【レビュー】中村計 / 笑い神 M-1、その純情と狂気

笑い神
実はまだ読み途中なんですけど異例のレビュー






第一期M-1の歴史

第一期M-1を笑い飯を中心に芸人それぞれに焦点を当てながら振り返るのが本書。もうね、丹念に丹念にを重ねて(©大泉洋)取材を重ねて証言を集めたのが初っぱなからよくわかる構成になってていやあもうほんとにね。ものすごい面白い。M-1前夜の世に出る前の笑い飯と千鳥。最高すぎる。

そのうちM-1が始まり、そこでの様々な芸人の思いや状況を丹念につなぎながら第一期の終わりまで描いていくわけですが……いやまだ第二回までしか読んでません。いや、そこまでしか読んでないんですが紹介したい。それぐらい面白い。





関西人は絶対に読め

昔から中村計さんの各文章が好きで。Number誌に掲載されるたびに気になってたんですけど、最近はスポーツ以外にもお笑いのライターになってるというのを風の噂には聞いてました。そしたら、先日発売されたNumber初のお笑い特集。







そこに中村計さんのテキストと新刊の紹介がありました。全文は有料版でしか読めませんが、冒頭はこんな感じ。


今年も3回戦からM-1予選に通った。

 酷だな――。

 毎年、各段階の合否発表を眺めるたびにそう思う。だが、M-1の巨大な引力は、そこにある。

 今年は史上最多、7261組のエントリーがあった。そこから3回戦に残れるのは299組。4%程度だ。ここまでくると、ほぼプロだ。漫才に人生をかけている人たちと言っても過言ではない。

 今は解散してしまったが、女性コンビとして初めてM-1決勝に進出したアジアンの馬場園梓は言った。

「自分のネタを人に見せるのって、肛門を見せるぐらい恥ずかしいことなんで」

 日常で人を笑わせることは、そんなに難しいことではない。しかし、入場料を取り、人を笑わせる職業に就いている人間としてステージに立ち、おもしろいことを見せてくれて当たり前だと思っている人間を笑わせることは、まさに巨大な岩を動かすくらいのエネルギーを必要とする。ましてや、目の前の人間が自分のことをまったく知らない場合、岩の大きさは何倍にもなる。

 だから、芸人は自分をさらけ出すのだ。心を裸にし、全精力を注いで、人を笑わせにかかる。だが、ほとんどの漫才師たちが敗れる。自分の「裸」を否定され、ダメージを負わない人間はいまい。

[喪失と再生の物語]漫才に身を賭して 笑い飯に引き寄せられた者たち – 他競技 – Number Web – ナンバー



ケンドーコバヤシ「中村さんのやっている行為が、一番寒いと思いますよ」

お笑いは表を見て楽しむものであって、お笑いの何が面白いか解説したりその裏側を描くのは無粋だというのがケンドーコバヤシの意見。確かに裏側をあまりに見過ぎたら漫才を見ても素直に笑えなくなってしまうかも。そういう意味でケンドーコバヤシの主張は正しいとは思うんですけど、逆に言えばそれだけ中村計さんの取材が核心に迫ってるんだと思うんです。嫌なんでしょうね。芸人としては。

ライターの人が収入を得るのは本当に大変だろうなあと思うんですよ。どんだけ手間掛かってねん。しかも取材してるときはきちんと実を結ぶかどうかはわからないわけで……すごい。







まとめ:とにかく読め

まだ読んでる途中ですがとにかく薦めたい。とにかく広く読まれて欲しい。今年も残り少ないけどベストセラーになって欲しい。読み終わったらタダであげるから読んで欲しい。


お笑いは……良いよね。生きる意味になる。