何でブログを更新してんのか問題

「問題」って別にどこで問題になってるわけでもないけど。 父親のブログを読んでいたら、めでたく開設1周年を迎えるとあった。迎えた、だっけかな?僕の知らないWebの友人もいて、普段語ることのないとりとめのない話を吐露していてとても面白い。息子が読むからかも知れないけど。読むまでは「父親のブログを読むなんて照れくさい」「なんか見てはいけないものを覗くようでむず痒い」とも思っていたのだけど、僕にはない空気感というのはそれだけで楽しい。家族のブログを読むというのは案外良いね。まぁ僕は読まれたくないっていうか読むなら黙って読んで欲しいけど。感想とか言われたら悶える(苦笑) んで父親がブログで「もうすぐ1周年だけどなんとなく最近マンネリ」というようなことを書いていて、そうだよねやっぱり普通そういうこと思うよねと思ったのだけど、不思議なことに僕にはブログを書くことについてのマンネリ感みたいのがあんまり無い。なんでなんだろうなと思うと多分、基本的に今興味があることをだらだらと書いているだけだからだと思うんだよね。それに飽きると言うことはほとんど無いし、マンネリと言えば毎日がマンネリ。そのマンネリ自体が楽しい。 もしかしたら普通の人に比べて僕が暇なのかも知れないけど…一般論として、暇がないからやらないという人は、暇があってもやらない。暇がない人は色んなことを犠牲にして暮らしてることが多いから、例え暇が出来たとしても優先順位はビシッと決まっているし、著作を出すとかイベントに出るとかそういう特別な事情がない限り、ブログがそういう事を押しのけて最優先になることなんてまず無い。思いつきを誰かに聞いて欲しいだけだったらTwitterで十分だし。 だからまぁなんでブログ書いてんのさ?って聞かれたら、こうしてだらだら書くのが好きなんだよねという話。 好きであることには別に理由なんか無いしね。 目的とか別にないんだよね…毎日何千人もブログに来てるのは知ってるんだけど、読者を想定することはあんまりないし、このブログをこうしてやろうとか、今度はこういう路線で書いていこうとかもない。アフリエイトでサーバ代が出ればいいなぁとは思ってるけど(AdSense切られちゃったから今は全然赤字です)、それ以上は要らないし、そもそも儲かるほどは更新できないしなー ブログを書くことが何か楽しみを生むんじゃなくて、それそのものが楽しいんだよなーというのを、「狩猟そのものを快楽とした」という「愛と幻想のファシズム」の台詞を思い出しながら思うのでした。僕としてはそれがブログだけど、多分、色んなことがそうなんじゃないかな。何か楽しみを生むために何かをするので無しに、それをすること自体を楽しめると楽しくなるよね。うん。例によってとりとめないけどそんな感じ。

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世間の見え方は見方次第

…というのを、最近よく感じます。ええ。まぁ今さらですけど。 例えばですね、津田大介さんのTwitter(@tsuda)を見てて思うのですけど、津田さんてネガティブなレスポンスにも結構丁寧に返事されてるんですよね。「それは違うよ」とか「こういう意味ですよ」とか「鬱陶しければリムーブしてくださいね」とか。いろいろと目立つしバキッとものを言うし、その辺りでちょっと勘違いしたアレな人に絡まれやすいとかあるんでしょうけど(そんなに変なことを言ってないと思うんだけどなー)、ともかく、その丁寧な返事をずっと見ているとどんな印象になるかというと→「津田さんて人に文句ばっかり言われてるんだなぁ」。 本当はそんなことないんですよ。「@tsuda」でTwitter検索すればわかりますけど賛同のコメントもたくさん寄せられてるし、反論するにしても建設的な意見交換になっていたり、誰かが何かを考えるきっかけになっていたりもするんです。でもそういうのをわざわざ引用レスして回るのもそれはそれで気持ち悪いし、津田さんはそういうことあんまりしないので、結果、ネガティブレスに対する返事が溢れることに。 んでこれはまぁ、超個人的な話なので詳細は書けないのですけど、先日妹と電話で話をしていて、自分がこうだろうと思っていた風景と妹が見ていた風景が全く違ったことを思い知らされてかなりショックでした。簡単に言えば、僕が実家を出てから実家の様子が変わってしまっていて僕の知ってた実家とは違っていたと言うことなのですけど、暗い部分を全て隠して明るかった頃の記憶と繋げると、全てが明るいものだったように見えてしまうのですね。本当にショックを受けるべきは「どう変わったか」の方なんですが、自分の身内に起きたと言うことを除けば話としては別に良くある話なのでそれには特にショックは受けず、むしろ15年以上暗い部分を家族に隠されてきたということになんというかねぇ。どういうことなのよ。 どうでも良いことで何度も名前を出して本当に申し訳ないんですけど、津田さんのツイートを例にすれば、ネガティブツイートは無視してポジティブツイートに対するお礼レスだけやって、たまに幸せツイートでも混ぜると「津田さんのツイッターライフは明るいんだー」みたいに見えるという。それをやらないのが津田さんらしいなぁと言う感じはするのですけど。妹の話にも多少誇張があるでしょうが多分そういう構造、そういう見え方。うーん。暗い部分を隠すに当たって悪気はなかったんだろうし、誤魔化し続けてるうちに15年経っちゃったんだろうし、仕方のないことのようにも思えるけど、せめてあと5年早く相談してくれればもっと早くに介入できたのに。なんでそうなった… …と言うようなことを言っても仕方がないので、今からでも出来ることをやるしかないかな。ええ。「理想の家族」(=自分が明るいと思っていた家族の姿)に戻すということではなくて(それに拘ると多分無理が生じて失敗するから)、当事者達が何を考えているのか把握することと、今ねじれている部分を何とかしていく方が良いんじゃない?というネゴシエーションからまずは。どうもねー実家を15年も離れてると、何が現実なのか全く見えなくて、ほんの少しの情報が完全な事実のように見えてしまって困るのよね。ほんとに。とりあえずすべきは面接だな。面倒だけど仕方あるまい。

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「放射線汚染された汚泥が肥料として全国にばらまかれる」という話

放射線汚染された汚泥を肥料に使うなんて政府は何を考えてるんだ!だから政府のやることは信用できない!みたいな感情的な記事をいくつか見かけたのだけど、その後きちんとフォローアップできてる人を見かけないので調べてみました。結果として農林水産省の主張を取り上げることになっていますが、別に僕は専門家ではないので科学的に正しいかどうかは何とも判断しようがありません。ただ、納得性はあると考えて取り上げています。 なお「例え科学的に正しいのだとしても怖いから拒絶したい」という精神状態の方を優先させる人がたくさんいることを、特段に非難するつもりもありません。それは拒絶の十分な理由になると思いますし、堂々と拒絶したらよいと思います。それはもう仕方がないです。ただ拒絶するのと同時に、「自分がヒステリックになっていること」を認めること、「恐怖感を取り除いた現実はどうなっているのか」を見てみることはすべきでしょう。パニックに陥らないためにもね。

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人生で多分今が一番体力あるんじゃないか

てなことを最近ずっと思っているのですよ。 昨日たまたまツイートしたけど、結構前からずっとそんなこと思ってます。 いやさすがにね…年齢も34歳なんでね、若い頃に比べれば劣っているところもありますよ。主に回復力とか。朝まで遊んでその次の日もどこかに出掛けるとか今は出来ないし、体力を使うような用事の場合「要予約」となってます。その辺はどう考えても衰えてる。スポーツ的に考えると、視力とか瞬発力とかも。 でも、今僕、週に4-5日は8kmから10kmくらい走ってるんですよ。仕事のあとに。 自分の中で最も体力あったな、動けたなと思うのは20歳から23歳くらいまでのことなんですけど、多分その時でさえ10kmなんか走れなかったし、もし走ったら3日くらい動けなかったと思う。そういう風に体を鍛えてなかったというのはもちろんあるし(乗馬専用だった)、食生活も今よりも全然偏ってたというのもあるし。今はサラリーマンであってアスリートではないけど、アスリートの食生活としてみた場合には、どう考えても今の「野菜中心」「ビタミンバランスOK」「脂肪の少ないタンパク質」という食生活は理想そのものなんだよねぇ。 だから今自分が動けないのだとしたらそれは体力がないからではなくて単純に、「明日のことを考えて無理をしない」という精神的な活動なんだよなぁと思うのです。回復力に自信がないから、自分がエネルギーを注ぐ対象を厳選するとかね。でもエネルギーがないわけでは全然無いんです。あと5年経ったら本当に動けなくなるのかも知れないけど、少なくとも今は、人生の中で一番鍛えてるし、一番動けるし、だからもっといろいろやるべき、かなぁと。元はと言えば、体力の衰えを感じてきっちり遊びたいときに遊べるようにと思って鍛え始めたことだからなぁ…体力は十分付いたから次はステップを軽く。うん、できるんじゃないかな。いやホントに。

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タバコを止めてから早いもので1年が経ちました。

夏の空 #sky というわけで、去年の8月7日にタバコを止めてからおおよそ1年が経ちました。 最初の3ヶ月の苦闘はこの辺に。 タバコを止めました。または、1ヶ月前に止めてから今日までの話。 タバコ止めてから2ヶ月後の世界。 タバコを止めてから3ヶ月が経った 「1年が経った」ということを書いているあたり、全然忘れていないことがバレバレなわけですけど、まぁでも同時に吸うことはないんじゃないかなぁとも思っています。実際問題として、正常な状態なら吸いたくならないんですよ。よく、「人が吸ってるのを見ると吸いたくなる」とか「お酒飲むと吸いたくなる」とか言いますけどね。全然無いです。隣で吸われても気にならないし、お酒の席でもらいタバコとかもない。やっぱそういうのって、付け合わせ的な「習慣」だったんだなぁと思います。心の底から「吸いたい」と思ってるだけじゃなくてね。 んじゃあ、完全に意識しないかっていうとそれまた嘘で、今でも2週間に1回くらい、タバコを吸う夢を見ます。現実世界では吸いたいと思わないのに、夢の中では無性に吸いたくて仕方がないし実際に吸ってる。んで、後悔して目が覚めるという。なんでしょうかねこれ。本当は吸いたいんじゃない?とも思うけど、起きてる間は我慢してるとかじゃなく本当に別に吸いたくないのですよね。うーん。

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サマータイムも良し悪し

夏の節電対策で、関西に事業所を置く企業でも相次いで導入している「サマータイム」。就業時間を早めることで余暇を有効活用できるメリットが生まれている半面、社員の生活サイクルを乱し、仕事量がかえって増えるというデメリットも出てきているようだ。 (中略)  ただ、サマータイムを取引先が導入していないケースも多く、勤務時間や休日を取引先に合わせる必要もある。6月からサマータイムを導入した住友金属工業の大阪本社で自動車メーカーを担当する営業部門の男性社員(43)は、自動車業界が一斉休業している木・金曜を休み、土・日曜に出勤している。「サマータイムで早く帰れると思ったが、土・日曜に子供と過ごす時間が減った」と残念そうだ。  今月からサマータイム導入で始業時間が45分早い8時となった食品メーカーでは、大阪支社に勤める男性社員(40)が「問屋の都合に合わせ、夕方以降まで働くのは以前と変わらない。睡眠時間が減り、仕事量がかえって増えた」と嘆き、通勤時間が1時間という東京本社の営業担当の男性(35)も「3歳の息子を預ける地元の保育園が開くのは7時半なので、交代でしていた送り迎えはほとんど妻に任せっきりになった」と戸惑いを隠せない。
 
先日書いたとおり、今の勤務時間は1人サマータイムになってるんですけど、僕の場合元々が10時半始業と遅めだったので、1時間半早まったところで世間とズレた感はないかな…というか、むしろ社会にようやく適合できたような感じ。帰る時間が早くて仕事が終わってからも店がまだ営業してるし。朝起きるのは苦にならないし、かといって深夜の活動も縮小されてないし、非常に快適です。

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1人サマータイム

今日はそれでも風かあるので、幾分涼しい。#sky 7/16から出勤時間を1時間半早くして出勤しています。 タイトルにはそう書いたけど別にサマータイムだとかいうつもりではなくて単純に、

  1. 朝早く仕事を始める方が夜遅くまでやるより集中できる
  2. 同じ時間働くなら早く帰宅できた方が得した気がする
  3. 家でエアコン付けないから暑い
という理由です。特に3。 節約とか節電とかそう言うんじゃなくて、何となく我が家のポリシー的に、エアコンは付けないで扇風機、 みたいな感じでそれが昔からずっと続いてます。でも暑いもんは暑い。 出勤時間を早めたきっかけは他の部署が忙しすぎて出勤を2部制にすることになったこと。 元々早めに始めて早めに帰りたかったのでそれに便乗して、「んじゃ僕もその早いシフトで来ます」って 言っただけなんだけど、朝早いの、案外いいね。始めて3日、相当気に入っています。 基本的に昼くらいから動き出す会社なんで午前中は人がほとんどいない。邪魔されない。 自分のやることに集中できるし、適度に涼しい。家だと暑すぎるし、他の社員がいると寒すぎるし。 (大体僕のエアコンの設定は26℃か27℃。他の社員は基本24℃か25℃なので) 夜寝る時間に気を配らなければならないのはちょっと面倒だけど、 僕の場合徒歩10分なんでそんなには気にならない。 7時半に起きて、ゆっくりコーヒー飲んでご飯食べてニュースチェックしてから出ても間に合う。 1日24時間は変わらないはずなのに、これだけのことでゆとりが生まれたような気がするのは不思議なことだなぁ。 冬になって朝が暗く寒くなったら止めるかも知れませんけど、 もうしばらくはこのまま続けてみるつもりです。

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関西地方における節電の意義について(大事なことなので2回(ry

東北・関東地方だけでなく、日本全国で節電が重要になってきています。 どんな目標を立てて節電をするのか?についてはいまだにあれこれ曖昧ですが、 でも節電をする必要性については疑いが無くなってきました。 だって、電力供給がかなり制限されてるんだもんよ。 ただまぁ、相変わらず勘違いしている店舗を見かけるのでもう一度書いておきますけれども、 今僕らが節電を行うことの意味は、東日本大震災の被災者に対するサポートなどではなく、 単純に原子力発電所が運転再開できず、電力供給力が低減したことによるものです。 節電は必要だけれど、それを被災者支援などと嘯く行為は僕にはやっぱり許せません。それは欺瞞ですよ。 僕らは僕ら自身の生活のために節電を行いましょう。 んで、浮いたお金を被災者に寄付できたらいいですね。

蛇足:体感温度をコントロールするのは難しいね

冷房の効きすぎが元々好きではないので、節電によるエアコン温度の調整は歓迎しているのですけど、 上手くやってるところと上手くやっていないところとあってなかなか。 コンビニはどこに行ってもちょっとぬるいかなぁ。 人の出入りの頻度や、店内設備によって設定温度を調整する必要があるだろうから、 なかなか体感温度をコントロールするのは難しいのでしょうね。 とりあえずうちの会社はもう2度くらい上げても良いと思うなー

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【ニコニコ動画でよくあること】 「おっさん」を自称するうp主より俺の方がおっさん

いやまぁ別に気にしてるわけでもないし昔から年上に見られるタイプなのでどうでも良いんですけど、 ざっくりこの辺から上は「おっさん」になるんだよなーというあれで。 ニコニコ動画の「おっさんホイホイ」タグで検索してみた感じだと、 自分より5-10歳くらい年上のところが一番多い印象。 年代で言うと40歳以上で、昭和アニメとか、アイドルとか、80年代洋楽とかそのあたり。 こういうのは家族構成とか近所の兄ちゃんの有無とかで変わってくることなのだけど、 僕の場合はそう言う環境になかったので、話しについて行けないのよね。 んで次が、僕の年代の近辺だとファミコン、スーパーファミコン、ゲームボーイあたり。 さらに進むと30歳前後で、ポケモンとかバブル以降、20世紀の話題とか。 プレステ初期のあたりのゲームとかも入ってくるかも。 20歳の君は気付いてないかも知れないけど、「おっさん」っていうのは無情なほど幅広いんだぜ。 まぁ、女子中学生が女子高生をおばさん呼ばわりするほどは広くないと思うけどなw ちなみに、僕の中では「おっさん」と「老化」とは別の概念になっていて、先日ふと、

『年取った、嫌だなぁ』と思うことそのものが、老化現象なのかも
なんてことを思いました。 そのことは単にからだが動かないとか言うことだけじゃなくて、 変化を嫌うとか、過去にとらわれるとか、そういうことも示唆している気が。 いくつになっても「老化」していない人は何か新しいことをしようとしているし、 以前出来たことが出来なくなったことは「変化」として受け止め、 以前出来なかったが出来るようになったことと同列に捉えられてるような気がします。 もちろんそれでも補えきれない「老い」というのはあるけれど、 まぁそう言うのも全部含めて楽しいなぁと僕なんかは思っているのですけれど。 だから「おっさん」でも全然人生楽しいぜ (゚∀゚)

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