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屈辱と歓喜と真実と―“報道されなかった”王ジャパン121日間の舞台裏
石田 雄太

1年が経ってしまって、だいぶ今さら感もあるけど、
“WBCの本だから…”という理由ではなく、
状況を考えて、あのWBCについて書けるのは石田雄太だけだろう、
むしろ、石田雄太の書くものを読みたい、という理由で、買ってみた。

この中で語られているのは、
2006年のWBCがいかにギリギリの運営の中で行われたか、
日本代表というチームを運営するのに不足していたことは何か、
逆に、どんなことを優先し、どんなことを考えれば良いか、
そうした、野球では聞き慣れない、
『日本代表』というチームに対する提言と、

その中に生き続けている、
オリンピックを始めとした数々の国際試合を戦ってきた、
『全日本』というチームの記憶、

またそれらに論拠を与え、またそれらを繋ぐ要素としての、
『ひと』の思いや感情や行動、
そのとき、その人物は何を考えて行動していたのか?

石田雄太らしい、
その“対象”自身の発言や行動を忠実に積み重ねて、
その意図や様子を的確に描き出す、そうした文章が連ねられている。


なんだろな。


スポーツ新聞、専門誌、ブログ、ありとあらゆるメディアが、
こういうイベントについて書くとき、
現場との距離に関係なく、
多くは、記者自身の想像や思いこみが多くなりがち。
それも、どう発言していたかではなくて、
記者自身にはどう見えていたか、を論拠としていることが多い。

それはそれで、
『客観性』および、『ファンの主観』という大事な要素を持つのだけど、
スポーツジャーナリズムとしては、
その対象自体に触れていない、
ややもすると、その対象からかけ離れ、実態がどうあろうと関係ない、
そういう記事になりがち。


もちろん、石田雄太が書く文章にだって、
選手の発言の裏を読むような文章や、
伝聞による事実を、自分の考える事実にピースとして当てはめる文章もある。

ただ、僕自身が、彼の文章は他と違うな、と思うのは、
最終的にそれらに論拠を与えているのは、
必ず、その当事者の言葉、であるということ。

もちろん、その言葉を引き出す技術もあるのだろうし、
選手に近い立場で話を聞けるそう言う人柄もあるのかもしれない。
そのあたりは、本人を知っているわけでもないから分からない、
でも、彼がこうして、何かを書き出すとき、
その内容と選手の距離が、非常に近いと思うことが多い。


そう言う意味で、あくまで客観性を追うメディア、
それとは対照的な位置での、重要な位置を占めていると思う。

決して薄い本ではなく、
時系列も、年をまたいで飛びがちなので、
サッと流して読むのには向いていないけれど、

それでも、あの1ヶ月間の記憶を、
ここまで濃密にとどめる文章は書き得ないと思う。

次の、WBCがまた、楽しみになった。