イベントの話から、派生したお話。
『小論文』がちっともまとまらないから、スピン・オフしておく。

なお、決して、特定の個人、特定の団体を、
悪意を持って批判しているわけではないことを書いておく。
これは、他の多くの文章にも言えることだが、
唯一特定できる、批判対象の個人は、自分自身だけだ。

あくまで、表現者としての、自分への戒めとして記す。
他人が正しく理解し、僕に悪意を持たないこと…は期待していない。
そう取られるのであれば、それは仕方のないことだ。

* * *

自分が思ったようにやることは重要なことだ。
それは、そう志向すること、そういう環境を整えること、などを含んだ、
表現者としての姿勢を表す。
自分が表現者として参加している場で、
その表現を不当に制限されることがあってはならないと思う。


但し、表現者として理解しておかなければ行けないことは、
『今』やりたいことを好きなようにやると、
『本来』やりたいことを反故にする可能性がある、ということだ。
そして、案外、結構簡単に、色んなことが本末転倒になる。

その、理由付けとして、
『好きなことやってるんだから良いだろ』
と言う言葉が使われるときには、非常な警戒が必要だ。
それは、好きなことをしているわけでは、ちっともない。

こんな文章を引用してみる。

水曜どうでしょうD陣日記アーカイブ: 7月26日水曜日。藤村でございます。

この文章は、他のエントリでも参照してるが、
表現者として重要なことなので、何度でも上げる。


なかでも、

私にも、事前に描く理想の画というのはもちろんあります。今回の場合は、「麦わら帽をかぶり、短パンで鼻をたらしながら全力で虫を追う鈴井貴之、大泉洋の姿」でありました。「おっさんの正しい夏休み」。

ところが、現場に着いてみると、もっとおもしろそうなことを言う人がいた。「だったらそっちについて行こう」。

目標は「おもしろくする」という、ただ一点。その前では、自分の理想も外的プレッシャーも小さな問題。そう考えると、すべての状況に、純粋に対応できる。「それがおもしろくなるか?」。

この文章には、捉えようによっては全てがある。

まず、自分の理想の画を持つこと。
これは大事だ。
しかし、それに囚われない。

面白くしたい、という『やりたいこと』(好きなこと)から出発して、
理想の画を求めてるはずなのに、
理想の画に執着して、面白いことを犠牲にするのはナンセンスなのだ。

自分がやりたいことは何か?

僕らの行動は、『やりたいこと』が何層にも重なっていて、
本筋を見失いがち。

でも、そのとき、足元を見て、
何がしたかったのかを思い出せば、
自分とそのこととの距離感が分かる。
ただそれだけなのに、
自分がしていることを、より良くしようとして、
自分を見失ったんでは、本末転倒なのだ。

僕は、こうした教訓の一番身近で印象的なものとして、
69tracksでの、KCMTの思想変化と、
最終的にイベントが無くなるまでの過程を、絶対に忘れない。

彼を責めるわけではない。
まぁ…そういう気分の時もあったが(苦笑)
今思えば、分からないんだから仕方がない、という感じだ。

初めは、集客のために、
流行っている(そして今自分も良く聴いている)ディスコを
69tracksに持ち込んだんだと思う。

この辺りは、以前に69の歴史を書いてくれたときに、
強調していた部分からも想像できる。
すなわち、過去に、
『音楽の波に乗って一気にメジャーになった』という成功体験があり、
それを強く意識していると言うことだ。
言ってみれば、回を重ねる毎に下り坂なイベントを救うための、
自分なりの策だったに違いない。


ただ、残念なことに、客には受け入れられなかった。

知ってる曲や盛り上がる曲、知らないがロックな曲を志向する人たちには、
知らない音の、チープなディスコサウンドは退屈すぎた。
DJが変わった瞬間に、大入りのフロアにぽっかりと“穴”があく。
客はその間に、友人と喋ったり、酒を買いに行ったり、タバコを吸ったり、
そうしてヒマを埋め、DJが元に戻るとまたフロアに戻る。
1人や2人じゃない、30人以上のレベルで、だ。
呆れるくらいにわかりやすい反応を見て、
確かに同じ感想を持っていた僕でさえ、唖然とした。

言ってみれば、レジデンツに対する、

『お前は、違う』

という宣言のようなものだった。

その時点で気づけば良かったのだが…
彼はそれを、『まだ、受け入れられていない』と楽観的に捉え、
一方で半ば意固地になって、その路線を続けた。1年以上も。

結果的にそのことが、多くの客の『冷め』を生み、
『ディスコが聴けること』に依るプラスより、
『ディスコを聴かなくちゃならないこと』のマイナスが上回って、
イベントは追い込まれることになってしまった。

どこで間違ったのか?

要は、本質を見誤ったのだ。

自分がしたいことのためにとった手段を、
後に自分がしたいことそのものだと錯覚し、それに拘った。

批判されるにつれ、イベントに対して感じていた不満を、
その手段の理由付けとして追加していった。
客が、『定番でしか踊らない』わけではないことは、
多くの定番を作ってきた本人が一番よく知っているはずなのだ。

別に、本来の目的を果たすためなら、それでなくても良かった。
(悪意ではない意味で)レジデンツを降りても良かったのだ。
ただ、自分のプライドを、イベントに優先させた。

イベントのためにやって、
それがイベントを潰すって、そんな本末転倒なことがあるか?

…でも、よくあることだ。残念ながら。

もう一度書くけど、

僕らの『やりたいこと』は、幾重にも、何層にも重なっている。
表層にこだわりすぎると、
深層のもっとエネルギーが強いはずの方の意図を、
見失ってしまう。


そして、多くは、全く気がつかない。

その日、目の前にいる人を喜ばすためだけに、
そのゲストに付随するお客さんを当てにして、
筋を曲げ続けていたら、筋が溶けてしまうよ。

安易に、やりたいことをやる、などと書く前に、
本当に自分が自分を理解できているか考え直した方がいい。

どんなにバカでも、
その『筋』さえぶれなければ必ず見える。

本末転倒に、振り回されるのは、
もう二度と見たくない。