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終わる、 その瞬間、すっと正気に戻る、 ひたる『余韻』もない、 極めて淡泊に、そしてなんとなく、 なにしてるんだろう、という気になる だからと言って、したくなかったわけではない そのときは、したくて仕方なかったハズだ、 そのギャップに自分で驚く、 次はないかもしれない、とさえ思う、 でもまたいずれ、する、 全然理解できない、不思議なこと。
終わる、 その瞬間、すっと正気に戻る、 ひたる『余韻』もない、 極めて淡泊に、そしてなんとなく、 なにしてるんだろう、という気になる だからと言って、したくなかったわけではない そのときは、したくて仕方なかったハズだ、 そのギャップに自分で驚く、 次はないかもしれない、とさえ思う、 でもまたいずれ、する、 全然理解できない、不思議なこと。
ここ2,3日、周囲のどこかの部屋から、ものすごい音がする。 床を思いっきり叩くような音。 それが一定のリズムでしばらく続くのだ。 1日に不定期で2,3回。 僕はてっきり真上の部屋だと思っていて、今日、文句を言いに言ったのだが、 ドアを開けた瞬間に『何のことかわからない』という表情で出てきたので 違うのだとわかった、 いったい誰なんだろう? 気にしなければ気にならないんだが、 風呂場の雫と同じで一回気になると、気になってしかたない。 それに、とにかく、響く凄い音なのだ。 さっき、僕が勘違いしてた部屋の人が来て、その人は僕がこの部屋だと知らなかったらしく、 あ、間違えました、ごめんなさい、 と言ったあと(男だぜ、念のため) うるさいですねぇ。と言って別れた。 なかなか感じのいいヤツだった。ああいうタイプには文句を言いづらい。 (いや、もともと何の問題もないので、言う文句もないけど) どうでもいいけど、どこの部屋がうるさいのかわからない、のは、ホントに迷惑。 なんでうるさいのかくらいわかれば、 怒りというかいらつきもやり場があるってもんなんだけど。
ベランダとの境に立って、煙草に火を付ける 部屋の中には静かに鳴り続ける『FEVER』 外は、明け方のそら 部屋から外へあふれ出す暖かな空気に押されて 煙はずっと遠くへ 消えていく コードは進んでいく 煙草は燃えていく 僕は変わらない 部屋で独りキーを叩き ウォッカを飲み、煙草に火を付ける 『旅に出よう それぞれのステージ』 聞き飽きた、なにもかも また朝が来てしまう 僕には必要のない時間
オトコマエ、 と言われたくない 悪い気はしないが、その言葉の意味がよくわからない 僕のしているコトヲ看過するだけの意味合いがその言葉にあるとするなら 僕にはそんな評価はいらない 正直、憂鬱な気分になる 男前なのは僕ではなくて僕の顔だ、 そのせいで僕は皮膚の1mm 奥さえも見てもらえない気がしてる 僕は独りにならなくちゃならないと思う 独りで旅に出て、どうしようもなく不安で、だけど どうしようもなく居心地の良かった時間が ひどくなつかしい ウィスキーグラスに並々注いだウォッカを15分で空けてる僕がいる こんなのはいらない 自分と、リュックサックと、自転車しか、ない、そんな時間が懐かしい 独りでいると、周りのことがなぜかより身近に感じる 自分の皮膚の1mm 外はもう自分ではないと、 はっきりと感じる そんな心地よい時間が懐かしい 今朝の空気は冷たい、そして気持ちいい。 僕を誘う 消えても、いいかい?
最近、自分のことを書くのを避けてる。 それは『書きたくない』と、いうことだけではなくて、 あまり、自分のことについて考えてないからだ、書くことがない、 考えてみれば、いろいろとあるのだ、 でも、あまり深く考えないようにしてる。 何かが、結果として明らかになったときにも、 後悔もするだろうが、それを受け入れよう、ということだ、 むしろもう諦めてしまっているのかもしれない 僕が誰かに何かを求めるのと同じように 僕も誰かに何かを求められる、いろいろなカタチで それが時にうっとおしくて、わざと部屋に閉じこもったりする 行くべき場所へ、出向かずに、すごす、 僕は何も言わないが、 つまり変わらなくても文句はないし、時に嬉しいが、 実際の話、変わって欲しいと思ってる 例えば『戻る』という選択肢だってあり得るし まだ目の前にない選択肢や、今出会っている選択肢もあり得るだろう、 頭のカタイ人にはわからない話かもしれない、 だけど、大事な話に関しては、全てをクリアにして考えよう 頭の固さは判断の省略だ。 僕は誰にどの程度、必要とされているのだろう。 日々、それがわからなくなる。 『わからなくなる』のではなくて『別に必要にされていない』と思う。 必要だと言われたところで、 僕の存在、であって僕ではない 日々、僕は必要ではない、と思って生きている、 ある日僕がいなくなる、しばし噂になる、噂が消える、それだけだ。 会いたいという、その気持ちがわからない。 僕はなにを期待されているのだろう。 僕はなにをしてあげれば良くて、どんな僕でいればいいんだろう。 聞けばおかしな話だけど、そんなことを思う。 この2年くらいの間に悩んでいたようなことを、 すべて諦めて飲み込んでしまった。 だから、悩まない。いいことではないと思うが、しかたない。 それ以外に情緒を安定させる方法が思いつかないからだ、 悩まない代わりに考えない、だからわからない、 僕に何を求めているんだろう フロアで会ってもどうしたらいいのか、何を喋ったらいいのか、わからない 必要ならば、僕の何が必要なんだろう 僕は必要なのか?必要とされているのか? 本当は、必要・不必要とは離れたところで人は生きているのかもしれない。 必要・不必要を気にする僕が不自然なのだろう。 いま、僕の情緒は比較的安定しているが、 今の僕は少しおかしい。 屋上のへりを歩いている感覚だ そのうち死ぬかもしれない。 痛いのは嫌いだが。
まったく実感がないが、どうやらもうすぐ冬季オリンピックが始まるらしい。 冬季オリンピックと言えば、4年前のそれは長野だった。 ここ2日のマスコミの報道を見ていると、 『上村愛子』という名前がよく出てくる。女子モーグルの選手だ。 4年前、里谷多英が金メダルを取ったときには、 可愛さだけが取り上げられて、マスコミは、ただのアイドル扱いだった。 長野オリンピックが終わった後しばらくは、 芸能界入り、という話が何度となく言われていたし、とてもスポーツ選手に対する扱いじゃなかった。 ところが、今回は年齢が4つ増えて22になった、ということもあるだろうけど、 マスコミは揃って、その、競技に対する姿勢、4年間の成績、モーグルのテクニック、 そうした、モーグルという競技を含めた扱い方、 何がそうさせたのかわからないが、 『上村愛子』という名前は、確実に『スポーツ選手』、のものになっている。 僕は、ウィンタースポーツに関しては、なにひとつやらないし、興味もないので、 マスコミの熱狂みたいなテンションには馴染めないと思うけど、 彼女がどうなるのか、少し、興味を持って見てたいとおもう。
先週末から、ここ4日ほど、 69tracks.comのリニューアルにかかりっきりだったんだけど、 なかなかな出来にちょっと満足。 でも機能的だけどわかりにくい、って声も出るかなぁ… いや。僕的にお気に入りです。 デザイン性を重視して、 自分の環境以外の人への配慮を欠いている…ということもあるけど… あいかわらず、サイトを作るのは難しいです。 自分の環境で見てるのがみんなと同じ、なら楽なんですけどね。 デザインと同じくらい気を遣いますわ。 まぁいいや。 新しい、69tracks.com、楽しんでください。 (まだリニューアルの途中だけど)
先日の夕方、ピンポーンと、誰かが尋ねてきた。 新聞料金の徴収に早すぎるよな…? などと思いつつドアを開けると、変なおっさん(というかお兄さん)がそこに。 いわく、 『インターネット環境の調査をしてるので、上がってPCを見させていただいてよろしいでしょうか?』 ときたもんだ。 夢うつつだったので、思考に時間が掛かったんだが、はっきりいって、 『はぁ?』である。 だいたい、上がり込む必要がどこにあるのだろうか? その辺のよくわかってないおばちゃんを対象に自社製品(結局はOCNの8MbpsADSLらしい) を売り込む営業だったのだと思うのだけど、 そんなことでヒトに自分のPCを触って欲しくないし、そもそも上げたくもないので、 寝起き(昼寝だけど)ということもあり、カチン、と来てしまった。 が、まぁ…営業も大変そうだし。最低限くらいは協力してあげようと(そして鼻で笑ってやろうと) 『(なに馬鹿なこと言ってんだという笑いの後)知りたいことあるんなら口で言いますよ。 何でも聞いてください。答えますから。』 そういう申し出に面食らったのかよくわからないが、 現在の俺の環境についてかみながら質問を始め、自分の持ってる情報量が相手とあまり変わらないと感じるや、 (客に『よくご存じですね…』と言って黙っちゃダメだろ) 自社製品をちらりと売り込もうとしようとしたけど、一瞬で止めて、帰っていったのであった。 なんなの?あれは。 つうか、そんなアンケートどこにでも落ちてるだろうし、営業マンが足で集めたってしょうがないわけで。 そんならさいっしょから営業せんかい。 まったくまぬけな営業してますな。 NTTコミュニケーションズ。
久々に、夜寝て朝起きて、という生活。 『いやーーいいねぇ…』 と言いたいところだが正直よくわかんない(苦笑) でもやっぱ、朝起きるのはいいなーー ただ、 今日も深夜1時半からNFLの放送が… しかも大好きなラムズの試合… でも眠い… あぁ…(;_:) 仮眠して無事に起きれるだろうか…
過去の経験などから考えて、僕は『調教師』には向いてないのじゃないかと思う。 簡単に言うと、育てる喜び…みたいなものを敏感に感じ取る能力が欠けているんじゃないかと思う、 例えば日に日に成長が見てとれる…なんて場合には僕も嬉しくてやる気になるんだろうけど、 調教というのは本来はそういうこととはかけ離れていて、 本当はいいのか悪いのかわからないようなこと(一応効果に対する理屈や裏打ちはあるのだけど) を毎日(もしくは定期的に)課していき、その挙動の中からいくつかを上げて前日、前週、前月、前年、 と比較して、効果が上がってるということへの自信を深めていく… そういう姿が本来なのだろう。 悪く言えば、例え効果が上がっていなくても、上がっていると理屈を付けることができる能力や、 効果が上がる(または無い)のを長い時間待って評価できる性格や、 そういうことが、『育てる喜び』を感じるのに必要で、僕には少ない気がする。 (註:調教師の能力の高さ低さ、について論じてるのではない。関係者も多いので念のため。 主に『喜び』にポイントを置いた、僕自身の性格と、『一般的な』調教師達との対比である) とはいっても、身の回りの人々はそういうことをあまり考えないで、何となくの流れで調教していたり、 『調教師的』コメントや考え方に慣れてしまってたりしている人が多いので、 僕がふと口に出しても自分自身の性格とは上手く比較できないでしょうな。 ていうか、その人はいないと困るし、疑問を持たれても困るし。それでいいんでしょう。 なんでいきなりこんな話? …というのも最近ちょっとおかしくて(→理由なく舞い上がっていた) 案の定、ちょっとした失敗を2,3やらかして、ひどく落ち込んでたんだけど、 まぁしかたない、と。でも いろんなコンタクトの取り方についてふとしたときに考えていて、その中の1つというか。 もうちょっと冷静でいれたらいいんだけど。某Tコーチほど冷たくなくてもいいけど(笑) 僕ほど表情が少なく冷静そうで、精神的にもろくてすぐ感情的になるヤツも、おるまい。 見かけ倒し。 いやまぁ、激昂、とか嫌いじゃないんでいいけど。実害無い限り。 なんか、まとまんなくなっちゃった。 また今度改めて。