Visual Studio Codeを愛してすらいる
最近コーディングをするときはどんなプロジェクトでも基本的に「Visual Studio Code」なんですけど、今までと違うところは便利に使いつつも「これじゃないと困る」みたいなことはまったくないところですかね。今までだと「Eclipse」だとか「Atom」だとかコミュニティが発達していて色んなカスタマイズが存在する道具を使い、自身でもカスタムして自分だけの道具を作るみたいなことを良くやっていたんですけど、今は何というか「人が用意したツールでも大きく変えることなく便利に使うことが出来る」って感じ。「良い仕事は良い道具から」という考え方が変わったわけではないんですけど、じゃあその「良い道具」というのはなんなのかというね。
自分が使いやすいのが良い道具なのだと長いこと思っていましたけど、それと同じようなことは人が良い道具と呼ぶものに自分が順応することでも果たせるということに気付いたのでした。そういう意味で僕にとって「Visual Studio Code」というのは偉大な存在であり、まあプロダクトとしては普通の、あんまり個性のないヤツなんですけど、深く知ってみると案外味のある良いやつで、そんな彼(彼女)のことを僕はもう愛してすらいるなと。これで良かったんや。
過去に言っていたこと
GitHubのエディタ「Atom」が開発を終了【マジか】
結局「Visual Studio Code」を使うことにしましたよ
「Microsoft製のソフトウェアが自分に合うとは思えない」→「Visual Studio Codeはどうやら例外っぽい」みたいな流れなんですけど、Microsoftってなんかこうここ10年ぐらいでものすごく変わりましたよね。
Microsoftは自由になってる
まだOfficeとかOutlookとか、悪い意味でのレガシーを引きずっている部分はあるけれど、AzureとかVisual Studio Codeとか、買収したGitHubとかMinecraftとかの感じを見てると昔のMicrosoftとは全然違う印象があります。なんだろうなー昔はね、組み込み製品みたいな印象だったんですよ。カスタマイズだとか柔軟な対応だとかに弱い感じ。自社向けの自社ルールにだけ強い感じ。
今はもっと技術者の会社になった気がします。オープンソースが最適解ならオープンソースにする。業界標準があるならそれに従う。コミュニティが活発ならそこに合わせた開発を行う。なんかそんな感じ。昔の中央集権的なマネジメントとは全然違いますよね。もちろんMicrosoftの現場のエンジニアたちは今も昔も変わらずそんな感じだったとは思うんですけど、でもね、会社としては違ったからなー。俺か俺以外かみたいな。
それが解き放たれて自由になってる感じがします。
最近マジで道具にこだわらなくなってきてる
そしてそんな経験をふまえて今感じることは、汎用的なツールを使っていつでも代替できる環境で開発することはとても大事だということです。だいたいどのツールを選んでも似たようなことは出来るし、大事なのはプロジェクト内で共有できること。自分の使い勝手とか二の次なんですよね、正直。そういったことを許容できてるなと気付いたとき、ああ、道具にこだわらなくなったんだな僕と実感しました。思えばメールソフトを止めてGMailに一本化したり、ブラウザをChromeにしたりしたときにもそういう萌芽のようなものはあったのかも。便利に使えれば何でも良いよ。そしてみんなが良いというものはだいたいに於いて、ある程度便利だと思うし、それでいいんじゃないか。
大事なことは道具が存在感をなくすこと。道具が存在感を持つ限り、仕事が完全に主体になることはないからなあ。ちょっとわかってきた気がします。