今は住民票は京都市にあるので「元静岡人」ですが、まあそれでも静岡に愛着を持っていることには代わりありません。そんな元静岡人の僕にとって「おでん」と言ったらやっぱり一家言あるもの。おでんは濃いめの味噌味に限るし、青のりとダシ粉は必須だし、食べるのは家では無くて「おでん屋」だし、揚げ物や焼きそばつきものだし、はんぺんと言ったら黒はんぺん以外の選択肢などあり得ないし、おでん屋つったらメロンソーダかガラナでしょという。まあ僕の思い出の8割は現代では通じませんが、まあそんなことは良いのです。僕が食べていた静岡のおでんというのはそういう文化背景を持つものでした。
さて。
「静岡おでん」という料理が脚光を浴びるようになってしばらく経ちます。とあるライターの方が取り上げたのがきっかけだったのかな。静岡のおでんが日本全国で一般的に言われるおでんと異なることを明らかにしたという点で、とても意義深い事件だったと思うのですけれど、そのおかげで静岡のおでんが脚色過剰になり、また、全国のおでんによって薄められているなと感じます。なんだろうな「消費者の声」という圧力が強いなと。
なんでそんなことを言っているかというとですね……まず、この画像を見てください。
これは、蒲菊さんという静岡で有名な蒲鉾屋さんのサイトに掲載されている「静岡おでん」の参考画像です。これを見てなんかおかしいなと思えた人は解っている人ですね。ぱっと見でおかしい点は次の通り。
- おでんに「ウィンナー」のような肉加工品は入れない
- おでんに大根は入れない
- おでんに鳴門は入れない。そもそも練り物はそんなに入れない
なぜ入れないかは簡単です。つゆの味が変わってしまうからですよ。静岡でおでんを好んで食べている人で、この問題が理解出来ない人はいないでしょう?あのおでんにウィンナーなんか足したらどうなりますか?肉の脂なんか溢れた日には台無しです。静岡のおでんに入れる肉はモツ、ないしはスジと相場が決まっています。おでんに大根を入れたらどうなりますか。水が出てつゆが薄まるじゃ無いですか。ただつけ込むだけで無く、タレやだしとしても使うあのつゆが薄まって良いわけがありません。ごぼう巻きやさつま揚げが入ることはあっても、鳴門はねーんじゃねえかな。
老舗おでん屋「大やきいも」のおでんメニューはこんな感じです。
うんそう、今「静岡おでん」として主に静岡でちやほやされている料理は僕が知っているおでんとは違うんです。いや、昔からおでんを出している店のおでんは違いますよ?先ほどあげた「大やきいも」のおでんは僕が知っている昔ながらの静岡のおでんですが、最近「静岡おでん」と言って売っている、例えば居酒屋にメニューとして据えられている「静岡おでん」は静岡のおでんじゃありません。
だいたいねえ、元静岡人と言わせてもらうとだな、「黒はんぺん」という名前がそもそも静岡のおでんじゃないんですよね。「黒はんぺん」というのは、東京人に媚びた呼称ですよ。いつから静岡人はあれを「黒はんぺん」と呼ぶようになったんですか。情けない。静岡人にとってあれは「はんぺん」そのものではないですか。静岡人にとっては「黒はんぺん」こそはんぺんであり、よくあるはんぺんは「白はんぺん」。それが静岡のおでんってもんでしょう。そういうとっから違うんですよね……
もちろん、静岡おでんを正しく認識し推進している人たちもいます。「静岡おでんの会」に記載されている内容は、正しい静岡のおでんかなあと思います。
静岡おでんの会
ただそれだけでは、「常識的なおでん」に支配される静岡おでんを救うことは出来ません。常識的なおでんを好むひとからすれば大根や練り物など一般的な品目を静岡おでんに加えようとするのは必然ですが、でもそれでは静岡おでんは維持出来ない。静岡おでんにとって、そのつゆは、ただの煮込み汁とは違うのです。
観光のために名物を持ち上げるのは良いのですけど……都合良く改変されないよう、上手く「保存」することも考えてもらえると、その文化的価値を長く維持出来ることになると思います。外部からみた感じでは、既に危機的状況だと思いますよ。市内には自分解釈の「静岡おでん」が溢れ、常識的なおでんとの差異はどんどん小さくなっています。そんなんと違うでしょう。静岡おでんは。皆さん、どうか頑張ってください。子どもの頃から食べてきた静岡のおでんが、注目されたのを機に変わってしまったとか、あまり聞きたくない話です。