草生やし自重
最近、おっさんおよびおっさんと思しき人の書く文章を割とたくさん読む機会があったのですけど、読んでいるうちにだんだんイラッとしてきて、これ何なんだろうなと思ったら、共通項が。どれも「w」いわゆる「草」を多用しすぎてるんですね。
最近、おっさんおよびおっさんと思しき人の書く文章を割とたくさん読む機会があったのですけど、読んでいるうちにだんだんイラッとしてきて、これ何なんだろうなと思ったら、共通項が。どれも「w」いわゆる「草」を多用しすぎてるんですね。
店のスタッフが行きつけの居酒屋さんに、バイト(大学2回生)が友達を10人ほど連れてやってきて、飲みものもほとんど注文しないまま居座った上、あとから別で来た店の社長やスタッフに挨拶もなくその上黙って帰ろうとした……という話がありまして、一部スタッフが「非常識すぎる。まったくどういうことなんだ」と呆れるやら憤るやらだったのですが。 確かにそのバイトのした行為自体は、まず店に対して失礼であり(でも店のご主人がOKなら咎めることじゃないかも。ただご主人はすごい良い人だから気を遣ってくれたんだと思う……)、目上の人、というか上下関係は抜きにしても、お世話になっている知人に対する態度としても失礼であって、大人として咎められることであろうなとは思うのですが、そうしなくてはならないと思い至らなかったことや、そう考える常識を併せ持っていなかったことについては、咎めても仕方がないよなと僕は感じたのです。 社会でどう振る舞うべきか、というのは、生まれながらに持っていることではなく、社会で生きていく上で学んでいくことだと思うのですよね。常識的に考えれば、つい先日成人式を迎えた大学2回生であっても、これまでの人生の中でそういう礼儀を学んでいるものだと思うのですけど、そういう常識はその常識を作っている僕らおっさんからしたら自明であっても、20歳にとっても自明かというとそうでもなく。そういう礼儀を備えていないということも十分に考えられることで、備えていないことに驚くことは無いんじゃないかなと思うのです。若いってのはそういうことじゃないんですかね? だから話を聞きながら、そう考えられないことをことさらに責めても仕方が無いし、礼を失したこと、またそれがいけないことだ考える人がいるんだよということを彼に教えることが僕らおっさんのすべきことであり、またこれから社会に出る大学生に対してバイト先でしてあげられることなんじゃないかと思っていたわけです。別にね、社長に頭を下げろとかプライベートでも敬えとかいってるわけじゃなくて(少なくとも僕は)、手間かも知れないけど、ちょっと挨拶するだけで上手く回ることはあるよ、反感を買うリスクを考えたらその手間を省くメリットなんか全然ないよ、ということなんです。 もちろん、彼の言い分も聞いてみたいですけどね。どう思ったのか、挨拶しない方がいいと思ったのはなぜなのか?盛り上がっているところを邪魔するのが気が引けたとか?単に、恥ずかしかったのか? 面倒くさいけど、全世界どんな社会に行っても「暗黙の了解」となっている「常識」というのはあるわけなので、せっかくバイトとして社会に接しているわけだから、そういう社会ってどうなってんだというのを学んだら良いんじゃないかと思います。誰にでもある、良い機会ってやつなんじゃないかなー。 ……考えてみると、僕なんて18歳時点でそんな常識全然なかったし、大学で部活に入らなかったらきちんと挨拶できるようになってたか自信ないわー。
前職でも今の職場でも、いやどんな環境に行ってもそうだと思うけれど、自分と違う世代と一緒に働くのにはある種の難しさがあります。もちろん人によって個性があるので、「若者とはこう」なんて言うつもりはさらさらないのですけど、経験不足な人間特有の「自分のやり方が最も正しいと信じる」傾向や「自分のクオリティが最上だと感じる」傾向が現れている場合、それをどう刺激しすぎずに上手いこと誘導するかというのが面倒くさい。自分が20歳の頃を考えてみても、僕の上にいた人はそうとう面倒くさかったと思います。今もあんまり変わらないけど、僕も面倒くさいタイプの人間なので。 つい先日、割と細かく指導していた後輩にへそを曲げられてしまいました。彼は非常に不器用な人間で、教えられたことを人並みのスピード・クオリティでこなせるようになるまで、それがどんなことであれかなり時間が掛かります。ものによっては、自分でmaxを決めてしまって「一生懸命やってるしこれでいいじゃないですか」と言いがちな、まあいい加減なやつなのですが、プライベートならともかくお客様のいる仕事でそれは無理なので、「お前はいつもそうだよな」と冗談を挟みつつ指摘・指導していました。それでコミュニケーション取れていたと僕は思い込んでいたのですが、僕が思っていたよりプライドが高かったのか、ある日、「失礼な人ですよね。決めつけで言わないでください」という反発を受けてしまったのでした。 不器用なのもいい加減なのも、僕がそう決めつけているんじゃなく、彼がしていることをまとめるとそうなるだけであって、例えそう言われるのが嫌だったとしても自業自得なのですが(たぶん自分の仕事のクオリティが低いこと自体気付いていないか、認めていない)、まあ、若者ってそう言うの言いがちだよなあ俺も言ってたなあと思って、「はいはい、そうだねー」と流したんですけど、なんつうか、自分の指導が上手くなかったんだなあと思って少し心折れたりとか。こいつ、思ってたよりずっと面倒くさいやつだわ。 「先輩」としては、どんなリアクションを取られたって仕事が出来るように指導していくほか無いので、そういう態度とも戦っていくべきなんでしょうけれど、うーん、面倒なんですよね。原因を考えると、リスペクトをもたれない自分にも問題はあるし、説得力ある言葉を選択出来ないことや、相手に合わせた言い回しも工夫していくべきなんです。そういうのはわかってるんですけど、僕は僕で必死に毎日働いてるので、生意気なやつに心砕いて指導してあげる余裕なんてないんですよね。それでもこいつにならと思って言ってたのが、まあ、距離感間違えてたかなあと。 今現在の心境としては、「じゃあ勝手にすれば良いんじゃない?もう知らねー」なんですが、それだと結局あとで僕も困るんですよね……「ちゃんと教えろや!」って怒られるの僕なんで。どうしようかなあ。1週間くらい考えて、何か言い方法を見つけようと思ってるんですけど、 面倒くさいなあ。 思い返してみたら、前職で若いほぼ新卒が入社してきたときもそんな感じだったなあ。その時は、僕の立場は今と違ってもっと断定的にものを言える立場だったから、強い言葉に説得力があったし、そういう指導で上手く行った(でもたぶんほんとは彼が自分で気付いて、自分で上手く調整していったんだろうね。頭良いやつだったし)けれど、今の僕にはそういう説得力が無いからなあ。 ああ、面倒くさい。
というのは、1/3くらいしかホントじゃなくて、実際のところはお金は欲しいし本業の方は経験も積みたいしで、時間と体力が許す限り働きたいと思っているのだけど、逆に言えばお金にも経験にもならないような「仕事」(お金にならない時点で既に仕事ではない気もするけれども、ここではパートタイムでやってるエンジニアっぽい仕事に関する時間外労働のこと)は他の仕事に影響が出るので遠慮させてもらいますということでもあり、そういうスタンスを「ドライすぎる」と言われることもあるんだけれども、そういうスタンスを含めた上での安賃金であるので(もしフルタイムだとしたら手取り月13万切るくらいの水準です。非正規は辛いぜ)、まあ、そういうスタンスです。 就業時間大体ぴったりに出社し、定時大体ぴったりに退社し、時間外労働は断る。 これ専業だったら、(残業代の確認くらいはするけれども)時間外とかあまり考えずにがっつり働くんだけど、今の条件・状況でこの仕事にこれ以上エネルギー使うと、ほんと他の仕事に影響が出ちゃうので、出来ない。そのスタンスは最初からそう伝えてあるので、その範囲で企画を考えてもらうしかない。そのレンジから外れる仕事に関しては、申し訳ないけれども、働きたくないでござる。もとい、働きません。楽天のセールが始まるからとか言われても知らねー ……というのを、1年前から今に至るまで社長に何度も伝えて確認してきたのだけども、専務の方からさらっと「仕事納めのあとに更新」「年始早々更新」という案件が入って来て、年内は12/25(金)の14時で終わりだし、年始は1/4(月)の10時からになる(どのみち会社自体が12/27から1/3まで休業)から、軽やかに出来ませんよと回答。なんだろうなあ、なんかこう「言わせんなよ」感。企画に対してそういう答えしたくないから普段から言ってるのになあ。エネルギー注いで企画しちゃった分、断るとだいたい「働きたくないでござる」くらいの意味にしか取られないし。ちがう、そうじゃない。 まあもちろん、自動的に更新出来る仕組みを作るか、誰でも更新出来るようなシステムを作ってマニュアルを書くくらいはするつもりですけどね。最初から「営業時間」決めてるんだから、時間外になりそうなときは企画練る前に相談しろって思うんですよね。企画練り込む前に相談しておけば、着地点が想定と変わっても感情的になることもないだろうに。 そういうコミュニケーションをサボってしまうところが、まあ、ダメなところだよなあと思っているのです。2行メール書くだけなのに。社長と専務でやってるような零細企業なんで良いんでしょうけど、毎日やってる2人の言い争いの原因もだいたい、仕事のコミュニケーションをとらないことに起因しててホントバカバカしいんですよね。別にいいけどさ。
このところ2年くらい、定期的に歯科医院に通っています。歯列矯正をしてるわけじゃなく何か治療しているわけでもない、歯石除去から始まったただの「定期検診」ですが、歯石除去、虫歯治療、歯みがき指導などのおかげで歯茎の炎症はほぼなくなりましたし、歯みがきで血が出ることもなくなったので、今後も通いたいと思っています。 歯科医院って言うと高額の治療費が掛かるイメージですが、ちょうど今日「3ヶ月検診」に行ってきて診察費が1,810円。1ヶ月当たりで言うと600円なので、ケア・サービスとしては割と良心的な感じかなあと思っています。もちろん虫歯が見つかって治療、となればもう少しお金が掛かるけれど、虫歯が見つかっても悪化していない限り出来るだけ様子を見るっていう感じなので、安心です。ありがたい。 で。 予約の段階で指名すれば、担当者を指名することも出来るみたいなんですが、別に特にこだわりもないので毎回色んな歯科助手さんに当たります。全員女性ですが、上手な人も下手な人も、当たりが柔らかい人も冷たい人も色んな人がいます。今日担当してくれた歯科助手さんは、作業は素早くて上手だったのですけれど、ちょっとせっかちというか、コミュニケーションが足りない人でした。やっぱりね、患者としては大丈夫だとわかっていても次何するか細かく言って欲しいんですよね。 口を開けていて、下の左の歯を掃除している、それが終わって一旦止めて、次に下の右の歯の掃除に移る……そういうときに「次右掃除していきますね」など一言言ってくれると、びっくりしなくて済みます。今日の歯科助手さんはそれがなく、口を開けているとどんどん機械を入れてくる人だったので、別に痛くはないけれど心の準備が出来てなくて緊張しました。また何か気になることを聞きたいときは一旦止めたときに話しかけてくれるとこちらもきちんと話せるのですが、今日の歯科助手さんはなぜか治療しながら「糸ようじ通してますか」「ここ痛みますか」などと話しかけてきたので、答えたくても答えられない、だって絶賛ガリガリされてるから。 こういうところ、気付いてくれる人と気付いてくれない人とで、作業の腕前が同じだとしても受ける印象は大きく違ってきます。仕事の内容は「歯石の除去」かも知れませんが、仕事ってのは、まあそういうことだよなあと思いました。細かい部分の積み重ねっていうか。それさえあれば、完璧な歯科助手さんだったのに。惜しい。もちろん誰の仕事にも共通する大事なことですけどね。僕自身も。
ブログ記事を読み返していたらこんなの書いてました。 年下の先輩をどう呼んだら良いか問題 | mutter 37歳で新しい業界に飛び込んだ素人同然の自分にとっては、あらゆる意味で周り全員が先輩であり、年下の先輩をどう呼ぶかということについて苦慮しているという話なのですけど、それから9ヶ月経った今もだいたいこのとき書いた通りに呼んでいます。
今のところの妥協案としては25歳以下のスタッフについては「くん」付けで、それ以上のスタッフについては「さん」付けで呼ぶことにしています。「くん」付けでも仕事に関することは基本的に敬語。みんなと仲良くなったと言うこともあるし、フリーターとして毎日仕事してるうちに周りのアルバイトと同じくらい仕事出来るようになってきたということもあって、「仕事に関することは基本的に敬語」ってとこは今はもうちょっと砕けているけど基本的には同じような感じ。敬語を使わなくても敬意を持って接するようにしています。そういうの大事よね。 やっぱり年齢が周りと一回りとか違うと、気にすることも多いんですよね。自分が実際に(立場的・能力的に)偉いんであれば偉そうに見えても構わないかも知れないけれど、僕の場合ただ年齢が上なだけなので、出来うる限り偉そうにしたくない。それはなー自分が20代前半のときに偉そうにしてる大人が嫌いだったというのもあるし、実際に自分が大人になってみて自分は偉そうにしても気持ち良くもなんともない人間なんだってわかったからでもあります。それよりも、出来うる限り近い目線で周りに入っていく方が色々とお互い仕事やりやすいし、ためになるし、楽しい。 で、ちょうど在籍1年を迎えて、自分の後輩に当たる人間も何人か入ってきていて仕事を教える機会も増えてるんですけど、ここでもやっぱり「なんて呼ぶか」という問題があります。周りの人はだいたい呼び捨てで呼んでます。考えてみれば僕だって大学のとき、後輩は呼び捨てで呼んでたしそれが普通なんだろうなあと思うんだけど、なんだろう、僕、職場で人を呼び捨てにするのって出来ないタチなんですよね。今思い出したけど、前の職場でも呼び捨てで人を呼んだ事って、激高してるときでさえなかったなあ。基本的に「さん」または「くん」付け。そういえばそうだった。 今も後輩に対しては男は「くん」付け、女は「さん」づけで呼んでいます。クソ忙しくて余裕がなくて超急ぎで呼び捨てで呼んでしまうときもたまーーにありますけど、すぐに「ああ」と思って呼び直し。やっぱりねえ、自分はまだまだ全然偉くないっていう気持ちがあるんで、呼び捨てしたくないんですよね。ましてや相手は大学生で、アルバイトの仕事内容で人としての上下関係があるわけでは全然ない。そんなの気にするところじゃないだろってのはわかってるんですけど、僕は気になるんですよね。 年齢が上ってだけで威張ってるやつ、すげー嫌いだったんでね。 年齢が下ってだけで媚びてくるやつも嫌いだったけど。 一回りも年齢が違うと、ちょっと強めのセリフでも「効き過ぎちゃう」んで、例えばダメ出しするときやリクエストを出すときであっても、どんな言葉を発するかは本当に気を遣っています。僕の性格なんでしょうね。言葉遣いと、舐められるかどうかは、僕の経験の範囲内では、あんまり関係ないです。そういうやつはどう接しても、舐めてきますしね。それに言葉でしか制せられないのであれば、それは人間として自分が未熟だって事です。 やっぱり、態度で敬意を持ってもらえるようにならないとね。
僕をリアルに知ってる人ならわかってくれると思うんですけど、正直あんまり愛想の良い人に見られることはありません。だから知らない人に話しかけRareルコとも無いだろうと僕自身も思ってるんですけど、なぜか、道を良く聞かれます。昔は「さすが京都、観光客が多いし僕みたいな人でも話しかけるんだな」と思っていたんですけど(つまり普通の人はもっと話しかけられる)、友達に聞いてみるとどうやら違って僕だけ極端に多いみたい。 ややもすると日本人に見えない時もある濃い顔のせいかな?とも考えたんですが、道を聞いてくるのは外国人観光客だけでは無くて、普通に日本人のおばさんやおじさんにも道を聞かれます。関東人も関西人も。自分じゃなぜなのかよくわかりませんが、まあそういう「体質」ってことなんだろうなあ。 で、今日仕事帰りに深夜の町中で中国系の外国人男性にまたもや道を聞かれました。時間も時間だし(深夜0時半くらい)、なんとなく西洋系よりもアジア系の方が怖いんで警戒しつつ英語で話してみたらばどうやらホテルの場所がわからないらしい。iPhoneでGoogle Mapを出して検索してみたのだけど指定された検索ワード「theatre」 では映画館が出てくるばかりで、埒が明かず。電話番号か地図か持ってないの?と聞いたんだけど、何も持ってないとの回答。どういうことだ(苦笑) 今度は漢字を手のひらに書き始めたのでなんだ?と思いながら想像力を膨らませて「河原町」を出したら「Yes!Yes!」との反応。で、河原町駅に行きたいって言うんで、ここをずっと行って、大きいとおりに出たら曲がって、この建物の次を右に曲がって……と教えつつ、地図で距離を見て「Oh…」。確かにこんな時間に駅に向かってどうしようと言うんだ。。まあでも行くって言うんで、「Good Luck」っつって別れました。彼はちゃんと着けたんだろうか。野宿とかだったらちょっと可哀相だ。 ……ちなみに、帰ってきてこれ書きながら検索してみましたが、どうやら多分、御幸町三条下がったところにあるゲストハウス「カオサン京都シアター」(Khaosan Kyoto Theater)のことだったみたいですね。 カオサン東京ゲストハウス | | カオサン京都シアターへようこそ! チェーンのゲストハウスで(チェーンでもゲストハウスって言うのかな……)、京都では四条寺町下がったところにあるゲストハウスに次いで2軒目のやつ。前に後輩が遊びに来たときにも泊まってたような気がするなーそうかあそこだったか。外国人が多くて有名なゲストハウスだし、「シアター」の方ではなくてせめて「カオサン」の方を覚えてればすぐにピンときたのに。残念。 あと、これは仕方ないけど、来てる方向多分完全に逆方向!方向音痴の人だったんかな…… 道聞かれ体質であるとしても、道教えレベルはまだそんなに高くないようで。
今お世話になっているところでは周りは殆ど年下で、かつ、仕事的にはバイト期間的にもキャリア的にも先輩ばかりです。大学の体育会系しか経験していない僕にとっては、上下関係は年齢ではなく中身であると思っているので、年下とは言え仕事的な意味で先輩であればそれは先輩だと思いますし、基本的に「さん付け」かつ敬語です。特に疑問には思わないし、新しい仕事を学んでいく心構えとしてそうあるべきだと思っています。 ただねえ、実際、現実と照らし合わせてみるといつまでもそれで行けるような感じでも無いんですよね。というのもいかに「先輩」だとしても、20歳男子にいつまでも「さん」付けで呼び続けるのは無理がある。距離間的にも微妙だし、向こうとしてもでかい態度はともかく「もう少し身近に接してもらっていいですよていうかやりにくいです」感みたいのは見えるわけで、なかなか悩ましい。 今のところの妥協案としては25歳以下のスタッフについては「くん」付けで、それ以上のスタッフについては「さん」付けで呼ぶことにしています。「くん」付けでも仕事に関することは基本的に敬語。思えば以前いた会社でも1個下だろうが2個下だろうが、会社組織のマネージメントを任されてるような人に対しては「さん」付けで呼んでいたし、「年下をさん付けで呼ぶなんて」なんていう意識は僕には皆無なんですよね。 それでも「くん」付けで呼んで馴れ馴れしく思われないかというのは常にあり……年上だからこそ横柄な態度になってはいけない(僕はそういうキャラではないけれど)というのはいつも思っていて、一方であんまり他人行儀のままというのもコミュニケーションとしてどうなのというのもあり……ま、こんなの本来考えなくて良いことなんでしょうけどね。なんとなくつい考えてしまいます。悩ましい。
電車で老婆に席を譲るなど、明確な「見返り」を要求しない行為もあるのですべての場合に当てはまるわけではないけれど、一般論として「譲歩する」と言う行為は何らかの「見返り」を求めるものだし、その「見返り」は「等価交換」であることを望むものだ。譲歩に対して「ありがとう」というお礼で応えるのは、コミュニケーションとしては正解であっても、譲歩を巡るやりとりとしては不遜な態度に写る。例えば右折したい対向車に道を譲るのは、次のタイミングで自分が優先されることを期待するからこそのことで、「ありがとう」のクラクションで完了していることではない。譲歩と同等の「見返り」を相手から引き出してこそ譲歩した気持ちは満たされるのだし、自分が先に譲ってもらったときにはそれと同等の「見返り」を与えるべきだ。「自分は譲歩に当たって見返りを求めることはない」と嘯く人もいるかも知れないけれど、それはその人が悟りを開いた聖人であるか、またはただの欺瞞であって、俗世の人間の志向としては正しいとは言えない。 我が儘だとか自分勝手だとか言われる人を観察していると、そういう「等価交換」の意識が欠落している人がいることに気付く。自分では相応の「見返り」を与えているつもりになっているけれど、実際には全く与えていないか、もしくは十分な「見返り」になっていない。長期滞在しているホテルのドアマンが毎日ドアを開け荷物を持ってくれるのに対し、「いつもありがとうね」と言う言葉だけで応じているようなものだ。それは、相手の気持ちを理解しているとは言えない。複数の人間が共存していて異なる価値観で問題が生じている場合、例えば職場のエアコンの設定温度の問題など、誰か1人の設定温度に合わせていたとしてそれ以外の人間が望んでいるのはその人からの感謝の言葉ではなく、その1人からの譲歩だろう。周りが寒いと感じる温度を設定しているのなら、たまには設定温度を上げて冷えピタを貼るとか、そうした行為であって、「いつもありがとうございます」と言う言葉には文字通り以上の価値はないし、言葉は言い終わった直後に意味を失う。 「譲歩」というのは、譲歩されている人が考えている以上に強力な「要求」であって、感謝の気持ちがあるから許されているというような簡単なものではないと思う。もちろんそれで済むような関係もあるだろうけど、同等の関係であれば、譲歩にはそれなりの「見返り」、出来れば同等の譲歩で応じるのが一般的で正常なやりとりというものだし、その意志が欠落している関係ではいずれフラストレーションが生じる。相手が譲ってくれているからとそれに甘えていると、いずれ譲歩を引き出せなくなるか、やりとりが破綻する。自分の価値観を変える必要はないけれど、相手が相手の価値観を貫いたと感じるように誘導することは必要になるだろう。それは性格というようなものではなくて単純に「技術」であろうと思うし、欠落している人はそうした「技術」を学習する機会を得られなかった、ということなんだと思う。 (もちろん国民性などの理由で社会的に学習する必要の無い社会もあるかもしれない) 「人との譲歩のやりとりが不全であっても全然構わない」というスタイルの人ももちろんいるだろう。もしくは「自分は十分に譲歩しているはずだ」「なのに自分勝手だと揶揄される」と考えている人もいるかも知れない。そういう人に対しては、それ以上何も言うことはないし、接する際にはこちらに心の余裕があるときに限り譲歩すると言うスタイルになる。当然余裕がなければ譲歩はしないし、援助もしない。そういう人が存在していても全く構わない、というのが僕なりのそういう人たちに対する「譲歩」であり、その「見返り」として要求するのは、自分たち以外の存在を認めること。つまり自ら以外のものを否定したり、価値観の変更を強制したりせず、自らの価値観は自らの中で閉じておいて欲しい、である。 ……だが既に述べたとおりこの考えも「譲歩」の「等価交換」に立った考えであり、理解されることはなく、この「譲歩」が満足に成立することはない。
お客様を観察し、そのお客様がどんな性格でどんなことを望んでいるかを予測しようとすることは存外に大事。「タバコ吸いそうかな」「よく喋る人かな」「食べるの早いかな」「たくさん飲むかな」そういうことを予測してあらかじめ対策を立てておくと、それが当たった場合に素早く対処できます。仮に外れたとしてもデメリットがないことが殆どなので(非喫煙者を喫煙席に案内したら問題あるけど、基本的に店は禁煙なので逆はあまり問題にならない)、観察して推測することはメリットが多いです。ホールに立ってサービスするときにはとても大事なこと。僕は出来てませんけど、キャリアが長ければ長いほど、観察するポイントは増え、そこから導き出す予測も正確になるようです。 ただそれは、店で働いているときの話。 実生活でも同様に観察し、予測し、事前に準備して行動しようとすると、デメリットも相応に生じるので必ずしも「そうすべき」とは言いがたい。そして大体において……「思い込みが激しい」と表現されて終わりのような気がします。「君これ絶対気に入るよ」とか「彼女はこういうこと全然気にしないよ」とか。僕が「相手のことを見ていない状態」と呼ぶ状態で、自分の考えとは別に「本当のところ相手はどんなことを感じてるのか?」をリアルタイムに見ることを止めてしまっていて、「自分の中の相手」と会話している状態。元々は「観察」から始まった「予測」であったはずなのに、そうなってしまうと「観察」ですらないとは皮肉な話です。 ということを、仕事の合間の雑談のときのシェフの言葉を聞いて思っているのでした。 アレは多分「予測依存症」。 観察すれば、そして予測すれば相手のことはある程度解るし、その予測に立って行動した方が結果が良くなることが多い……という仕事の経験を、実生活にも転用しようとして失敗しているように見える。職業病というか習い性というか。お客様とのやりとりは、確かに人と人とのコミュニケーションとして、「友達になるくらいのつもりで」親密にコミュニケーションすべきではあるけれど、やっぱりあれはシチュエーションが限定されたゲームのようなもので、完全なコミュニケーションではないよなあ。シチュエーションが限定されているから、デメリットも制限されるし予測の正確性も上がるけれど、シチュエーションが変わればその考えが常にメリットを生むとは限らないよね。