テーマを思いつくことと記事に出来ることとは違う
ブログ記事にせよ日記にせよ毎日何かを書く作業をしていると、「何かを思いついたらメモをする」というのが習慣になってきます。めちゃくちゃ記憶力の良い人ならそんなことをしなくてもアイディアを整理・保管出来るのかも知れませんけど、一般的に人というのは何時間かすれば頭からするりと抜け落ちてしまい、1日も経つとまったく思い出せなくなってしまうものだと思うので、アイディアをメモするというのはとても重要です。手書きでもスマホでもなんでも。
で、そんな走り書きのメモを頼りに何か記事を書こうとすることが良くあるのですけど、まあこれも良くある話で、自分が書いたメモを読んでみてもその時自分が何を書きたかったがさっぱりわからない。今手元にあるメモから抜き出してみると、
- 低俗な映画が好き
- ケッパーの使い方について調べる
- 敵意がないことをアピールする
このあたりはそれを書こうとした背景も含めてなんとなくわからないでもないんですけど、
- ロイヤル以外の蜂は存在しない
- 人の特性は相対的であり二次元的
- 脳のクロック周波数
この辺になってくるとメモのインパクトはあるものの何言ってるんだか全くわからない。なんなんだろう。もうちょっとなんかこう書き足されていれば、それがどういうことなのかのしっぽぐらいつかめるかも知れないけれど、いやあ、難しい。
ポイント:最初の3センテンスが浮かぶかどうか
結局のところ、メモ書きや走り書きを見て記事が書けるかどうかの分かれ目は、そのメモだけで最初の3センテンスが浮かぶかどうか。長編小説なんかは違うだろうけど、このブログの記事みたいな1,000文字前後の軽いエッセイの場合、最初の走り出しが決まれば後は最後まで書けちゃうもんですよね。きっかけ重視。だからまあメモに残すときにはそのメモのインパクトも大事だけど、そこからせめて3センテンスが繋がる程度の説明は必要。
今書いてるこの記事の場合は、メモ書き「あるテーマについてブログ記事が書けるかどうかの判断基準」の下に「最初の3センテンスが浮かぶかどうか。綺麗さっぱり忘れちゃって書けないこともある」という補足があったので、そうかそうか、そうだよねと記事に出来ているけど、もしそれが無かったら「さて僕はどういう時に書けるんだろう」というところまで戻る必要が生じて、多分面倒くさくなって書かない。思い出すより考える方が楽だと思うんですけど、1回思いついたはずって思うとなかなか戻れないんですよね、人間ってやつは。
逆に言えばそういったことさえ気をつけていれば、もっと思いつきを拾ってネタにまで昇華させることが出来るようになるよね、と思うんですけど、時間が無いときもあってなかなかね。「相対的であり二次元的」の意味が知りたいわ……
そして最後に立ちはだかる「面倒くさい」の壁
そんなこと言ってるけどこの記事も下書きから正式な記事になるまでに実は10ヶ月掛かってます。ブログの下書きを作ったのが2022年10月だから、思いつきからするともっと経ってるかも。最初の3センテンスは浮かんだんですけどね。どうにも面倒くさくなっちゃって。いつでも書けるからなかなか書かないってこともあるのかも。思いついたときに記事まで持って行けると良いんですけどねー。人ってなんでこうメモできないときに限っていろいろ浮かぶんですかね。昨日、お風呂で思いついたことが2つ、3つあったはずなんですけど今はもう全く思い出せません。何だっけかなあ、、
昔このメモ帳好きで良く使ってたなー。最近は全くメモ帳を持ち歩かなくなりましたけど