今話題になっている、大阪市の家庭教育支援条例のネタ元になった人の教育論のお話です。

参考

大阪市・家庭教育支援条例 (案) ――― 全条文 (前文、1~23条)
大阪市「育て方が悪いから発達障害になる」条例案について - lessorの日記

子どものいない僕には教育論を語る資格は無いかも知れませんけれど、

(伝統的子育ての推進)
第18条
わが国の伝統的子育てによって発達障害は予防、防止できるものであり、こうした子育ての知恵を学習する機会を親およびこれから親になる人に提供する

という記述を読むと盛大に何かを吹き出してしまいます。
「伝統的」の使い方適当すぎw


これに対する佐々木俊尚さんの指摘、


がそのまんまだと思うんですけど、トレンドを恒久的なものと認識するのは単純に事実誤認だと思うのですよねぇ。もしかしたらそれを踏まえて「楽しかったあの頃に戻ろう」と言うことなのかも知れませんけど、しらねえよお前一人で戻れよ。こっちは目の前の現実生きるのに必死なんだから、お前の「昔は良かった」に付き合わせんな。



ただこういうのは実は結構良くある構図でもあって、以前新聞購読者数の推移グラフを見てたときにも同じ事を思ってエントリを書いています(うわなんと2007年の記事だ)。

新聞って実はただの「流行」でしかなかったんじゃないの?(新聞を読まなくなった日本人…) | mutter

若者の何とか離れだって同じ構造なのですよね。「車離れ」というと聞きやすいけれど、要は戦後の個人資産増大の中で志向された「車を所有するというステータス」が、時代の変化の中で終焉を迎えたと言うことであって、良いとか悪いとかじゃ無いよね。流行なんだからいつかは終わる。それを固定させておきたいというのは純粋に金や立場の話であり、言ってみれば「一過性のトレンドを「伝統的」に置き換えて強要するという詐術」。



もちろん「伝統的」かどうかはともかく、専業主婦の善し悪しや新聞の価値、車所有の是非などそれ自体を論じるのは意義のあることだと思います。しかし伝統的だから良いとか、昔こうしてたから今もすべきとか、そういう思考停止の本質的で無い論拠を添える姿勢はなんというかもう議論を始める気にならないですよねー。

もうちょい真面目にやった方が良いと思います。目の前のことをどうするかについて、真面目に。