ダメダメ人間 それでも走りつづけた半世紀 (ダ・ヴィンチブックス)ダメダメ人間 それでも走りつづけた半世紀 (ダ・ヴィンチブックス)
鈴井貴之

メディアファクトリー 2010-09-10
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20代に「ダメな時間」を過ごしたことがあります。

まぁ僕の場合は鈴井さんとは違って、名ばかり大学生のほぼニートでしたから、自己表現のために人生を削っていた鈴井さんとは比べものにはなりませんが、しかしそれでもただ怠けていたわけではなく、目指したい自分と現在の自分との隔たりに呆然とし、何から手を付けたらいいのか分からないまま、ただ漠然と目の前のものに懸命になっていました。

後から考えれば今僕がこの職に就いているのは、その時の「懸命」の結果なので、今に繋がっているという意味で必ずしも間違いではないのですが、やっぱり振り返るときには考えてしまいます。あんな時間を過ごさずに「普通に」過ごしていれば、もっとまともな人生を過ごせていたんじゃないかと。今の人生に不満があるわけでは全くありませんけど、他の選択肢もあっただろうというのも否定できません。


おっと、僕のダメな人生の話じゃなかった。



本書は、前著「ダメ人間」の続編にあたり、大学生から演劇に没頭する20代を経て29歳でラジオのパーソナリティに抜擢、会社を起こす...それ以降について書かれています。

当然の結果として、「ミスター」という愛称を生んだ番組「水曜どうでしょう」についても書かれているのですが、1章1エピソードという構成上、「水曜どうでしょう」としてはそれほど多くが割かれているわけではありません。しかし、鈴井さんにとって「水曜どうでしょう」がどんなに大きな存在であったかは、その後繰り返し語られる「水曜どうでしょう」に関するエピソードから想像できます。

特に、藤村Dが鈴井さんに語ったこの言葉。

昔、彼に言われた印象的な言葉がある。
「ミスター、あんたは何もない所、つまり0から1を生み出す人なんだ。0を1にする。残念ながら俺にはそういう発想はない。でも俺は1を10や20にする自信がある。それがあんたと俺の役目だと思う。(p.108)

これは鈴井さん自身だけでなく、視聴者としても深く頷ける言葉ではないでしょうか。特に前著を読んだ人ならわかると思いますが、確かに鈴井さんは0を1にする人。でもそこから先を目指してもがいている人。その先を作る役目として藤村D(そして多分、副社も)がいて、そうして何かが回っていく。鈴井さんは特に何でも自分ひとりでやりたい人だったようなので顕著だったのだろうと思いますが、そう、結局人生は役割分担なのですよね。



そりゃ、無限に時間があってそれをギリギリまでつぎ込めば何でも自分ひとりでやれるかも知れないけれども、あいにくと人間はそうはできてない。時間には制限があるし、食えなきゃならないし、やりたいことは多すぎる。勉強している内に何も成し遂げないまま人生は終わってる。それはつまるところ何もしていないのと同じですよね...そんなとき、自分の中で不得手な部分を得意とする人と出会えればきっとそれは時間の節約になるし、そもそも自分ひとりで出来ると思っていたものの何倍も素晴らしいものが出来上がったりする。きっと、そういうもんだと思うのですよ。

ひとりで全てを何とかしようとしていたのは、劇団を主宰していた当時の鈴井貴之。当時の鈴井さんは現在のミスターからは想像できない「武闘派」であり、文中、

こんなことだから僕は劇団内だけでなく、演劇的世界ではどんどん嫌われ孤立していった。当時を知る人は、今でも僕のことをよく思っていないはずだ。(p.23)

と自ら書いているあたり、自分でも自分の立場がどんなものかよく分かっていたようです。これは以前どこかで読んだ「水曜どうでしょう」以前の鈴井貴之に対する否定的な意見とも合致しています。いや、今考えれば、それが鈴井さんの自己を確立する手段だったと理解できますが、もし僕が同じ時代同じ演劇界にいたならきっと理解できないでしょうね...



言葉では説明できないんですけど、「自問自答し続ける時間」というのは僕には本当によく分かるんです。多分、人生を滞りなく過ごしてきている人にはわからないと思う。僕には22歳から25歳まで空白の時間があります。何をしていたの?と聞かれれば、何もしていませんでした。ネットゲームをしてHTMLとPerlを書いていただけです。そしていつも考えていました。

「ボクハ ナニヲ シテイルノダロウ」(p.167)

でも、あれは26歳の夏のことですけれど、とある(ほぼ)無人駅(たぶん和歌山県の古座駅)のホームでなんの予兆もなく、降りてきたんでした。

「僕は何をしているのだろう」
と。
こんなことで悩んでいる場合じゃない。自問自答する生活には別れを告げなければならない。それこそなにをしているんだ。そう思うと自分が滑稽に思える。(p.168)

その時なんだかいろいろと馬鹿馬鹿しくなって、可笑しくて笑ったのでした。別に可笑しくはなかったけど可笑しかった。7年前のあのとき僕は、こっち側に戻ってきたんです。本書の鈴井さんの言葉は何となくそんな自分にかぶります。



最後にもう一つ引用を。

昔を懐かしむのを否定する人がいる。
「昔は良かった」
という言葉はまるでNGであるかのように。でも、良かったのだ。その時その時がベストなのだから昔も良かったのだ。今はもう出来なくなったこともあるが、それを踏まえての今がある。だから今も一生懸命にやれば、今がよく思えてくるし、何年か後に今が良かったと思えるだろう。そんな今にするために、昔を懐かしんでも良いと思う。
あの頃"も"楽しかった。(p.85)


そうだね。うん。

あの頃も、楽しかった。僕は、今でも楽しいけどね。そういって生きてたい。どうかな?たのしいかな?そうだね、楽しいと思う。今も楽しいよ。