大人であること。


何か問題が起きたときの対応の仕方で、大人だとか、子供だとか言われる。

まぁ、そんなのは所詮場当たり的なことで、
僕も大人だとか子供だとか言われるし友達にも言うけど、
実際問題、そんなに本質的なことではない…というか状況によって変わるし。

ただこの間、そういう話をして、
家に帰って1人でぼんやり考えてて気付いたんだけど、
なんていうかなー、その問題に対する“ファースト・リアクション”で、
大人だ子供だって言うのは、何かちょっと違うかも。


僕も誤解してたんだけど、別に大人だから苛つかない…というわけじゃないんだよね。
大人であると言うことは、全てに寛容であるとか、感情を抑え込むとか、そういうことじゃなく。
どんなに『大人な』人間であっても、やっぱりイライラはするわけです。
不満に思うこともたくさんある。


でも大事?なのは、例えそうであっても問題解決に対してどういう行動を取るかであって。


僕自身がすごく気が短く、喧嘩っ早く、よく通信簿にも書かれてた(苦笑)から、
色々と考えてきたんだけど、
結局、子供であるって言われるときは、
問題の解決よりも感情のカタルシスを優先させる時が多い気がする。

感情面でのカタルシスは、それはそれで健康に欠かせない要素の一つではあるけど、
それを優先させることで、取りうる行動の幅が制限されたり、
結果的に問題の解決を後回しにしてしまったりする。
何か問題が起きたときに重要なのはその問題を解決することなわけで、
(解決が重要でないならそれは問題ですらないし)
それをきちんと考えて、そこまでの道程を考慮できることが『大人』なのかな、と。


その上で、自分に有利な方向で問題を解決することに、
感情面でのカタルシスを得られるメンタリティを獲得するというか。
子供だから喧嘩する/大人だから喧嘩しないのではなくて、
大人には大人の喧嘩の仕方があるってことなんだろうなぁとか。


例えば何か相手に不備があったときにそれを追及するのも1つの方法ではある。
でも、その追及を厳しくは行なわずに指摘だけにとどめることで、
他の別のことについて譲歩を引き出す…というのも立派な交渉術だし、
状況には依るけど、良く見極めれば二つ合わせて悪くてプラスマイナスゼロにできる。

空気が険悪でないから喧嘩に見えないかもしれないけれど、
これだって十二分に喧嘩だし双方にリスクもある。
そういう対応こそが大人な対応なんだろうなと僕は思う。

感情を抑え込むこととか、最近流行の空気を読むとか、
そういうのは注目されればされるほど大人な対応に付随するちょっとしたコツにしかならなくて、
それ自体を目的に据えたり、努力目標ないしは能力の基準とするのは、
問題解決って言う実地視点で見ると明らかな本末転倒だよねっていう。



…偉そうなこと書いたところで、僕が実践できてるわけでもないんだけど。


でも、まぁ良いか悪いかは読んだ人の判断に任せるとしても、
僕はそういう感じの対応が出来る人間になりたいんだろうなと思った。

尊敬する人は、大人な対応で相手を笑わせられる人、かな。