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ブログ引っ越し作業一旦保留
さくらVPSにメインブログを引っ越ししようと思って作業していて、まぁデザイン変えないしデータの移行だけで簡単だろう、なんて思っていたんですけど(だからブログ更新してなかった、データエクスポート済みなので)、例によって色々やってるんでなかなかすぐには出来なくて、そうこうしてるうちにCSSとか後で付け足した部分が不格好に見えてきてもうしょうがないしこれは一旦保留的な。 ああ、何言ってるかわかんないと思いますが、簡単に言うと、
- ブログ更新再開しますよ。
- でもそのうち引っ越ししますよ。
- デザインは変えませんよ。
- あ、でもサイズは変わりますよ。
忘れたくないことを「外部化」する
今日(2011/10/17)のほぼ日、今日のダーリンより。
ブログ書いている理由をすっきり説明できないことが多かいのだけど、そうか「外部化」かー。 「誰かに良いこと書いてるねと言ってもらいたい」気持ちはゼロじゃないけれども、 どちらかというと「自分で忘れそうだから書いておく」とか、「こういう発想面白いから何かの折に生かしたい」とか、 そういうことの方がブログを書く理由としては強くて。実際自分のブログをよく読み返すし。 でもこのことが「アクセス稼いで人気ブログに」という人相手だと上手く伝えられなくて、モヤモヤしてました。 うん。そう。外部化ね。 それを公開する必要があるのか?という気もするから、その点では他人の目を意識してるんでしょうけども、 自分だけのメモはアナログノートに書いているところを考慮すると、 誰かに読んで欲しいと自分メモを同時にやろうとしているんだろうな。 自分も読み手の1人に勘定した上で、その人にフォーカス当てて毎日なんか書いてる、ってのは全くその通りだなぁ。 「外部化」と「じぶんの読みもの」ねー。・「憶えている」と「忘れる」ということ。 憶えていたくないことは、なかなか忘れないし、 忘れたくないことは、憶えていない。 この記憶の「切り替えスイッチ」って、 じぶんで入れたり切ったりできたらいいですよねぇ。 でも「憶えている」ほうがいいものなら、 メモしておくか、人に話すか、どちらかですよね。 とにかく、いったん「外部化」することだと思います。 あと<メモをじぶんの「読みもの」にする>ってことも、 ぼくの手帳のメモに記してありました。
アメブロをRSS経由で全文取得+画像表示
さすが芸能人ブログで有名なアメブロ、著作権保護のためという理由で、
- RSSでは最初の100文字程度のみの配信
- RSSリーダーでは画像を表示しない
- Yahoo!Pipesを利用して全文配信を行うRSSを作成する
- アメブロの画像をRSSリーダー上で表示できるようにする
【Access Report】 2011年9月版
【Access Report】 2011年8月版
何でブログを更新してんのか問題
「問題」って別にどこで問題になってるわけでもないけど。 父親のブログを読んでいたら、めでたく開設1周年を迎えるとあった。迎えた、だっけかな?僕の知らないWebの友人もいて、普段語ることのないとりとめのない話を吐露していてとても面白い。息子が読むからかも知れないけど。読むまでは「父親のブログを読むなんて照れくさい」「なんか見てはいけないものを覗くようでむず痒い」とも思っていたのだけど、僕にはない空気感というのはそれだけで楽しい。家族のブログを読むというのは案外良いね。まぁ僕は読まれたくないっていうか読むなら黙って読んで欲しいけど。感想とか言われたら悶える(苦笑) んで父親がブログで「もうすぐ1周年だけどなんとなく最近マンネリ」というようなことを書いていて、そうだよねやっぱり普通そういうこと思うよねと思ったのだけど、不思議なことに僕にはブログを書くことについてのマンネリ感みたいのがあんまり無い。なんでなんだろうなと思うと多分、基本的に今興味があることをだらだらと書いているだけだからだと思うんだよね。それに飽きると言うことはほとんど無いし、マンネリと言えば毎日がマンネリ。そのマンネリ自体が楽しい。 もしかしたら普通の人に比べて僕が暇なのかも知れないけど…一般論として、暇がないからやらないという人は、暇があってもやらない。暇がない人は色んなことを犠牲にして暮らしてることが多いから、例え暇が出来たとしても優先順位はビシッと決まっているし、著作を出すとかイベントに出るとかそういう特別な事情がない限り、ブログがそういう事を押しのけて最優先になることなんてまず無い。思いつきを誰かに聞いて欲しいだけだったらTwitterで十分だし。 だからまぁなんでブログ書いてんのさ?って聞かれたら、こうしてだらだら書くのが好きなんだよねという話。 好きであることには別に理由なんか無いしね。 目的とか別にないんだよね…毎日何千人もブログに来てるのは知ってるんだけど、読者を想定することはあんまりないし、このブログをこうしてやろうとか、今度はこういう路線で書いていこうとかもない。アフリエイトでサーバ代が出ればいいなぁとは思ってるけど(AdSense切られちゃったから今は全然赤字です)、それ以上は要らないし、そもそも儲かるほどは更新できないしなー ブログを書くことが何か楽しみを生むんじゃなくて、それそのものが楽しいんだよなーというのを、「狩猟そのものを快楽とした」という「愛と幻想のファシズム」の台詞を思い出しながら思うのでした。僕としてはそれがブログだけど、多分、色んなことがそうなんじゃないかな。何か楽しみを生むために何かをするので無しに、それをすること自体を楽しめると楽しくなるよね。うん。例によってとりとめないけどそんな感じ。
【Access Report】 2011年7月版
ネタのタイミング的シフト
何か思いついたこととか、書きたいと思ったこととか、ノートに書き留めているんですけど、
その状態が文章に起こすのに「適切なタイミング」というのがありまして、
一定時間以上「ネタ」のままで放置された思いつきはだんだん文章に起こす魅力が減るというか。
そりゃお前、新鮮味が減るからだよという話ではあるのですけど、自分の感覚では、
ネタ→ボツってのはネタごとにくるというよりも一定のタイミングごとに、
「これ以前のネタ全部ピンと来ない→ボツ」みたいな感じで来る気がするんですよね。
パッと開いたノートにまだ書いてないネタが30個くらいあったけど、
どれもなんだか考える気がしなくてそのままノートをそっと閉じるということを最近ずっとやってるというね。
ノート開けばネタが書いてある安心感というのは、なんかあんまり良くないのかもなー
書き留めるという意味では良いけど、すぐにモノにしなかったネタについては存在をさっさと忘れちゃわないと、
次のこと考えなくなくなっちゃいそう。
人間って面倒くさいなー
粛々とメモを消化して行けよとも思うんだけど、確かにそれじゃつまらんもんなー
