考。

ここで私は哲学的な問題の本質について一般的な考えを述べておきたい。哲学における曖昧さはたえがたいものだ。恥ずかしいとさえ感じられる。そのとき人は、はっきりとわからなければならないところでよくわかっていないと感じる。しかしこのように感じるとき、実は事態はそうなっているのではない。われわれは、わかるわからないなどことさらわけず、つまり哲学の問題などはっきりわからなくとも、充分うまく暮らしていけるのである。 (L.ウィトゲンシュタイン『色彩について』第III部第33節)
突然何かに熱狂し、熱中する人々を、 僕は少しおかしいのではないか、と思っている。 だから、様々なモノに突然価値を与える世の中の人々を、少しどうかしてる、と思う。 でも同じように、自分もその中でそのように生きていて、 少なからず影響を受け、やはり、少しどうかしてるのだ。 しばらくあとの僕には昔の僕は見えないが、 しばらくあとの他人なら、昔の僕と比べられるだろう。 今の僕がすこしおかしいか、しばらくあとに聞かせて欲しい。

続きを読む

オリックス・谷(^_^)子作り宣言

非常に下世話な話で申し訳ない。 『良かったねー』とか『大きなお世話』とかじゃなくて 等身大で現実的に考えてみて欲しいんだけど、 『子作り宣言』(谷は実際には『子供は欲しいですね』と言っただけでそうは言ってない) って具体的に、普段とどう変わるんでしょうか… 2人とも忙しいから、日程を合わせて?いや、儀式じゃないんだから。 ていうか、んじゃ夫婦間で普段全く性交渉ゼロってことなんでしょうか。 (2人とも多忙だからわからんでも無いけどゼロではないような…もちろん知らんけど。) もしくは、『子作り中』と決めた期間は避妊しないってこと? さりげなく新聞やネットニュースを飾ってるけど この言葉ってなんか曖昧でぶっちゃけ下品なような… いや正確な意味とか、ホントどうでも良いけど。 オリックス・谷(^_^)子作り宣言(スポーツ報知)

続きを読む

模様替えデザイン決定。

盛り込みたいデザインと、 技術的な問題、解像度の低いユーザや狭いウィンドウへの対処…など、 様々問題で、紆余曲折在りましたが、 何とか基本デザインが固まりました。 ま、大筋の印象としては、大きく変わるということはないと思いますけど。 その『テンプレート』に従って、各ページを再構成していくことになるので、 【NOBODY:PLACE 2005】は、年明けのお披露目、ということになりますかね。 ていうか、blogのテンプレートを一々変えていくのが結構時間かかると思うけど。 しばし、お待ちを。

続きを読む

親切の構造。

コメントを書こうとしたらなんか冗長になっちゃったので、トラックバックすることにする。

KIDBOX::It’s kind for your nothing. 自分が他人に行った「親切」という名の行為を、何か他のもので計ることしか出来ないのならしないほうがまし。 「貴方のために私は」なんて遠まわしに、あるいは直接的に感謝の言葉を強要するくらいなら。
筆者は、極めて『自省的な人間』だから、こういう表現になるのだと思うけど、 しかし、道徳的な観念の外で『親切』と言うことを考えれば、 親切という行動も、『見返りを求める行動』の一部でしかない、と思わざるを得ない。 『貴方のために私が』と相手が主張した場合、その親切には二通りの可能性がある。 自分が相手に気付いてやれなかった、相手が求めるだけ報いられなかった、 または、余計なお世話だった、と。 親切を『見返りを求める行動』とするのは抵抗があるかもしれないが、 相手のお礼であれ、神の祝福であれ、 結局何らかの見返りを求めていると言うことは、 在る程度真実のような気がする。 相手のことを不憫に思い、相手のことを思ってとった行動に対して、 相手がつれない返事、という場合にも、 そこにはあらかじめ、 『自分が何かをしてあげた』という充足感を得たいという希望があることは、 僕ら凡人で在れば避けがたいこと。 要はそれを相手に主張するかしないか、が、 社会的に礼儀正しいか正しくないか、ということであるし、 一般的には日本では、非礼に当たる、ということなのだろう。 相手に感謝の言葉を強要するという行動の構造は、 一に、相手に求めた見返りが大きすぎた、ということであり、 二に、相手の見返りが小さすぎたということだろう。 自省的な、といったのは、 相手が何をしてくれるかは度外視している、と信じた上で、 見返りを求めるという行動は非常にみっともない、良くない行動である、 と感じているから。 行った行動にもよるが、相手の反応があまりにぞんざいである場合、 『しただけ損した』と感じてしまうのは、決して特別ではないし、自然なことのように思う。 『情けは他人のためならず』という言葉が暗示しているとおり、 親切というのはやはり、何らかの形で自分に返ってくるモノなのではないか? それでいて、『返ってこなくても良い』と納得できることが道徳的に美しいのだが、 かといってチップを求めるウェイターが不快かというとそうでもない。 彼は彼の責任内で、最大限『親切に』してくれるわけだし、 見返りがチップであるから、即物的なのであって、 それがお礼であっても、親切の構造は損なわれないだろう。 (ウェイターは納得しないので、このやりとりが上手くいったとは言えないが) 結果として上手くいかない親切、すなわち、 相手がきちんとした見返りを用意しない、もしくは 求められる見返りが大きすぎると感じた場合、 それは、不全なコミュニケーションに終わるし、 『不快な会話』と同じく、最初から無い方がよい、ということになると思う。 結論。 親切とは、見返りを求めるコミュニケーションであり、 それを完全に回避することは出来ない。 また、コミュニケーションが不全か否かは、お互いの社会的基盤に依る。 円滑に進めるためには、相手の言動をつぶさに見た上で、 求める見返りを最小限にし、与える見返りを最大限にする、しかない。 決して、『親切』をする側の、一方的な行動ではない。

続きを読む

哲学。

最近、少し学問としての哲学に興味を持ちつつある。 昔は、当たり前のことをぐだぐだと考え続ける、 そんな下らない人々、というような印象があった(極端に言えば)。 でも、少し見てみると、確かにそうなんだけど、 感覚のまま、よく分からないことをなんとか、言葉にし、もしくは感じ、 何とか形にしていこうという姿があった。 言ってることは、共感できる部分も在れば、未知の部分もあるけど、 少なくとも、一般にとらえられているような、 半ば占いと混同されてしまうような、『分からないことを説明する』学問ではなく、 きちんと、体系に基づいた、『科学的』な学問なのだ、と実感した。 正直に言うと、どこから手を付けたらいいのか皆目分からないけど、 多分、2005年前半のテーマはそこら当たりになるんじゃないかと思う。 そういえば、哲学をかじった人の発言で鼻につく言い回しがある、 『誰々はこう言ってるよ、』 と、あたかも自分の思想のように先人の言を披露し、 相手が知らなければ蔑み、優越感に浸る、 そういう、半ば『内輪でしか通用しない言葉の振り回し』感が、 哲学というモノにはついて回ると思う。 はっきり言って尊敬できない部分だが、 学問としての歴史を考えると、それも無理もないかな、と思う。 哲学は、明らかに一人の哲学者で完結するものではなく、 物理学のように厳然たる真理があるわけでもなく、 先人の閃きにヒントを得て、自分なりの言葉を紡いでいく、 そういう学問であり、 既に誰かが通ってきた道に関しては、 その言葉を引用することでルートを省略し、 違う視点を切り開く、そういう学問なのだろうと思う。 逆に言えば、自分の興味を引かなければ、 どんなに偉大とされる哲学者も、自分とは無関係、そういう世界な気がする。 でなければ、先人が一生かけて紡いだ思想を、 同じ人間が消化できるわけないもんね。 いろんな人の思想をのぞき込んで、自分に合う何かを探したいと思う。

続きを読む

SCHEDULE::2004-2005

ずっと書こう書こうと思って忘れてましたが… 今年は、もの凄く久しぶりに、年越しを実家で過ごします。 1999年のカウントダウン以来かな?5年ぶりだ…今、年を感じた(笑) 例年通り、京都でバカ騒ぎして新しい年を迎える方が僕もいいんだけど、 今年はね、色々あったし、帰ろうかな、と。 決してそうしろと強制されたわけじゃないけど。自発的に。 そういうわけで、年内京都にいるのは12/30まで。 1/3 には帰ってくる予定です。 カウントダウンでは会えませんが (というわけで今年は俺のシャンパン→テキーラ全おごりはありませんよ) 皆様、良いお年を。 来年もひとつよろしく。

続きを読む

X-Dangerous

街は今日一杯はクリスマス一色である。 カップルやらサンタやらが街に溢れ、必要以上にクリスマスをあおる。 すごーく薄っぺらい感じが満ちあふれてるんだが、日本人は特に気にしないし、 本当に祭りが好きな人々なんだなぁ、と思う。 ラテン系みたいに表立ってはしゃいだりはしないけど。 ところで、そんなクリスマス感一杯の街なんだが、 ある意味で非常な『危険地帯』と化している。 こうして、仕事の休憩なんかに、タバコ吸いながら道行く人々を眺めてると、 男も女も明らかに表情が違う。 明らかに気合いが入りまくっている感じがある。 や、それはそれでいいんだけど、一年に一回しかないんだし、 ただ、どう言ったらいいのかなぁ…普段の週末と比べると、 『いつもはやらないけどクリスマスだから』的ノリデート、 『付き合って今日が初めてのデート』的テンションや、 『これをきっかけに何とかするぞ』的気合い、 そういう度合いが凄く高い。 こう言うときのカップルというのは非常に危険なのである。 『女といるときの男』というのは必要以上に気を遣う。 気持ちも分かるから面子を潰しちゃならんと思うし、 いざ潰してしまうと、通常の50%増しくらいで切れる。 女の子が冷静に対処してくれればいいけど、 大した女と付き合ってない男に限ってタチが悪い。 緊張してピリピリしてはるからねぇ…ちょっとしたことでいざこざになりかねん。 焼肉屋でK-1の結果を耳にしたくらいで(爆笑) これは島田と焼肉食ってるときに絡んできた、アホ丸出しなどっかのバカ男のことだが。 まぁ、そういうこと考えながら見てると結構面白いわけです。 なんだろう、これって結構クリスマス特有のことかもしれないな。 バレンタインデーは似たような感じだけどもう少し、『とりあえず感』が薄いような気がするし、 初詣はあんまりそういう緊張感は感じないし。 ま、うっとおしいし、はよ終われ、ってことで。

続きを読む

マウスジェスチャー

マウスジェスチャーが手放せなくなって久しい。が、Donutの使用歴から考えると、 本格的に使うようになったのはごく最近のことだ。 slashdottristanさんて方が書いてるとおり、

マウスジェスチャーを知ったとき、僕も最初は、 「便利そうだけれど、用は足りてるからなくてもいい」 と思った。でも、使い始めたら手放せない。
そう、僕も思った。 別に戻るは戻るボタン、進は進むボタン、閉じるは閉じるボタン…あるからいいじゃん。 でも、ふとした拍子に使い始めたら…これが手放せない。 何が違うって、『マウスを所定の位置へ移動させる』という、手間が省ける。 これが思いの外大きい。 例えば『ページを戻る』ために、『思考→視認→動作』とあったのが、『思考→動作』に減る。 以外とバカにならない。 最近は、DonutとFireFoxを6:4くらいで使っているのだけど、 当然のようにFireFoxにも導入している。 (拡張機能プラグイン『All-in-One Gestures』) で。こうなってくると、ウェブブラウジングだけではなくて、 デスクトップ上でもマウス1つで作業できたらいいなぁ…と思ってしまう。 そりゃ、複雑な作業を割り当てるのは現実的ではない(覚えきれない)けど、 よく使う作業であれば、マウス1つでやってしまうと助かる。 探してみた。
マウ筋(まうすじ) マウスジェスチャーにより任意の命令を実行することができます。
おお。これだこれだ。 制作者はピロさん(ピロ製作所)。 デスクトップ上の様々な作業にマウスジェスチャーを割り当てられるほか、 任意のプログラムを選んで、最高30回までの命令を設定できる。うむ。 早速ダウンロードしてみる。 …よくできてる。できてるが、それゆえに複雑で設定がわかりにくい(汗) 一応ヘルプファイルも付いてるけど、 基礎設定に関しては、『マウ筋など便利なソフトを紹介』というページの方がわかりやすいかも。 あんまり複雑な命令は思いつかなかったので、 とりあえず、『戻る』(Alt + Right)を右クリックを押しながら左、 『進む』(Alt + Left)を右クリックを押しながら右、に割り当ててみる。 ほんの、少しのことなんだけど…もの凄く便利。 前述のtristanさんは、文章の最後を、
しかし、カスタマイズされ過ぎた環境に慣れるのはいいことではないし、 右クリックはいろいろ使うから、アプリによっては不都合がある。 マウスの親指の部分にボタンを一つ増やして、操作方法が 標準化されるようになるのが望ましいと思う。
と結んでいる。 確かに、どこに行っても自分専用の環境があるわけではないし、 柔軟さを失うのはあんまりいい傾向ではないかもしれない。 でもだからといって、3ボタンだ、5だ、8だと、ひたすら増やしていく方向で良いんだろうか… 機能が増える毎にハードウェア的に対応していくのは、 システムデザインとしてはその場しのぎに過ぎないような。気がする。 何はともあれ、マウ筋、オススメ。 レジストリを使わないらしいので、気になる方はちょっとお試しを。 ピロ製作所 http://www.piro.cc/

続きを読む

プリンタ探して何マイル。

先日、プリンタを買いに行きました。 本当は大阪・日本橋まで出ようかと思ったんだけど、出発が遅くなってしまったんで寺町の電気屋へ。 ねらいは、CANON PIXUS iP4100。 以前、『iP8100に変更する』と言ったんだけど、 色数が増えれば増えるほど、維持費も高くなるので… 当初の予定通り、iP4100に決定。 予算は…まぁ正直に言えば数千円高くても関係ないんだけど、 そういうわけにも行かないので、インク代と合わせて30,000円未満を目標に店を回る。 ネットで調べると、最低価格で20,000円を切っているところもあるので、 楽勝かと思われたんだけど、コレが意外に苦戦。 寺町はどちらかというとパーツ屋の方が多く、 プリンターは電気屋にしかない。 というわけで競争も程々なのか、値段もあんまりバリエーションが無く。 安くて24,800円、高くて25,800円という感じ。 うーむ。せめて表示で23,000円台だったら即買いだったのに。 あ…、改めて書くけど、別に25,800円でも十分に予算内だったんだけどね。 なんつうか、その日のルールだったので(苦笑) (今思えば別に買っておけばよかったと思うけど) 特に欲しいモノも見つからず、なーんとなく中途半端な感じで寺町をあとに。 烏丸に突き当たってひと思案。 『ん、南下しちまうか…?』 時間はまだ早かったし、運動にもなるか、と思って烏丸を南下。 目標は、京都駅前、platz近鉄のソフマップ。 あんまり良い噂は聞かないけど、まぁ見るだけ見てみようか、と。 (…って、京都の人にしか分からんな、この辺の距離感) ソフマップ着。 周りは自転車を止める場所が全くなく、そして駐輪場は200円取られる始末。 行きがかり上、金額に細かくなってるので200円でも取られたくない。 というわけで、烏丸沿いに無理矢理駐輪。 すぐ側に七条警察署があるのがあんまりよろしくないけど、 ま、撤去するのは警察じゃないから。自転車の場合。 肝心のプリンターの方は、『25,800円さらに値引き!』との表示。 その辺の店員捕まえて聞いてみたところ、 『21,800円なんですけど…』 と煮え切らない返事。お、安い!でもなにか? 『恐らく今在庫がないかもしれなくていつ入ってくるかもちょっとわからなくて…』 うむ、やはりソフマップの店員教育はなってないようである。 あ、そういう事じゃなくて、圧倒的に即買いレベルの値段だったけど、 在庫がないんじゃあねぇ。しょうがない。 どっちにしろ、地下鉄で来れば持って帰れただろうけど、 自転車でプリンターってちょっと…ねぇ?非現実的だったので。 以上、労力使った割には全く何も買わないという、 (USBメモリくらい買えば良かった…) ホントにウィンドウショッピングな電気屋行脚でございました。はぁ。 まぁ、年賀状出せないし、そういう意味では緊急ではないんだけどね。 正月明けて、年賀状によるラッシュが収まったくらいにまた見に行こうかな。

続きを読む

NEET

ニート(NEET)
無業者のこと。(Not in Employment Education or Training)もとは英国の労働政策から出てきた言葉。フリーターは就職意欲のある人たちだが、ニートは同年代で就職意欲のない人たちのこと。統計上現われ難く、実態がつかみづらいが、ある調査によると2004年現在で76万人に達し、同世代の約2%強に相当するとされる。この数字は10年前の約1.9倍。ほとんどがパラサイトで、短期アルバイトしかしない。
いかにも英語的で嫌な言葉だけど、まぁなんだ、そういうことだ。 『どうして素直に無職だと言えないのか?』 『一見格好いい名前を与えると反省しなくなるかも』 という意見も見かけた。 この言葉は意外と同義語が無くて、 『無職』より、その性格を含めて狭い範囲の集団を指している。 もはやモラトリアムですらなく、ただ何もしない、という人々のことだ。 正式名称『Not in Employment Education or Training』からもわかるとおり、 働いていない人の中で、学生でもなく、就労に向けた具体的な動きをしていない、 つまり働くべきなのに働く意欲のない人のことを指す。 働かずに食える状況というのもはっきり言って驚きだが、 (どんな便利な社会なんだ日本は) まぁ確かに、こういう言葉を使うと、居場所を与えるという影響もあり得るね。 そもそも、ホームレスでさえ食い扶持を稼ぐために働いてる時代。 僕自身は働かないことに対して偉そうなことは書けないけど、 しかしなんだろう、解消に向けた社会的対策とかではなくて、 そういう人間に対しては、それなりの対応をしてやることが 社会的に正しいことなんではないだろうか。 フリーターや学生アルバイトは、確実に日本の産業の一端を支えていると思うが、 ニートはマイナスをもたらすだけである。 それをサポートするために支払う税金…もったいなさ過ぎ。 ニートは飢えて良し。

続きを読む