SCHEDULE::2004-2005

ずっと書こう書こうと思って忘れてましたが… 今年は、もの凄く久しぶりに、年越しを実家で過ごします。 1999年のカウントダウン以来かな?5年ぶりだ…今、年を感じた(笑) 例年通り、京都でバカ騒ぎして新しい年を迎える方が僕もいいんだけど、 今年はね、色々あったし、帰ろうかな、と。 決してそうしろと強制されたわけじゃないけど。自発的に。 そういうわけで、年内京都にいるのは12/30まで。 1/3 には帰ってくる予定です。 カウントダウンでは会えませんが (というわけで今年は俺のシャンパン→テキーラ全おごりはありませんよ) 皆様、良いお年を。 来年もひとつよろしく。

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X-Dangerous

街は今日一杯はクリスマス一色である。 カップルやらサンタやらが街に溢れ、必要以上にクリスマスをあおる。 すごーく薄っぺらい感じが満ちあふれてるんだが、日本人は特に気にしないし、 本当に祭りが好きな人々なんだなぁ、と思う。 ラテン系みたいに表立ってはしゃいだりはしないけど。 ところで、そんなクリスマス感一杯の街なんだが、 ある意味で非常な『危険地帯』と化している。 こうして、仕事の休憩なんかに、タバコ吸いながら道行く人々を眺めてると、 男も女も明らかに表情が違う。 明らかに気合いが入りまくっている感じがある。 や、それはそれでいいんだけど、一年に一回しかないんだし、 ただ、どう言ったらいいのかなぁ…普段の週末と比べると、 『いつもはやらないけどクリスマスだから』的ノリデート、 『付き合って今日が初めてのデート』的テンションや、 『これをきっかけに何とかするぞ』的気合い、 そういう度合いが凄く高い。 こう言うときのカップルというのは非常に危険なのである。 『女といるときの男』というのは必要以上に気を遣う。 気持ちも分かるから面子を潰しちゃならんと思うし、 いざ潰してしまうと、通常の50%増しくらいで切れる。 女の子が冷静に対処してくれればいいけど、 大した女と付き合ってない男に限ってタチが悪い。 緊張してピリピリしてはるからねぇ…ちょっとしたことでいざこざになりかねん。 焼肉屋でK-1の結果を耳にしたくらいで(爆笑) これは島田と焼肉食ってるときに絡んできた、アホ丸出しなどっかのバカ男のことだが。 まぁ、そういうこと考えながら見てると結構面白いわけです。 なんだろう、これって結構クリスマス特有のことかもしれないな。 バレンタインデーは似たような感じだけどもう少し、『とりあえず感』が薄いような気がするし、 初詣はあんまりそういう緊張感は感じないし。 ま、うっとおしいし、はよ終われ、ってことで。

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マウスジェスチャー

マウスジェスチャーが手放せなくなって久しい。が、Donutの使用歴から考えると、 本格的に使うようになったのはごく最近のことだ。 slashdottristanさんて方が書いてるとおり、

マウスジェスチャーを知ったとき、僕も最初は、 「便利そうだけれど、用は足りてるからなくてもいい」 と思った。でも、使い始めたら手放せない。
そう、僕も思った。 別に戻るは戻るボタン、進は進むボタン、閉じるは閉じるボタン…あるからいいじゃん。 でも、ふとした拍子に使い始めたら…これが手放せない。 何が違うって、『マウスを所定の位置へ移動させる』という、手間が省ける。 これが思いの外大きい。 例えば『ページを戻る』ために、『思考→視認→動作』とあったのが、『思考→動作』に減る。 以外とバカにならない。 最近は、DonutとFireFoxを6:4くらいで使っているのだけど、 当然のようにFireFoxにも導入している。 (拡張機能プラグイン『All-in-One Gestures』) で。こうなってくると、ウェブブラウジングだけではなくて、 デスクトップ上でもマウス1つで作業できたらいいなぁ…と思ってしまう。 そりゃ、複雑な作業を割り当てるのは現実的ではない(覚えきれない)けど、 よく使う作業であれば、マウス1つでやってしまうと助かる。 探してみた。
マウ筋(まうすじ) マウスジェスチャーにより任意の命令を実行することができます。
おお。これだこれだ。 制作者はピロさん(ピロ製作所)。 デスクトップ上の様々な作業にマウスジェスチャーを割り当てられるほか、 任意のプログラムを選んで、最高30回までの命令を設定できる。うむ。 早速ダウンロードしてみる。 …よくできてる。できてるが、それゆえに複雑で設定がわかりにくい(汗) 一応ヘルプファイルも付いてるけど、 基礎設定に関しては、『マウ筋など便利なソフトを紹介』というページの方がわかりやすいかも。 あんまり複雑な命令は思いつかなかったので、 とりあえず、『戻る』(Alt + Right)を右クリックを押しながら左、 『進む』(Alt + Left)を右クリックを押しながら右、に割り当ててみる。 ほんの、少しのことなんだけど…もの凄く便利。 前述のtristanさんは、文章の最後を、
しかし、カスタマイズされ過ぎた環境に慣れるのはいいことではないし、 右クリックはいろいろ使うから、アプリによっては不都合がある。 マウスの親指の部分にボタンを一つ増やして、操作方法が 標準化されるようになるのが望ましいと思う。
と結んでいる。 確かに、どこに行っても自分専用の環境があるわけではないし、 柔軟さを失うのはあんまりいい傾向ではないかもしれない。 でもだからといって、3ボタンだ、5だ、8だと、ひたすら増やしていく方向で良いんだろうか… 機能が増える毎にハードウェア的に対応していくのは、 システムデザインとしてはその場しのぎに過ぎないような。気がする。 何はともあれ、マウ筋、オススメ。 レジストリを使わないらしいので、気になる方はちょっとお試しを。 ピロ製作所 http://www.piro.cc/

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プリンタ探して何マイル。

先日、プリンタを買いに行きました。 本当は大阪・日本橋まで出ようかと思ったんだけど、出発が遅くなってしまったんで寺町の電気屋へ。 ねらいは、CANON PIXUS iP4100。 以前、『iP8100に変更する』と言ったんだけど、 色数が増えれば増えるほど、維持費も高くなるので… 当初の予定通り、iP4100に決定。 予算は…まぁ正直に言えば数千円高くても関係ないんだけど、 そういうわけにも行かないので、インク代と合わせて30,000円未満を目標に店を回る。 ネットで調べると、最低価格で20,000円を切っているところもあるので、 楽勝かと思われたんだけど、コレが意外に苦戦。 寺町はどちらかというとパーツ屋の方が多く、 プリンターは電気屋にしかない。 というわけで競争も程々なのか、値段もあんまりバリエーションが無く。 安くて24,800円、高くて25,800円という感じ。 うーむ。せめて表示で23,000円台だったら即買いだったのに。 あ…、改めて書くけど、別に25,800円でも十分に予算内だったんだけどね。 なんつうか、その日のルールだったので(苦笑) (今思えば別に買っておけばよかったと思うけど) 特に欲しいモノも見つからず、なーんとなく中途半端な感じで寺町をあとに。 烏丸に突き当たってひと思案。 『ん、南下しちまうか…?』 時間はまだ早かったし、運動にもなるか、と思って烏丸を南下。 目標は、京都駅前、platz近鉄のソフマップ。 あんまり良い噂は聞かないけど、まぁ見るだけ見てみようか、と。 (…って、京都の人にしか分からんな、この辺の距離感) ソフマップ着。 周りは自転車を止める場所が全くなく、そして駐輪場は200円取られる始末。 行きがかり上、金額に細かくなってるので200円でも取られたくない。 というわけで、烏丸沿いに無理矢理駐輪。 すぐ側に七条警察署があるのがあんまりよろしくないけど、 ま、撤去するのは警察じゃないから。自転車の場合。 肝心のプリンターの方は、『25,800円さらに値引き!』との表示。 その辺の店員捕まえて聞いてみたところ、 『21,800円なんですけど…』 と煮え切らない返事。お、安い!でもなにか? 『恐らく今在庫がないかもしれなくていつ入ってくるかもちょっとわからなくて…』 うむ、やはりソフマップの店員教育はなってないようである。 あ、そういう事じゃなくて、圧倒的に即買いレベルの値段だったけど、 在庫がないんじゃあねぇ。しょうがない。 どっちにしろ、地下鉄で来れば持って帰れただろうけど、 自転車でプリンターってちょっと…ねぇ?非現実的だったので。 以上、労力使った割には全く何も買わないという、 (USBメモリくらい買えば良かった…) ホントにウィンドウショッピングな電気屋行脚でございました。はぁ。 まぁ、年賀状出せないし、そういう意味では緊急ではないんだけどね。 正月明けて、年賀状によるラッシュが収まったくらいにまた見に行こうかな。

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NEET

ニート(NEET)
無業者のこと。(Not in Employment Education or Training)もとは英国の労働政策から出てきた言葉。フリーターは就職意欲のある人たちだが、ニートは同年代で就職意欲のない人たちのこと。統計上現われ難く、実態がつかみづらいが、ある調査によると2004年現在で76万人に達し、同世代の約2%強に相当するとされる。この数字は10年前の約1.9倍。ほとんどがパラサイトで、短期アルバイトしかしない。
いかにも英語的で嫌な言葉だけど、まぁなんだ、そういうことだ。 『どうして素直に無職だと言えないのか?』 『一見格好いい名前を与えると反省しなくなるかも』 という意見も見かけた。 この言葉は意外と同義語が無くて、 『無職』より、その性格を含めて狭い範囲の集団を指している。 もはやモラトリアムですらなく、ただ何もしない、という人々のことだ。 正式名称『Not in Employment Education or Training』からもわかるとおり、 働いていない人の中で、学生でもなく、就労に向けた具体的な動きをしていない、 つまり働くべきなのに働く意欲のない人のことを指す。 働かずに食える状況というのもはっきり言って驚きだが、 (どんな便利な社会なんだ日本は) まぁ確かに、こういう言葉を使うと、居場所を与えるという影響もあり得るね。 そもそも、ホームレスでさえ食い扶持を稼ぐために働いてる時代。 僕自身は働かないことに対して偉そうなことは書けないけど、 しかしなんだろう、解消に向けた社会的対策とかではなくて、 そういう人間に対しては、それなりの対応をしてやることが 社会的に正しいことなんではないだろうか。 フリーターや学生アルバイトは、確実に日本の産業の一端を支えていると思うが、 ニートはマイナスをもたらすだけである。 それをサポートするために支払う税金…もったいなさ過ぎ。 ニートは飢えて良し。

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ナンパ師?

今日はJET SET忘年会でした。 というわけで酔ってますが、その席で。 『某KCMT(仮名)から、メトロ(69tracks)でナンパ師だって聞いてた』 という発言が… ナンパ師!? うーん初耳だなぁ…(苦笑) ナンパなんかしたことないしなぁ… つうか、出来るくらいならしてるしなぁ… どう考えても、ひとり(今の彼女)しか思いつかないんですけど。 どんな説明の仕方なんだ(苦笑) あ、そう。 そっちがその気なら、こっちにもやりようが…(ニヤリ) まぁどうでもいいんですけどね。 話のネタになれば。 (静岡にいた頃に比べると考えられないほど関西チックなリアクション) なかなか、楽しい忘年会でした。

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殻。

薄々感づいてはいたんだけど。 ここ何ヶ月か、ずっと自分の殻に閉じこもってしまっているような気がする。 不機嫌だったり、元気がなかったりということは あまり感じられないかもしれないけど、 ただ見ているだけのことが多かったり、 いずれ自分が困るかもしれないというようなことでも そのまま、見送っているような。 交差点の人混みの中で、流れを見つめている感じがある。 それでも、最低限のコミニュケーションに支障は来していない。 喧嘩やいざこざが絶えなかったり、誰とも話さない日が続いたり、 部屋から出たくないと思ったり…というようなことはない。 むしろ、周りの人間とのコミュニケーションは円滑そのものだし 職場でも多くのスタッフと笑顔で会話を交わしている。 イベントに行けば、多くの友達と冗談を言い合っているし、 ちっとも、おかしくなんかない。 ただ…なんとなく、体の表面での会話の度合いが大きいと感じる。 問題は。 距離が近ければ近いほど、心を許したければ許したいほど そういう友達ほど、距離を置きたい、と感じてしまうことだ。 別に会いたくないわけじゃないし、会えばそれなりに楽しい。 でも、なんか違う。 本当に伝えたい気持ちが言葉にならないので、 仕方が無く冗談で誤魔化している、という気がすることがある。 恋愛然り。 人に何かを要求することが、『面倒』なのだ。 同時に、要求されることも面倒で、重荷に感じてしまう。 特定の何かに対して嫌悪感を抱く、ということではなくて なんだか、全般的に気を使うということが重荷に感じてしまう… それを無理矢理押し通そうとしてみたところで、結局上手くいかない。 心が入っていないのかもしれない。 幸いというかなんというか、 別に落ち込んでいるわけではないのだ。 むしろこれこそ、本当に鬱なのかもしれないという気もするが、 生きる気力がないとか、何もしたくないとか、そういうことではないし、 引き籠もることもないし、コミュニケーションを拒絶することもない。 来るコミュニケーションは、特に拒まない。 別に、普通だ。 でも、なんとなく、違和感があり、 なにが悪いのか、悪いのかどうかさえ、よく分からない。

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小数点の定義。

プログラムを触っていて、ふと感じたことなのだけど、 『小数点』というのは実は存在しないんではないか? いやもちろん、実際に、『1.2』とか『5.9』とかいう数字は存在するのだけど、 本当は少し意味が違うというか… たとえば、僕らは直感的に『1』を常に基準単位として生活している。 だから、『1.2』という数字は、1と、0.2というように捉えているし、 1.2個という数え方をする。 しかし、実際には、個数を数える場合、 実際には整数しか存在していないのでは? 小数点というのは、1を基準にした時の個数を示しているのではなく、 あくまで、基準単位は何か?を定義している、と。 つまり、『1.2』という数字は、『1と0.2』ではなく、 『0.1を基本単位にして、12単位分』ということなのでは。 だから、1と1.0は同じ分量を表してはいるけれど、 意味するところは違うんじゃないか、と思うのだ。 要するに、小数点というのは整数未満の数字を表すためではなく、 基準単位を変更する、という定義で捉える方が、 数学的に?プログラム的に?正しいような気がする。 大したことでもないしどうカテゴライズすればいいのかわからないし、 特になんの裏付けもないけれど。 なんとなく。

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moblogが投稿できなくなってました…

moblogが投稿できなくて、 なんかおかしいな?と思ったら、 MTのインストール先を変えたせいでした。 とりあえず設定し直して…多分今は行けるはず。 ご迷惑を…お掛けしたかよくわかりませんが(苦笑) とりあえずご報告まで。 XML-RPC API の場所が変わってて、 上手く投稿プロセスが完了してなかったんですね…迂闊だった。

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NOBODY:PLACEのアクセシビリティについて…

白いツバサさんのところで、 『英語多用&高度で一般人には入口を捜すのが大変ですよー』 というご指摘を受けたので、なんだかんだと言い訳してきてみたり。 以下抜粋。

こんにちは。 >ところで、isさんのblogは英語多用と高度に出来ているので一般人は入り口を探すのが大変ですよ。 そうですね。しかし、blogの概念には大きく外れますが、分かる人だけ分かればいい、というのがあのサイトのコンセプトです。既に膨大な数の文章が書き散らされているので、元々タイトルから希望の記事にたどり着くのはほとんど不可能ですし。サイトのどこかに書いてますが、あれはblogの管理システムを利用した、個人サイト、なんです。幸い、やたらと収集されてるようなので、検索でヒットしないコラムは誰も読みたがらない、と(笑)WEBデザイナーにはあるまじき設計理念ですが(苦笑)でも、やたらとバリアフリーなネットアクセスというのも、一概に良いとは思えない、というのが(あのサイトでの)考え方ですね。ビジネスサイトではないので、初めに分かりづらくても、2回目に来て分かれば、それは成功なんですよ。大仰なメニューは良く訪れる客には目障りに見えてしまうモノなんです。 まぁそんな感じで一応言い訳まで…(*ー)
いろいろと書いてるけど、早い話、 『わからなかったらわからなくて良いのです』 という、来てくれた人が呆れるくらい、いい加減なことを主張してる。 でもまぁ、本音だろうね… 書きながら、なんとなく京都っぽい考え方だな、とも思ったけど。 このサイト、絶対に、見やすくなんか無いってのは、僕も十分に分かってるんです。 文字サイズが10px(7.5pt)で絶対指定してる時点で、 来る客の半分は読む気を失う(笑) そして、検索で飛んできても、 どれがメニューやらわからん、ということで、アクセス的にも発展しない。 (MUTTERの個別記事には、他のエントリへのリンクすらありません) でも、僕はそれで良い、と思ってるんですよね。 ここを訪れる人には、明らかに複数の種類があって、 一つは、リアルの僕を知ってる人、または、古くから訪れてくれてる人。 もう一つは、たまたま検索でヒットして飛んできてくれる人。 前者の人は、記事の流れを読み、後者の人は、記事そのものを読むんだと思う。 経験上、後者の人は、その記事を読んだら、検索結果に戻るんではないかと。 僕個人に興味を持ってくれるなら、多少分かりづらくてもリンクを探してくれるはず。 目が不自由な人のことを考えていない点でも、 このサイトのアクセシビリティは0点です。 ビジネスサイトならば、絶対に書き換え指令が出る。いや、俺が出す(笑) でもねぇ…そこまでして、多くの人に受け入れてもらおうとは思ってない。 そういう0点のアクセシビリティにも、 僕の考え方があると思ってもらって良いんじゃないだろうか。 例えば、コメント、トラックバックのボタンにしても、CとTのちっちゃいボタンが下に付いてるだけで、 巷に溢れてるblogになれてる人にはわからないと思う。不親切きわまりない。 でもね、わかる人にはわかるんですよ、コレが。不思議と。 『取扱説明書』じゃないから、こういうことは1度分かれば2度目の説明はいらない。 2度目の訪問者には、わかりやすい説明と、大きなアイコン、この2つが無駄になる。 カテゴリーリストで表示したとき、タイトルしかでないのも同じ。 blogというのは便利なツールだけど、 その便利さ故に、時に、ページの中で何が重要かを埋没させてるんじゃないか? 文章に用事があるときに、横目にちらちら入るメニューは必要なのだろうか? コメントはこちら、リンクはこちら、そういう指示がいちいち必要なのかしら? 在る意味で、blogという形態をとりながら、blogというモノへのアンチテーゼでもあるんです。 もちろん、白いツバサさん管理人さんのように、 こちらのコメントを読んで訪れてくれた方が 『どこに行ったらいいかわからない』、と困っている… それを無視するほど冷たい人間じゃないつもりです。本当に申し訳なく思っています。 それでも、このサイトは、訪問者に注文を出すことはしないんです。 好きに、歩いてもらって構わないし、 腹を立てて出ていってもらっても僕は全然困らない。 そういう場所、です。 極めて自己称賛的に言えば、写真を撮ることと似ているかもしれない。 何か撮りたい対象物があるとき、あれもこれもと入れるのは、ただ、記念写真を作るばかり。 旅行先で建物の写真を撮るとき、人のバックに建物を置き、その全景を収めようとする、 必然、人は豆粒のようになり、分からなくなる。 『捨てる技術』なんて本が流行ったみたいですが(そして僕はモノを捨てられない人間ですが) 切ることで引き立たせることも、便利な世の中には必要な気がします。 千利休の朝顔のように。 最後に自省を込めて言えば、 このサイトよりわかりやすく、そしてこのサイトよりシンプルに出来ているサイトは 世の中にもっとずっとたくさんある。 blogを使ってもそうだし、そういうシステムにとらわれなくてもそう。 そんなサイトの哲学的な部分を学んでいければ、と思う。

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