「予測依存症」

お客様を観察し、そのお客様がどんな性格でどんなことを望んでいるかを予測しようとすることは存外に大事。「タバコ吸いそうかな」「よく喋る人かな」「食べるの早いかな」「たくさん飲むかな」そういうことを予測してあらかじめ対策を立てておくと、それが当たった場合に素早く対処できます。仮に外れたとしてもデメリットがないことが殆どなので(非喫煙者を喫煙席に案内したら問題あるけど、基本的に店は禁煙なので逆はあまり問題にならない)、観察して推測することはメリットが多いです。ホールに立ってサービスするときにはとても大事なこと。僕は出来てませんけど、キャリアが長ければ長いほど、観察するポイントは増え、そこから導き出す予測も正確になるようです。


ただそれは、店で働いているときの話。


実生活でも同様に観察し、予測し、事前に準備して行動しようとすると、デメリットも相応に生じるので必ずしも「そうすべき」とは言いがたい。そして大体において……「思い込みが激しい」と表現されて終わりのような気がします。「君これ絶対気に入るよ」とか「彼女はこういうこと全然気にしないよ」とか。僕が「相手のことを見ていない状態」と呼ぶ状態で、自分の考えとは別に「本当のところ相手はどんなことを感じてるのか?」をリアルタイムに見ることを止めてしまっていて、「自分の中の相手」と会話している状態。元々は「観察」から始まった「予測」であったはずなのに、そうなってしまうと「観察」ですらないとは皮肉な話です。


ということを、仕事の合間の雑談のときのシェフの言葉を聞いて思っているのでした。

アレは多分「予測依存症」。

観察すれば、そして予測すれば相手のことはある程度解るし、その予測に立って行動した方が結果が良くなることが多い……という仕事の経験を、実生活にも転用しようとして失敗しているように見える。職業病というか習い性というか。お客様とのやりとりは、確かに人と人とのコミュニケーションとして、「友達になるくらいのつもりで」親密にコミュニケーションすべきではあるけれど、やっぱりあれはシチュエーションが限定されたゲームのようなもので、完全なコミュニケーションではないよなあ。シチュエーションが限定されているから、デメリットも制限されるし予測の正確性も上がるけれど、シチュエーションが変わればその考えが常にメリットを生むとは限らないよね。