【04/28】
一日中、シンプルに、過ごした。
一日中、シンプルに、過ごした。
そうすることが好きか嫌いかはともかくとして、 僕らは、周りの人間に対して、 『好き』『嫌い』。。。などの様々な『ランク付け』をしている。 (意識的・無意識的に) 僕の場合は、例えば、 『好き』『嫌い』『苦手』『親しい』……など、だ。 この中で苦手、と、嫌い、というのは似てるけど、同じじゃない、 どちらかというと、『嫌い』の方が好きに近いかな? 『苦手』という人は、うまく話が合わない、価値観が違う、 コミュニケーションが取れない、ってのが多くて、 どちらかが明確に悪い、ということが少なく、曖昧だ。 『嫌い』というのは要するに喧嘩だ、誤解とか、 売り言葉に買い言葉、損得勘定………. 相手の自分の関係がくっきりとしていて、単純に言えば、 どちらかが謝ったり、なにかの拍子に氷解する可能性がある (実際はそんなに単純じゃないけど) ま、人間関係なんてのは、 ある時、突然代わったりするから、 時間掛けて分析してみても、あんまり意味無いんだけどね。 あんまり人を嫌いになりませんように
まー普通です。(^-^) ちょっとさぼってるけどね(^^ゞ
これも何してたか不明。昨日のことなのに。 適当に過ごして、夜から、友達とパスタ食べに。 昔よく行ってた【マダン】というパスタ屋に行ったら閉まってて、 『あーー…潰れたかぁ…』 と思ったらそうじゃなくて、白川通り沿いにリニューアルオープンしてた。 あんだけ入ってたんだから、潰れるわけないか。 相変わらず美味しく、量もたっぷりで満足。 また行こうーーーっと。
えーと、1日寝てました。 あ、それは、24日か。 24日の朝7時に寝て、起きたら25日の朝5時でした。 とんでもねーー で、25日は何してたっけかなーー… たぶん、ぼーーっとしてたんでしょう。また。 ほとんど寝たきりだな。 >寝てばっかし&ぼーー
とかく、カレーが、好きだ。 簡単だ、という理由もあるが、 月に、1,2度は作る。 具に凝ったり、ルーに凝ったりもするけど、 まぁ、独り暮らしの男の料理なので、 ルーのミックスなどはしない。めんどくさがりや。 ましてや、カレー粉・スパイスの調合なんて! それはともかく、美味いカレーを作ることだけは、できます。 そういうわけで、今夜はカレー。 いぇい。
やはり、メールで喧嘩するのは良くない、と。 俺何度おなじ反省してるんだろうね(苦笑) 気が合わないのには違いはないけど、 僕らは4人で1つのチームなんだと。 思ったよ、マジで。 深夜で眠かったけど、 実の入った話が出来ました。 喧嘩する元気もなかったんだけどね(苦笑) 不安の方が期待より大きいけど、 楽しくなりそうです。 第2回があることも決まり(日程は仮決定) フライヤー制作にも取りかかる、今日この頃。 頑張るぞ、と。 あ、前売り、取り置きも出来るようになりました。 けど、チケット、力作なので、買ってね♪
そうか、ぼくは 泣きたかったんだ
今から御飯食べて寝ます。 まぁ別に悩んでたとかではないんで…(笑) それにしても、いろんなことがあるもんです。 やはり、何がベストなのかな?、と。 『何がベストだったのかな?』 ということではなくて、 いま、何がベストなんだろう?ということ。 僕自身のことも、 人間関係のことも、 その他色々なことも。 わからない。 愛してるよ、と囁くことはすごく簡単なことであっても、 その相手が恋人であったとしても、 そう踏み切れない、そういう気持ちを、 ?恋愛のことだけではなくて、? ずっと、もう、何年も、そう、5年や、もっとか、 感じてる。 機能不全だと、僕はわかってるのに 周りの評価と違う僕がいる。のに。 謙遜や、照れじゃなくて、 僕はもうずっと何年も、袋小路の行き止まりで 座って、ぼんやりとしている どんな言葉も、正直に言うと、僕には届いてない、 好きだよ、という言葉も、凄いね、という言葉も、 どこかで、かき消えて 動く口元しか、見えない、気がする、 誰が、どこへ行ってもいい なにが、どう変わったって、いい、 俺、なぁ、変わってくれよ。 袋小路を乗り越えるか?後戻りするか? 何を言われても、聞こえないんだよ
その人の言葉に繰り返し出てくることは、 その人に欠けていることである場合が多い、 というある教師の話を本で読んだことがある。 例えば、『僕は自由だから』『僕が自由になるために』 と言い続ける生徒は、 本当は自由でなかったり、 自由という意味がわかっていなかったりするそうだ。 『そうありたい』と『そうだ』が混ざってしまっているのかもしれない。 俺はその重要性を訴え続けているくせに、 コミュニケーションというものを信じていないような気がするし、 上手くコミュニケートする自信もない、 というようなことを考えたとき、 ふと、そういうことを思い出したのだった。 そう考えてみれば、教師と対決し、 色々なものを勝ち取ろうとしていた中学生の頃、 僕らはよく『自由』という単語を口にしていたと思う、 僕らが勝ち得たモノはノーチャイムで、 勝ち取れなかったのは私服通学と 生徒会への教師の関与の完全排除、だった 確かに僕らには自由はなく、自由が何かもよくわからなかったけど 自由になっても困らなかっただろう、 きっと0からすべてを作り上げただろう、 そういうエネルギーがあった。 一般的に見て、僕には、 コミュニケーションと、冷静さと、モラルが欠けているが、 逆に言えば、それらがなくても、 図太さと、流ちょうな理屈があれば困っていないかもしれない。 僕はこうして文章を書くことで、 自分の冷静沈着さをアピールしてるみたいだが、本当は、 こうして文章を書くことで、 そうあって欲しいと、確認してるのかもしれない。 それでありながら、わかっていながら、 敢えて、暫く、コミュニケーションを拒否しようと、思う。 コミュニケーション、できません。 (『希望の国のエクソダス』)