大平一枝さんの大好きな連載「そこに定食屋があるかぎり。」の最新号で、子供頃恥ずかしかった父親の「いらっしゃいませ」に対して、店主の方の今のお思いが語られていました。
慣れてきた頃にわかった。嫌でしょうがなかった「いらっしゃいませ」は、絶対に必要なもの。この街でのれんを構え、胸を開き、どんな人も朗らかに威勢よく迎え入れる最初の挨拶は、自分にもお客さんにも必要だったんだと。
野菜炒めの奥深さに目覚める。全旨・町中華 【ピーマン肉炒め定食】丸昭中華料理店|そこに定食屋があるかぎり。|大平一枝|cakes(ケイクス)
「いらっしゃいませ」は、言い続けて聞き続けてワンワードになってしまっていると忘れてしまうけれど、文字通り「よく来てくれましたね」という意味であり、来た人を歓迎するための言葉です。「いらっしゃいませ」の対訳として「May I help you?」を当てられますが、なんか違うんですよね。「いらっしゃいませ」には感謝の気持ちと受け入れる気持ちがある。それを言わなかったり、聞こえないような声で言ったり、誰に言っているのかわからない言い方で言ったりするのはちょっとね。届かない。
「店に来たお客さんに給仕をするわたし」ではダメなんですよ。それは接客じゃないです。ガワは店であったとしても、そこに「わたしとあなた」がないといけない。座っている席は店の設備ではなくて私が提供した座席で、そこに店から食べものが出てくるのではなく私があなたをもてなすという意識。そういう意識の一番最初の部分があなたに届ける「いらっしゃいませ」であるべきで、スタッフ間の「客が来た」の符丁であってはいけないし、賑やかしなだけでもダメ。大事なんですよね。
社会人生活の2/3ぐらいの期間、エンジニアとして働いてきてほとんど発声しない生活をしてきたので、仕事で僕を知っている人が飲食業で声を出しているイメージと繋がらないみたいなんだけど、大学時代を知ってる人からするとむしろそっちの方が自然なんじゃないかなと思う。そもそもさ、挨拶もせずに黙って仕事するのなんて合ってないんだよね。
忙しくて心の余裕がないときであっても、そういう一番最初の大事な部分は忘れないように。むしろ思い出して余裕を取り戻すように、そう心掛けたいと思っています。そうじゃないとね。