Webデザインの怖いところ

Webデザインというのはもの凄く恐ろしい面を持っています。
ひょっとすると外注で仕事を受けているタイプの人にはよく分からないかも知れませんが…


以前ちょっとしたデザイン変更を行った際に、ユーザーはそのデザインが「美しいかどうか」よりも「知っているかどうか」をより好意的に選択する、ということを感じました。単純に「自分がよいと思っていたものが受け入れられなかった」というだけの話なのですが、それって結構怖いことだと思うのです。何かを創るに当たって、どう思うかではなくどうなるかで判断されるというのは、基準がクリアである反面ある種の残酷さを持っていると思います。


や、ね。


普通に考えてデザインを描いてる人間からすれば、古いデザインより新しいデザイン、ダサイデザインよりもお洒落なデザインが良いと思うのはごく自然なことだと思うのですよ。でも、これがデザイナの満足感ではなくてビジネス的な意味での成功とかいう視点で考えると、案外そうでもない。ださいデザインのが受けてたりする。なんでなんだろうなーと考えてみると、ユーザーは新しく見えるデザインや綺麗に見えるデザインを望んではいるものの、どこでも見たことのないデザインや、不慣れなデザインは見たいと思わないわけなんですよね。そういうデザインは「へー」「おおー」とは思ってくれるものの、思ったより取っつかない。綺麗にすれば人気が出るってのは、デザインする人間の妄想です。


んじゃどんなのがいいのよ?とか思うわけですが、その場合にはその業界の競合企業を見渡してみると何となく掴めます。どのサイトにも改善点は多々あるわけですけど、人気のあるサイトには共通する「ここは外さない」って言うデザインが(意識的にか無意識的にか分かりませんが)あるみたいです。ユーザーはそういうデザイン(インターフェイス含む)での作業に慣れている分、そこを踏み外したデザインには何となくの違和感を感じます。よく「慣れてくれればこっちの方が使いやすいって分かる」なんていう強弁を聞くことがありますけど(すみません、自分も言ったことあります)、それはまぁなんていうか負け犬の遠吠えでして、僕は相手を見ないで状況をよく判断しないでデザインしました、って言ってるようなもんです。慣れてくれたらラッキー。


Apple製品のデザインなんかも、似たようなことが言えると思います。こうなんというか…賞賛されている理由は決して「どこにもないデザインだから」ではなくて、「今まであるものの延長線上にありながらほんのちょっとずつ便利でクール」だからだと思うのですよ。そういうのは自分自身のデザイン力への自信とかそういう問題ではなくて、何のためにそれをするのか?という話であるわけです。独自の世界観の表現のためにデザインをしているのであればともかくとして、それによって何らかの対価を得ようとしているのであれば、そのデザインが今ある世界に下りたときの立ち位置を把握しないといけないということです。そのデザインの造形の良し悪しだけではそのデザインの良し悪しは判断できない。


Webデザインってのは必然的に対外的なコンタクトを前提にしてなされるものなので、例え造形として美しく参加した人間全員が満足したとしても、結果を得られないということがあると。そしてそれが明らかな結果として表示されてしまい、そこから欠けていたものまで見えてしまう…気がします。それはプロジェクトの完成とは少し時間をおいて徐々に分かるもので、デザイナの手を離れた後に判明してしまったりします。あのときゴーサイン出たのにと言っても、見えている結果の前では…どうしようもないですね。結果がクリアなのは気持ちいいこともある反面、もの凄く残酷です。


Webデザインのそういう立場が怖いな、と感じています。




追記(18:30)

  • タイトルがなんだか大袈裟だったので若干変えました。
  • 相変わらず何言ってんだか分からなかったのでちょっと改稿しました。大して変わりませんが。