orz

『がっくり』という意味の絵文字らしい。 oが頭で、両手と膝をついてる感じのイメージ。 同義語に、_| ̄|○ など。 こういうのってまぁ、知らなきゃ知らないまんまなんだけど、 案の定、おいらも知らなくて。 知らないどころか、 『コレは…顔?』とか思ってた… (_| ̄|○ 左から口、鼻、左目、輪郭、左手…) 別に今さら記号論するつもりはないが。 きちんと伝わるかどうかは相手任せなところは危ういけど、 共通の約束さえあれば、説明のルーティンを省略できるんだよね。 個人的にはあんまり多用したくないけど (使ってると本当に凹みそうだし(苦笑)) こういうのっておもろいなぁ、と思う。 英語圏の顔文字っていまいちつまらんよねーシンプルすぎて。

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嵐続き。

2004年後半、 公私ともに嵐、および嵐の予感が本当にてんこ盛りなのだけど またもや、大きな出来事がありそうな感じ…。 これをここに書くのは、道徳的にどうなのかよくわからないが、 既に痴呆気味の父方の祖父が、そろそろ…らしい。 何ヶ月か前から、『治る見込みのない病気』を抱えており、 そのことを知るごくわずかな人間(両親と兄妹)は、暗澹たる気持ちでいた。 もちろん、祖父が亡くなる寂しさ、悲しさということもあるし、 現実的には、祖父が亡くなった場合、 父親が仕事を続けられなくなるという問題もある。 僕が静岡に帰ったところで事態が好転するわけではないから、 『帰ってこい』ということにはならないとは思うが、 (もしかすると、逆に京都に出てくるのはありそうな気もする) いずれにしろ、単純な問題ではない。 妹は結婚する気でいるようだが、このことが解決しないうちは、 それも進められそうにない。 珍しいのだと思うが、 僕の祖父母は4人とも健在で、僕は人間の肉親を亡くしたことがない。 ひとり、伯父さん(父親の姉の夫)が亡くなっているけど、 きちんと話をしたことがなかったし、血も繋がっていなかった。 だから、亡くしたときに…どういう気分になるのか、まだ、想像できない。 僕は本家の長男であり、静岡の名士でもあった曾祖父に可愛がられて育った。 祖父は、薬局を営む『平民』からの婿養子であり、肩身が狭く、 曾祖父が健在の時はあまり僕に触れようとしなかったが、 曾祖父が亡くなってからは、可愛がってくれるようになった。 僕が祖父の母校(古くは静岡中…現在の静岡高校)に入学したときの喜びようと言ったらなかった。 (多分、僕も孫が入学したら同じように大喜びするんじゃないだろうか) 名古屋で一年浪人して、京大に入学し、静岡を離れてからは、 余り会う機会もなかったが、たまに帰って挨拶に行けば、必ず嬉しそうな顔をしてくれた。 祖母や、叔母さんは決まって、詮索好きな…好奇心ありありの笑顔で、 正直僕は今でも苦手だけど、 祖父はつまらない土産でも、本当に喜んでくれたから、 必ず正月にはお守りを買って帰った。 普段、1分や1時間、1日というスパンで、何も変わらないつもりで過ごしているけれど、 家族の形も、ゆっくりとだが、確実に変わっていく。 近い将来、僕も妹も結婚し、両親もいつかは亡くなるだろう。 変わっていくことは止めることが出来ないし、ただ、受け入れるしかないのかもしれない。 せめて、祖父が、 苦しまずに眠れるように、京都から、祈ろう。

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メールの寂しさ。

携帯メールの返事はすぐ返って来るもの、 という思いがどこかにあるのか、 返ってこないと結構寂しいもの。 『会えない』とか、『電話できなかったー』とかだと意外に平気なんだけどね。 もちろん、それにも『ほど』はあるけど。 酔っぱらうと必ず、片っ端からメールしてみてた昔と違って、 今はそう言うことはほとんどない。 だから一層、寂しいのかもなぁ。 イベント帰り、眠る少し前、明け方、台風の匂いなんかひとっつもしない、 秋の夜風を感じながら、煙草に火を付ける。 ま、そういう日もあるさ、 理由はよくわかんないけどね、 そうして、眠りにつく。

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鈴木一平 / 雨の糸

国内盤/RCA/JACKET:良好/ パチプロ、ホスト、ウェブ・デザイナーと華麗なる遍歴の末、 満を期してリリースされた自作自演による衝撃のでビュー作!! 7″ [A+] 13440円(税抜 12800円) …そんなわけねぇし(汗)

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駅にて。

友達が仕事で遠くへ引っ越す夢を見て、目が覚めた。 また、夢だ。 リアリティのある夢を見るのはこれで何度目だろう。

歩き出したら振り返らない、とだけ、僕は決めていた。 『彼ね、本当に凄いの。』 彼女は、目を輝かせて、彼女の新しい上司の話を始めた。
この部分だけは、起きてから文章にした。後は、知らない。

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where their eyes are aimed

『Number』という雑誌を、 どれぐらいの人が読んだことがあるのかわからないけれど、 記事を読んでいて僕がいつも気にすることは、 『誰が書いているのか?』ということだ。 雑誌というメディアの性質上、 その記事を誰が書いているのかということは、一般的に、注目されないことが多い。 記事を書いているのは出版社のライターであり、編集長であり、 誰、と名乗るようなものではないことが多いからだ。 しかし、Numberは違う。 あれは一種の、『論文集』、だ。 スポーツ以外の批評でも同じことかもしれないが、大事なのは、 一冊の中の縦の流れだけではなく、筆者を通した横の流れ、でもある。 たとえば、日本サッカーについて書かれた文章があるとする。 今号の記事はやけにジーコの戦術に辛辣だな、と思っても、 それがそのまま雑誌の態度ということにはならない。 筆者が後藤健生であれば当然の流れだし、金子達仁であればもっと心情的、感傷的だろうし、 戸塚啓であれば、西部謙司であれば…、という特徴がある。 F1記事の筆者が今宮純(もしくは今宮雅子)であれば安心できるし、 そうでなければ力が入りすぎているな、と感じる。 イチローのインタビューが、佐藤俊であれば、書いてあることが本音であるとわかるし、 その他多くの筆者に関して思うことが多くある。 人によって、書くことや、思うことが違うのだ、と認識するのは、非常に大事なことだ。 テレビやインターネットを始め、多くのニュース報道というものは、一般的に匿名である。 Yahoo! にとある記事が載ったとき、多くの場合は、 『時事通信』『ロイター』という区別のされ方をする。 記者名が載るときもあるが、多くの場合はクレジット以下の扱いだ。 必然的に僕らはそれを額面通りに受け入れ、事実と感想とを一緒くたにして取り込む。 溢れるようなニュースを、全てそのように受け入れ、それに慣れてしまうと、 自分で考える、ということをしなくなる。 誰かの主張で固められた、薄っぺらい人間の誕生だ。 重要なことは、何かを目にした後に始まる。 筆者に比べて、僕らが持つ情報は、あまりに少なすぎるが、 しかしそれでもひとつの視点を持つべきであることには代わりがない。 後藤健生と、西部謙司と、金子達仁と、…それから自分とで、ディベートを行う。 そして、誰かのどこかは切り、誰かのどこかは拡張し、 確かに切り張りではあるが、それでも自分だけのものを作り上げる。 それが重要だ。 僕らの存在意義というのはつまり、そこだ。 一つの世界を共有し、異なる視点を持つ。 他人の視点は僕にはないし、僕の視点もまた然り。 僕が、人間のことをもっと知りたい、と思う理由も、そこにある。

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John Gress

こんなことは滅多にないんだけど、 ふと目にした写真()がどうも心に引っかかったので、撮影した人物を検索してみた。 ロイターへの仕事が多かったので、 『あぁ、ロイターのカメラマンなんだな、』 と思ったらそうではなく、フリーランスで働くカメラマン。 名前は、John Gress。 オレゴン州出身のカメラマンで、10代前半から写真に興味を持ち、 いくつかの新聞社に属した後、今はフリーで、 広告やスポーツ、政治、など幅広く活躍している写真家らしい。 全く何気ない、ただの報道写真だったのだけど、 そんなテーマでさえ、何かを持つ写真を切り取れる。 素晴らしい。 John Gress Official Site: Chicago Photographer — John Gress Photography http://www.johngress.com/

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阪神・井川がノーヒットノーラン、プロ野球71人目

僕は、基本的には、『消極的巨人ファン』。 よく、巨人ファンに対して、 『金で集めて出来たチームのどこが良いんだ』とか、 『デカイ顔しやがって偉そうにすんな』とか言う人がおりますが… そんなもん、俺らのせいじゃない。 ましてや、選手や、チームの責任なのか? 単純に、子供の頃一番よく目にしたチームであり、選手であり、 良い野球をしていた(堀内の野球はは微妙。あいつはいらん)から、 ファンなのであって、球団がどうなのかなんてコトでチームは選ばない。 その僕が、最初にきりきり舞いさせられたときから、 一目置いていた投手が、井川慶。 ものすごく切れるストレートにスライダー、そしてチェンジアップ。 絶好調だと、もう、触れない。 一目置いていたというコトはつまり… 苦々しく思いつつも、尊敬もしていたということ。 尊敬していた選手が、ノーヒッター達成。これは素直に嬉しいなぁ。 別に虎党に媚びるわけじゃなくね。 素直に、祝福したいと思う。

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河原町通。

河原町通りの歩道は危険です。 何故かと言えば…道幅1メートルというところに、歩行者と自転車が混在しているためです。 なぜそんなことが起こるのか… よく、『自転車のモラルが低い』と言われますが、知ってますか? 河原町通りの車道は、10-22時の間、自転車は走行できないんです。 (御池?四条間) よく論争になりますが、交通規則上、自転車は車道の端を走るのが正しい。 歩道は歩行者のための道路であり、基本的に自転車は走行不可です。 (実際には、自転車も走行していますし、車道からの避難場所としての性質もありますが) しかし河原町通りではコレが規制されているので… 河原町通りに入ってしまった自転車は、 意図的にせよ、そうでないにせよ、歩道を走らざるを得ない。 なぜ、自転車が裏通りを走ろうとしないのか疑問ですが、 正直、接触事故が起きないのが不思議なくらい危険。 決して自転車のモラルが低いわけではなく、 たとえ規制が無くても、路駐だらけで車道を走行するのはほぼ不可能。 街の、構造的な問題ですね。もはや。 解決はほとんど不可能なので、 自転車で走行される方はなるべく裏通りを。 歩行者の方は十分に注意してください。ほんとに。

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