教えることと、教えることを教えること

教えるのが下手な先生のイラスト(男性)

人にものを教えるというのは、ある程度までは経験に基づく技術です。もちろん得手不得手というのはあるとは思いますが、仮に苦手だったとしても経験を積むことで教えることが出来るようにはなります。逆に言えば、教えるのが上手ではないというのは、教える技術が足りないということです。



教えるとは、教える相手があってのもの

1対1で教えるときに個人的に一番大事にしていることは「相手に合わせる」ということです。教えるときには通常、そのネタになるマニュアル的なもの(文書であれ口伝であれ)が存在していると思うのですが、それに沿ってそのまま教えてもなかなか上手く入りません。なぜなら人によって入りやすいポイントと、入りづらいポイントが違い、それによって教えるスピードやテンポが変わるからです。

わかりやすい例としては、多くのことを素早くつかんでいくタイプと、1つずつだけど確実にものにしていくタイプがあります。前者はマニュアルを早いペースでこなしてくでしょうし、後者はなかなかこなせないように見えるかも知れません。一見すると仕事が出来るのは前者というように見えがちですが、クオリティを比べると実は後者の方が上かも知れない。マニュアルはいずれ読み終わるものだし、なぞるのが得意なタイプは最後には低いクオリティの仕事しか出来ないかも知れない。


2人それぞれに対して教え方は変わってくるべきです。



覚えが早くても遅くても最終的にはあまり変わらない

前者の場合には、理解しているように見えるので次々新しいことを教えてしまいがちです。ベテランである自分がいつもやっているマニュアル外のことも全て伝えるとかね。でもそれをすると、最初に覚えておくべき基礎的な部分が希薄になって、あとのクオリティに響きます。何でもすぐ出来るからこそ、スピードを落としてクオリティを求めるべきです。最終的に求められることは、スピードとクオリティ両方であるということを理解してもらわなければなりません。

逆に後者の場合は覚えの悪さに焦れて、本当はこれもこれもしなくてはならないのにと思いながら、教え方が雑になってしまいがちです。気持ちはわかりますが、後者のタイプは理由も交えてきちんと丁寧に教えれば次のステップから手戻りすることが少ないタイプでもあります。そういうタイプはその日の課題を絞って明確にして、それを着実に超えていく経験を積ませることが大事です。「ゆっくりでも自分は成長できるんだ」と自分で認識させることで、後々独力で成長するモチベーションにもなります。



教える側の方にも「自制」が必要

教えるのが下手な人にありがちなのは、教えることをなぞることを繰り返すこと。とにかく覚えろ、出来るようになれと繰り返すこと。それだと、それがスッと受け入れられる人間の能力しか向上させられません。でも実際にはそんな人間ばかりじゃないですよね。

必要なのは相手の状況を見てリクエストのレベルを変えること。自分にとって必要だからリクエストするのではなく、相手に受け入れる余地があるのを確認してリクエストを出すこと。面倒くさいけれど結局それが一番効率良いんですよ。教える側の方にも「自制」が必要なんです。自分の要求を伝えるだけの人は教えるのが下手で、出てくる人材のクオリティもバラバラ。たまたまあった人間だけが育つ感じ。相手のことをきちんと見ている人はやっぱり教えるのも上手いし、そこから育つ人材もクオリティが高い。



教えることを教える

人にものを教える人を見ていて、そういうことがわからないままぼんやり教えてる人って結構多くて残念だなと思います。きっと上手な人に教えてもらう機会が少なかったんでしょうね。後輩がきちんと教えられるように指導することもまた、教える側の責任だと思います。職場によって育成のクオリティが安定して高いところもあれば、著しく低いところもあってお前ら何やってんだよと思ったりするんですけど、たぶん教える人間を指導する人間の能力が低いんでしょう。そういうのは誰かきちんとした人間がいる内に、属人性から職場の習慣に昇華させていかないといけないと思うんですけど、失敗したんだろうなあ。

本当は、教えることより教えられる人材を育てることの方がずっと大事なんですけどね。




スポンサーリンク

スポンサーリンク