選挙が終わりました。

期間中、思うことはたくさんあったのですけど、なんとなくブログ記事を書く気にならなくて、その分、FacebookやTwitterに書き散らしていました。その辺を上手いことまとめて書いておきたいと思います。感嘆文みたいなツイートではない、なんだか真面目ぶった独り言ツイートは、基本的にはあとでブログでまとめようと思って書いているのでね。そのままにしてたら自分の思いごと流れて行っちゃうし。


散漫な文章になっているので、いくつかのテーマに分けて書きます。


「投票に行かないと日本は悪くなる」は間違い

「選挙行こうぜ」って言う人を見るたびに僕はそんなことを思ってました。なんていうかさ。自分が投票した人が当選したとして、その人が日本を良くしてくれるかどうかなんてわからないじゃん。それは民主党が政権を取り退場するまでの3年間を考えれば解ることだと思うのだけど。

「投票に行くことが良いこと」だと思って、自分で調べることもせず、何が必要かを考えることも無く、ただ自分の1票を投票箱に入れることが日本を良くすることに繋がるんだと思っているのであれば、それはまあおめでたいよね、という話です。これは、投票率を上げるとご褒美があるという単純な話では無くて、誰かを選ぶというもっと真面目な話なんですよ。

よく「意識高い人」が「投票に行こう」なんて言ってますけど、それは「私の考えに同意して下さい」という意味であって、「投票に行こう」とは無関係ですよね。仮に意識の高い人が十分な数いて、その意識高い人たちの言っていることが正しいのだとしたら、意識の低い人(きちんとした候補者を選ぶことが出来ないひと)はむしろ投票しない方が日本のためになると言えますよ。全体の投票率が下がれば下がるほど、「若者はもっと投票しろ」と言って活動している人たちの主張が通りやすくなるんだという現実を考えてみるべきです。明らかに矛盾があるでしょう。僕は、そういう言動は欺瞞だと思っています。


さて、じゃあ、僕は日本人は投票になんて行かない方が良いと思っているんでしょうか。

もちろん、違います。投票には行くべきです。



投票することは日本を知ること、自分が日本人であると示すこと

先ほどまでの話の中で、僕が違和感を持つポイントはどこだと思いますか?それは「意識高い人の言っていることが正しい」という部分です。正しいとは何か。どんな選挙であれば適切だったと言えるのか。僕が考える適切な選挙とは、日本国民の総意が政策に反映されることです。意識の低い人や高い人、解ってる人や解ってない人、そういう日本を構成している人たち全員の総意で無ければなりません。

資質の違い、例えば頭が良い/悪い、遵法意識が高い/低い、身分の高い/低い、そういった違いがあったとしてもそれに左右されること無く成人した日本国民であれば1人1票の投票権が与えられる、それが「普通選挙」という制度です。また、そういう資質の違いをもった大勢の人が投票権を持ち、集団としてその不統一性を保ちながら、それでもなお多数決で代表者を選び重要な政策を決定するというのが「民主主義」であろうと思います。

だからもし意識の高い人の考えが多数の意識の低い人の考えに打ち消されてしまったとしても、それが結果的に非効率な判断になったとしても、それは民主国家として正しいと思っています。そういう混沌を経て、それでも僕らはこれを選んだんだということが選挙を行う意味です。だから、自分がそこいることを示すために僕は投票に行って欲しい。


多分、初めて投票に行った人は、その選挙結果に絶望したと思うのですよね。自分が考えているような結果が出なかった。自分が間違っていると思うような結論が出た。日本のことを考えたらあの人を当選させるべきだったのになぜ。でもそれも選挙の一部です。というよりも、自分以外に多くの人が日本にはいるのだということが、その絶望の根本的な意味です。それを知り、その上でそれを受け入れること。それだけでも投票に行くことには意味があります。



大切なことは、投票に行くかどうかではない

投票を行うときには既に大切なことは完了しています。

ここまでの2項を踏まえた上で、日本をよりよくするためにはどうしたら良いのかというと、結局は国民1人1人が自分の判断をしていくそれ以上のことはありません。個人ではどうしようもない、国民の「資質」が選挙結果として反映されるわけですから、その資質が変わらない限りどんなに投票率を上げたとしてもまるで無意味です。

例えば今回の参議院選挙では、山本太郎候補が東京都選挙区で当選しました。彼の言っていることがデマゴーグであることは、一定以上の知性を持っている人には自明であろうと思います。「解釈の違い」ですらありません。彼の言っていることは事実誤認であり、また誤謬です。それを土台にした扇動です。でも彼が当選を果たしたことは、彼の当選を望む人が一定以上我々有権者の中に存在していると言うことでもあり、また同時に彼のような主張をする人間が政策に影響を与える規模で当選したわけでは無いというのもまた、事実であります。山本氏が当選したという事実は、この2つの事実の二重の証明になっています。

「教育のない民主主義は無意味」ではあるけれど、教育のないものに投票権を与えないのは普通選挙ではありませんし、日本における民主主義は普通選挙あってこそです。投票をすると言うことは、そういうことです。選挙結果というのは、そういうことです。



投票に行きたくなかったら

投票に行く気が起きない人は、投票に行かなくて良いと思います。別に義務じゃありませんし、1人くらい投票しなかったところで別に大して変わりませんから。でも、投票に行かないのであっても、その時の各政党、各候補者がどんなことを言っているのかは調べるべきです。どんなメディアでも、テレビでも新聞でも週刊誌でもYahoo!Japanでも良いですから。自分が投票しない選挙において、何が決まろうとしているのか。

「投票をしない」ということはつまり「どんな結果になろうとも受け入れる」という意味です。意思表示をしない、ということですからね。それを選択するのは自由ですが、しかし、どんな結果になるだろうか、ということについては知っておいて欲しい。それは日本人として必要なことであろうと思います。その上で「どっちになっても自分は構わない」と思うのであれば、投票しないことも自然な心情かもしれません。文句を言う資格はありませんけれどもね。



まとまらずオチもありませんが、そんな感じ。

何か思うことがあったらまたいずれ。