the band

1月3日、静岡大学附属静岡中学校第44期同窓会。 卒業10年目の会。 みんな変わってなかった、 女の子は綺麗になってるか、少し太ってるかどちらかだ、 男は全然変わってないか、少し太ってるかどちらかだ、 会の最後の方で、友達4人が作るバンドが演奏した、 コピーだけど、まだやってるとは思わなかったので、何か妙に嬉しかった メトロで聴いてみたい、とふと思って、 自分には力なんて1mmもないのに、 本気で続けるなら話してくれ、話くらいはできるかもしれないから、 なんて口走ってた、 僕は、見た目はほとんど変わってないらしい、 昔からこんなヤツだったのか?と少し苦笑い 『俺は目立たない地味なヤツだった』と思ってるのは俺だけ、 というのはどの同窓会に行っても毎回思わされることだ、 …そうだっけ? よくわからない。 自分の中で話せることと言えば馬と音楽の話だけど、 馬の話はもう言い飽きてるし、音楽の話なんて同窓会じゃしないから、 僕には話すことがない 思い出話、に花が咲く いろんな人に会えて楽しかったけど、 『帰りたくない』と思うほどではなかった、正直に言うとね。 いろいろな話が通じない気まずさを、解消する気がなくて、 ぼんやりしていた 少し飲み過ぎたのもあって、2次会で帰ってしまった 『また会おうね』 と言って別れたけど、本当にまた、会うのだろうか?? あのうちの大半とは、もう2度と会うことはないだろう。

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logical people 02

フト考えてみたけど、最近はあまりそういう嫌なタイプの人に出くわすことがない 正確に言うならば、『出くわした!』と思うことが少ない いろんな理由が思いつくけど、 取り敢えず今の僕には『誰かと一緒に過ごさなくちゃいけない』という環境がなさ過ぎる、 つまり、誰かと上手くいかなければ、その人と会わないように、話さないようにすればいいだけ、 そんな関係ばかりで、 一般的なことについては、浅い領域のみで、 深い領域の話に関してはここで絶交しても別にいい、という軽い気持ちで、 そういうコミュニケーションをしてるから、人をあまり嫌にならない。 例えば前述のような『鼻持ちならない』人に出会ったとしても、 自分が不快感を覚える前に触れないようにするか、 何故そんなことを言うのかしつこく積極的に質問すればいい、それで喧嘩してもいいのだから そんなわけで、コミュケーションができないヒトに対しては、 その旨を伝えて、相手の言っていることがなんなのかきちんと質問する、 相手がどう思おうと、こっちは構わない。 そんな、付き合い方が多いような気がする、 こいつは身近な人間だ、とはっきり認識したような人にはそんなことがないけど、 『知り合い』ならば、そういうことが多い、 ここでこんなことを書くと、僕が相手のことをどう思ってるか気にされて 行動しにくくなるかもしれないけど、 まぁ誰も読んでないし、ホントのことだし、 ま、いいや。 だから、前述のようなタイプの人と一緒に仕事をするのはストレスが溜まりまくるかもしれないけど、 それは『タイプ』であって、『誰か』ではない、 『タイプ』とは会話できないが、『誰か』とは大抵の場合、会話できる。 相手にも悪気がない限り、 苦手だが、別に嫌いでもない。

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flash

いまやってるのは、 FLASHをメインに使ってサイトを構築する…ということ。 いままでは、 オープニングムービーとか、ページのアクセントにしか使ってなかったけど、 きちんと目次を作って、ページそのものを作る。 と同時に、 FLASHを見ることができない人、 FLASHを見たくないような人のためにHTML用のページも用意する、 そして今後の応用を考えると、更新もしやすく… FLASHを使うと、更新が面倒になる、というのは仕方ない、 メトロの昔のサイトは、FLASHを使ったすごく凝ったものだったのだけど、 それが今のようなものになったのも、その辺にも理由がありそうだ、 とりあえず、まだ作りかけだけど、 flashworksのページ、 今のところの、自信作です。はい。

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[01/12] 祇園花見小路

祇園花見小路。 京都の“観光地”を歩いていて、いつも驚くのは、 これが『テーマパーク』ではない、ということだ、 太秦映画村のように、『作り物』であるならば作るのは簡単だろう、 だけど見た限り、自分の生活とはかけ離れた文化なのに 自分と同じように生活しているのだ この風景は張り子ではなくて、 実際にそこにあるもの、だ、 ここでの生活など、想像できない。 そんなことを言っても、京都の人は、 自分の身の回りも似たようなものだ、と言い、 それがここでの生き方だ、と言うのかもしれない いや、どうだろう? もし今僕が生きている時間が『現実』だとするならば、 京都、は、明らかに、日本ではない。 僕らには、京都を見て『懐かしい』と思うような記憶はなく、 その美しさや奥深さに共感しているという点で、 外国人と何ら、変わらない。

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logical people

去年書いた『artist』で書ききれてなかったので、補足。 このことについて、2つのことを同時に考えていたのだ、と気づいてなかった。 ひとつは、ある種の人々は、感覚的なモノに大して過剰に理屈をこねて、満足しきっていること、 もうひとつは、ある種の人々は、自分が相手とコミュニケーションを取れていない理由がわからずに、 自分の言葉に満足して、理由を相手のせいだけにして満足してしまっていること、 そういうことが僕はあまり好きではない、ということなのだ、 と、昨日ヒトと話していてフト気が付いた。 例えば、僕が、その人と同じ勉強や仕事をしていて、その人の言っていることがわからなければ、 僕が勉強不足だ、ということであり、2人のコミュニケーションが上手く成り立たないのは 僕にも責任があるということになる、 だが、その人が哲学を学んでいる友人で、僕は普通の男、だとしたら、 彼が高名な哲学者の言を引用してきて説明したとしても、僕にはわからないだろう。 その彼は、何故その言葉を引用したかと、その言葉そのものについて、説明する必要があるし、 いやそれ以前に、『僕がわかっていない』ということをきちんと感じ取る必要がある、 本当に凄い人はきちんと言葉を選んでくれる、 上滑りな人ほど、他人の言葉を自分の言葉のように使う。 そして、理解できない相手を、卑下する。 むしろ、卑下することが目的ならば、それは構わない。そういう言葉の使い方はするし、 わからない相手とはそういう話はしないというコミュニケーションもある、疲れるからね、 だけど、1対1で話をしているときに、相手も自分と同じ『基準』を持って話をしている、 と思ってしまうのは、失礼じゃないだろうか…? というのは村上龍の半ば受け売りだけど、 古い友人から知り合いまで、いろんなヒトと話していると、その辺りが わかってる人と、わかってない人の境、であるような気もする。 僕は昔から口喧嘩が苦手で、後々になってから、『ああ言ってやればよかった、』 なんてくよくよ後悔するタチなので余計そういうことを思うのかもしれない。 『上滑りな人』の矛盾やはったりを突いてやりこめるということができない。 むしろ、 上滑りな人の方がタチがいい、きちんと知識も感覚も持ってるのに、 『コミュニケーション』を独りよがりな方向でしかできない人の方がやっかいだ、 『鼻持ちならない』という表現がぴったりな人々、には仲間入りしたくないし、 できることならあまり付き合いたくない。

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[01/08] 69tracks

今にして思えば、今月の69は緊張していたのかもしれない。 『まーぼ。』が、久し振りで緊張している、と言って笑ったけど、 その気持ちがなんとなくわかる、気がしていた。 誰かに迷惑を掛けなかっただろうか? 最近そんなことばかり気になって仕方ない、なんてことだ。 今月はきちんと最後まで覚えているつもりで、 デジカメに『3時撮影』と記録されている写真にも憶えがあるし、 大丈夫なんだと思うけど、不安だ。 だったら飲まなければいいのに…とは思うけど、 それはあいにく無理で、気がつくとやっぱり楽しそうに飲んでる僕がいる、 踊って騒いでるし、ショットで乾杯してる、 『このイベントの客は酔い方が汚い』と、言われても仕方ないかな、と思う、 だけどまぁ、それが楽しいし、好きなんだ、と思う、 僕に『緊張』を感じさせた気持ちはまだ氷解していなくて、それは 何となく『気後れ』に似た感情で、スケジュールをぼーーっと見ながら、 『どうしよう??』なんて考えたり。 下鴨神社で引いたおみくじは、文句のつけようのない程良かった 後は僕がやりさえすればいいんだね? さてさて。

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