をつとめたポール・オースターが監督もつとめ、 ハーベー・カイテルを再び主役に起用している。 …と、映画の説明から話が入っていることから、 勘のいい読者はお気づきかもしれないけれども、 どんなに穿ってみても、特別に面白い映画ではなかった。 個人的には、音楽の使い方が好きだったけれども、 内容的には、30分ドラマでさえ作れるような気がした。 まぁ、素直に見ればね…人生の全てだった音楽を絶たれた男が、 不思議な石を通してある女優と出会い、そこに救いを見出しつつも、 結局は、救われない…わけだが、 なんだかなぁ。 どういったらいいのか分からないけど、 カット割りやセリフや感情表現や脚本や、全ての演出において エッジがきき過ぎてるような気がした。 こちらに考える暇を与えず、良く言えば力強く、悪く言えば強引に話を引っ張っていく感じ。 うーん、やはりスモークのたんたんとした流れは、監督の腕だったか。 悪い映画ではなかったけど、特に何も残らなかった。 ミラ・ソルビーノは魅力的だったんだけれど。惜しい。 ちなみに検索したら、 故・淀川長治さんの映画評があったので、 それもリンクしておきます。 淀川長治の銀幕旅行:ルル・オン・ザ・ブリッジ

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火事。

会計事務所に油まき放火 中京、男が逃走
24日午後2時45分ごろ、京都市中京区綿屋町の会計事務所の4階建てビルから煙が出ていると、近所の人から119番があった。2階と3階部分計約100平方メートルが燃えたが、京都市消防局が駆け付け、火は間もなく消えた。 五条署や消防局によると、会計事務所の女性事務員(27)がビル3階から飛び降り、足にけがをした。男が油のようなものをまき火を付けて逃走したといい、同署が男の行方を追っている。 同署などによると、ビルは1階が駐車場、2階以上が事務所。男は2階事務所に入り、火を付けたという。2階にいた女性事務員3人のうち1人が逃げ遅れ、窓から飛び降りたが、近所の住民が路上で毛布を広げて受け止めた。 男は身長160?170センチ。50歳ぐらいで青と白のポロシャツ姿。銀色の自転車で逃走した。(共同通信)
なんと。放火だったのね… 15時くらいに友達から、『近所で火事!』という連絡が入って、おお?と思ってたら。 最近あの辺、姉小路通り沿い?事件が続くなぁ。
火事の時の模様 photo by Mizuki

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鄭佩佩

『香港映画のすべて』 というテレビ番組をやっており、面白くて2時間半に渡ってつい見てしまった… 三部構成で、一部が武侠、二部がカンフー、三部がヒロインについて。 全く、最近の映画に対する興味と言ったらない。 給料が出たら、AmazonでDVD買おうと、本気で思ってるくらいだからな。。 その中でも、鄭佩佩(ティエン・ペイペイまたはチャン・ペイペイ)、 この人が気に入ってしまった。 あー、そうは言っても、1946年、香港生まれだから、もう…59歳? 確かに、もう年は取っているんだけど、 インタビューでのティエン・ペイペイは、すごくかわいらしい人だった。 まぁ、ティエン・ペイペイを中心に昔の香港映画にはまるかどうかはともかく… 先日のブルース・リー特集、少林寺特集以来、 昔の香港映画が気になってるんで ちょっと見てみようかなぁ、とも。

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MOVIE, tonight – SMOKE

『スモーク』(1995年アメリカ・日本合作)
スモーク◇95年、米・日合作。ハーベー・カイテル。ニューヨーク・ブルックリンの街角でたばこ店を営み、14年間、毎朝同じ時刻に店の前で写真を撮り続けている男性。彼の元恋人や妻を事故で失った傷心の作家ら、店を訪れる人々の人間模様を過去と現在を織り交ぜて描く。ウェイン・ワン監督。
何だろうな… エキセントリックな展開を期待してみたら、ただの映画。 よく、ヨーロッパ的な皮肉に富んだ、笑いを好きだと言うけど、 アメリカ映画には良くこうした、日常をそのまま描く、というスタイルがあるような気がする。 もちろん、ヨーロッパにもアジアにもそういうスタイルはあるんだろうけど 独特な…何かを信じ切れるような、馬鹿と紙一重の純真さというか(笑) そういう要素があるような気がする、 なぜ僕がそう感じるかはよく分からないけど。 (無知のなせるワザ、か?) とにかく、この映画、Smoke。 色々起きるけれど、まぁ、要は、全て煙のよう、さ。 振り回され、罵倒され、大怪我をし、打ちのめされ、裏切られ、 まぁでも、とりあえず生きてるしな。 そんなことを、感じた。

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京都の路面電車

京都には昔、市内を路面電車が走っていた。 京都に子供の頃から住んでいる人にはおなじみかもしれない。 僕はここで生まれ育ったわけではないけれども、 僕が旅行に来始めた頃…小学生?中学生の頃には、 まだ、三条通りにも路面電車(京阪京津線)が残っていた。 タクシーや、先を急ぐ乗用車が、 路面電車の通らない時間帯を把握して路面電車の線路内に進入し、 万一かち合ったときには電車がスピードを落として警笛を鳴らし、 自動車は慌てて車道へ戻る… そんな光景が、子供心に珍しくて面白かったし、 家族内でもちょっとした衝撃だった。 その後、地下鉄東西線の開通に伴って、京阪京津線は1997年に廃止になり、 今では、京都の路面電車は嵐電(京福電鉄嵐山線)の一部区間だけになってしまった。 路面電車(トラム)情報が詳しいサイト、Le Tramによると、 京都は日本で最初にトラムが開業した都市、だそうだ。 Le Tramでは、 世界各国のトラムを研究しており、メリットも有ればデメリットもあることを指摘している。 失敗例も挙げられていて、それによると、 失敗の要因は主に、安全性、収益、効率。 事故や故障が頻発しては客も集まらない。 バスとの競合が激しければ、利益を上げられない。 効率が悪ければ(例えば都市の起伏が激しく、線路が迂回してしまって便利でないなど) やっぱり、客は集まらない。 やはり、ロマンだけではどうにも… しかし、そんな中、京都でもう一度トラムを走らせようと言う動きがある。 場所は、今出川。 地元の人も参加した上で、 『今出川通りに路面電車を走らせる実行委員会(今電会)』という会を作り、 その実効性について検討している。 走らせる車両は、昔ながらのスタイルではなく、ヨーロッパで主流の最新のタイプ。 バリアフリーだし、省エネルギーだし、 なにより、『新しいことを取り入れつつ古いことも守っていくのが京都』(今電会会員の言葉) というところもある。 僕も、市街を走る路面電車をもう一度みたい。 しかし、今出川…なぜに今出川? 今出川って、本当に狭い。 タダでさえ狭いところに、トラム用に車線を割いて、大丈夫なのか? 路面電車のせいで交通が渋滞することは十分にあるだろう。 自動車の過剰さや、善し悪しの問題とは別に、現実として、あり得ることだ。 また、バス・タクシーの発達した京都に置いては、 運営会社の採算性にも疑問がある。 決して、即決して出来ることじゃない… (シムシティでは、道路一本も作らずに線路だけで街を作るのも出来たけど) でももし、実現して走るようになったら、良いだろうな、とは思う。 東は銀閣寺から、西は北野白梅町まで。 (橋も渡るようにするつもりらしい…百万遍以東は若干坂がきついけど) 京福電鉄に乗り入れられたら、嵐山まで行ける。 出町柳には京阪もある。烏丸には、市営地下鉄もある。 結構、便利かもしれない。 バスって、便利なようで不便だからね…(路線が多すぎてたまに乗る人には覚えられん) プロジェクトがあまりにでかすぎて、 なんだか、実現できるのかどうか、現実感がわかないけれども、 是非、実現を。 何らかの形で、協力してみたいですね。はい。 今出川通りに路面電車を走らせる実行委員会(今電会) http://www.geocities.co.jp/WallStreet/6241/imaden.html Le Tram http://eurotram.web.infoseek.co.jp/jp_top.htm

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醜い争い? – 東京都議会、副知事に辞職要求

以前のこともあるので、このことが正しいのかどうかには言及しない。 ただ、記事中、ハテナ?なことがあったので、その指摘を。

東京都議会:与党、石原知事側近の浜渦副知事に辞職要求
東京都の浜渦武生(はまうずたけお)副知事と、都議会知事与党の対立が抜き差しならない状態になっている。浜渦副知事は、石原慎太郎知事が国会議員時代から30年以上、秘書などとして仕えてきた側近中の側近。だが、自公は調査特別委員会(百条委)で「偽証」をしたことなどを理由に辞職を要求している。次回の百条委は31日。石原知事は側近に責任を取らせるのか、それとも守るのか。17万人の都職員も成り行きを注視している。【高木諭、大槻英二、田中義宏】
話を極めて簡単に言うと、 副知事は偽証したので辞職せよ、と都議会が迫っているということのようだ。 副知事は、知事の長年の秘書で、現在かなり大きな権力を持っているそうだから、 まぁ、恨まれる背景は十分あり得る(真実は知らないが) 議会と、行政の対立は、東京都に始まったことではないし、珍しくもないんだが、 ただ、議会側の言い分がよく分からない。 状況は上で書いたとおり、『偽証した』ので辞職せよ、なのだが、 本当に偽証したかどうかは、実はわからないのだ。 百条委員会で、副知事の答弁が偽証だった、と決定づけられたが、 これは多数決による決定であり、公平な真実の吟味があったか疑問である。 そもそも、『民主党にやらせ質問をさせた』ことが、 民主党を除く各会派で認められたことが、何の意味を持つというのだろう。 とても、民主的な議会とは思えない。 問題は、補助金をどうするかであって、 副知事の発言が、仁義にもとるかどうかはどうだっていいんである。 それは都民が決めるから、都議会は黙って自分の使命を果たせば良いんじゃないのか? そんなに辞めさせたいなら、都民に説明し、署名でも何でもすればいいし、 何らかのリコール決議だって行えるだろう。 話を面子の問題に置き換え、さらにそれを進退問題に発展させる、 手法的に何らかの醜い争いがあるように、示唆させる。 要は、ただのクーデターなんじゃないのか? 真実はどうか解らないし、副知事が辞職したりするかもしれないが、 百条委員会の権力を盾に、副知事を辞めさせたって、問題は解決していない。 副知事は大きな権力を持っているそうだが、辞めさせて都行政や都民にプラスになるのか? 大方、面子を潰された誰かの裏工作じゃないのか?(推測です) 首都の立法行政を司る都議会が何をやってるんだ。 プチ国会は要らないぞ。 …まぁ、東京なんか、どうなったってしらんけど。

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人格と価値観の多様性

たくさんの人間が自分の中にいることは、誰でも良くあるのだけど、 多重人格と違うのは、様々な価値観があるだけで、 いろんな人格があるわけではない、ということだ。 PCでたとえて言うなら、いろんなOSが載ってるのが多重人格で、 OSは1つだがいろんなアプリケーションが入ってるのが 『価値観が共存する』と言うことだろう。 1つの画像を加工するのにも、Photoshopと、Fireworksと、フリーウェアでは、 サイズや色合い、減色のうまさ、その他色々と違う。 元は1つなのに出力は様々になる。 しかし、OSやアプリケーションに何らかの欠陥があるのか、 と言うとそうではなくて、それは、それぞれが、 それぞれなりの価値観を持っていると言うだけだ。 1つのことに対して2つの価値観が存在することは、当然だが不自然ではない。 例えば、灰色という色に対しては、 状況によって『明るい』『暗い』という2つの価値観があるし、 『明るいかもしれないが暗いとも言える』という価値観も存在する、 どちらかを決めなくてはいけないのなら、 自分の中で2つの価値観が対決し、 何らかの根拠を盾に一方が主張を押し通すことになる。 根拠や、動機が十分でない場合には、どちらでもないという回答もあるかもしれない。 (状況にも依るけれども) これは、色ではない、もっと大きくて複雑な問題であっても変わらない構造だし、 当たり前だが、人格ではない。 人格というのは、恐らく、そうした価値観を束ね持っている存在で、 人格と価値観は相互に依存している。 人格が価値観を生み出すも言えるし、価値観が人格を作り上げるとも言えるだろう。 でも、異なる人格から同じ価値観が生み出されることもある、 世間一般を眺めればわかるとおり、 1つの価値観に対して1つの人格が対応するようなことは滅多にない、 もしそんなことになったら、 複数の人間が出席する会議なんて、上手く行きっこない。 (価値観が多様すぎてしまう) 一般的に、人格というのは取り替えようがない。 欠陥が発覚したからと言って、アップデートすることは出来ないし、 最新版に乗り換えることも出来ない、 古いOSで動く人はあくまでそれベースでアプリケーションを動かすしかない。 実際問題、どんなOSにだって欠陥はある、 OSの欠陥をアプリケーションで埋めるのは難しい、 ただ、アプリケーションの動作において、 欠陥の影響を極力小さくするようにすることは出来るだろう。 上手く動かないアプリケーションを、一時的に使用不可にすることも可能だろうし、 もう使わない、と決めたなら、アンインストールすることも重要だ。 OSの欠陥を嘆いても始まらない、変えようがない、 必要なことは、どうしたいか、を認めるだけだろう。 例えば、『何も出来ない』と言うことは簡単なのだが、 その前にまずやりたいのか、やりたくないのか、というポイントがある、 そして、やりたいのなら、やり方に問題があるということになるだろう。 人間をコンピュータにたとえることに抵抗のある人もいるかもしれない、 でも、もともとは、人間を模して作られたのだから、 有る程度似ていることは仕方がない。 僕らは、コンピュータのようには合理的に出来ていないけれども、 たまにサボタージュに入ったり、いきなり治ったりするように、 コンピュータも結局訳が分からない、その点では同じだ。 この文章で言いたいことは特にないが、 自分の中に多様な価値観を認めることは、非常に大事だし、 違いの理解を、擬人的なやり方に頼るのは、 時間稼ぎにしかならないということを書いておきたい。

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