「ブログ」的なもの達に対する”古めの価値観”に接しておもふ

そこで何かを生み出さなければならない、
何かを成し遂げなくてはならない、
誰かのためにならなければならない、
書くにあたって明確な目的と理由が無くてはならない。

それらを満たさないものには価値など無く、
そうした価値のないものはクズであり、
そうした価値を生み出しているものこそが素晴らしく、
それを管理している人間こそが素晴らしいのだ。

なるほど、素晴らしい。

素晴らしくて涙出るなぁ。



これは、とある人が実際に喋っていたことを8行にまとめてみたもの。

実際の言葉には色んなニュアンスが混じるからこうは聞こえないけど要するにこういうこと。誰かのためにもならんことをするヤツはゴミ、みたいな話。お前がどこに行ったかとか、何を食ったかとか、最近笑った身内の話とか、そんなのいらんのだと。もっと何を読んで何を考えたとか、社会問題に関する考察とか、考えることはいくらでもあるだろ下らないこと書いてるんじゃねぇ、つまらんヤツだな、みたいな。

へー。

なんでそんなにイラついてんの?



人の暇つぶしと自分の研鑽が同じフィールドで行われていることが気に入らないのだろうか。所詮ツールなんだから、誰がどこで何しようと勝手だし、そのフィールドで研鑽を積んでいないから努力していないって事にもならんだろうに、その視野狭窄なというか何というか。

書いてる内容が気にくわないっていうのなら解るけど、んだからお前は無価値だみたいなアレを振りかざされてもねぇ…正直迷惑。僕だってあんまりキャッキャウフフなアレは好きじゃないけど、だったらそれを読まなければ済む話で、何でそれを攻撃しなくてはいけないのか全然理解できない。なんでしょうか…Web上で接した全てに対してありか無しかを決めて無しは攻撃するっていう価値観、古い人にあるなぁと思ったり。いや、その人は別に40そこそこなんですがね。

ああ、何でもかんでもスルーすればいいって話じゃないですけどね。そのコミュニティの人間がみんな気付いていないようなことを指摘して、「こうすればもっと面白くなるのにお前ら馬鹿じゃないの?」みたいのはアリだと思います。でも、自分にとって無価値だからそれそのものが無価値である、とは限らないでしょうにねぇ。



百歩譲りつつ視点を変えて考えてみると、フィルタリング出来たら楽だよね、ってのはあります。例えばTwitterで誰かをフォローしていて、その人の昼飯の内容とか今見てるアニメの話とかそういうのはどうでも良いけど、今どんな音楽を聴いてるかは知りたい、なんていうとき、それをフィルタリングする仕組みは確かにない。全部マルッと購読するか、ノイズは許せないからと全部読まないか、そのどちらか。

でもさーそんなの無理じゃね?とも思うんだよね。技術的に蓄積すれば出来るかも知れないけど、どっかの誰かが作ったアルゴリズムに従って機械的にフィルタリングされた情報の方が僕は信頼できない気がする。なんつうか、情報収集の効率化と手抜きとは違うと思うんだなー。

そういう技術の全能感みたいなのはいまいち信用できないと僕は思うんだけど、僕より「技術的でない」古い考えの人の方がその全能感を無邪気に信じてるところが少し興味深いかもと思ったりします。