カテゴリー: Mutter
今日で夏休みも終わり。
と、職場で話をしたら、スタッフに、『は?』という顔をされた。 まぁ、そりゃ当然か。 でもなんか、未だに、夏休み期間(7月下旬~8月)てのは、 社会全体に、ま、夏休みだから少々気が抜けててもおk的な空気があるような。 日本で育った人なら、大抵の人は8/31=夏休みの終わりですもんね… (北海道とか、東北とかはお盆過ぎたら学校始まるけど) 僕ら、社会人は、夏休みとか関係なく働いてるけど、 いろんなイベントがあるせいなのか、街の雰囲気なのか、 やっぱり、どんなに忙しくても、普段とは違うような気がします。 そういう意味で、あー、夏『休み』も終わりだね、と思った次第。 生活自体は、別に変わらないけどさ。
引用について
先日、記事の引用について、 『パクってんじゃねぇよ』という生暖かいコメントを頂きました。 僕の方も、『意見するなら前もって勉強してからにすれば?』という まことに痛いコメントを付けたわけですけれども、 まぁ確かにそのエントリは、一見、新聞の記事が張り付けてあるだけ、 そう見えるエントリだったので仕方がないかも。 ただ、エントリの主題としては、 『ボールドッグなんて野球の本線じゃないのに、新聞各社がこんなに取り上げてる』 ということが言いたかったんであって、記事内容を利用してどうこうではないし、 引用の不適切さに関しては、著作権者の判断かな、と思います。 僕個人としては、あくまで引用部分は『従』のつもりです。 (それにしちゃ引用部分が大きすぎるっていう反省はありますけど) で、僕自身も引用に関しては曖昧だったので、反論ついでに少し勉強してみました。 もちろん、自分の活動を正当化するための根拠を探していた訳なので、 もしかしたら若干選択に偏りがあるかもしれませんが、 個人的には、著作権法で定められた、自由利用のための条件の内、 以下の部分を頼りにエントリを作成していきたいと思っております。 (『初めての著作権講座』内、Q&Aより引用)
Q.他人の著作物を引用するときの注意点を教えてください。 また、出所の明示はどのようにすればよいのですか?このサイトの評価に関して、人によって様々な見方があるでしょう。 僕個人はここはあくまで個人のサイトで(宣伝したこともないし)、 僕の論説の集合体、だと思ってるんですけど、 人によっては、ここはメディアの一部であると判断する人がいるかもしれません。 つまり、A.引用とは、例えば論文執筆の際、自説を補強するため、他人の論文の一部分をひいてきたりするなどして自分の著作物の中に他人の著作物を利用することをいい、この場合、著作権者の許諾なしにその著作物を利用することができますが、「引用」といえるためには、「引用の目的上正当な範囲内」で行われるものであり、また、引用される部分が「従」で自ら作成する著作物が「主」であるように内容的な主従関係がなければなりません。さらに、かぎ括弧を付けるなどして引用文であることが明確に区分される必要があります。 なお、引用の際の出所の明示の仕方ですが、引用部分を明確にした上で、その後に誰のどの著作物であるかを表示するなど、少なくとも引用された著作物の題号や著作者名が明らかに分かるような表示が必要です。
●時事問題の論説の転載など 新聞、雑誌に掲載された時事問題に関する論説は、転載禁止の表示がなければ、ほかの新聞、雑誌に掲載したり、放送したりできる。内の『放送』にインターネットは当たるので、転載禁止(引用と転載は違うけれども) と明記してある新聞記事をピックアップするのはNGということになるかも。 でもそれはやっぱり…当事者間の考え方と、司法判断と言うことになりますし、 本来この条項は、例えばYahoo!のように、 記事を記事として扱って転載する様な場合に対して適用され、 両者の間で然るべき契約を結ぶ、と言うときに必要なこと何では、と。 このサイトにはそんな目的はありませんからねぇ。 基本的には、その記事そのものを載せるのではなくて、 その記事に対する感想や、インスピレーションを受けた考えを エントリにまとめています。 なので、やはり、先に挙げた、『引用』の範囲内なのでは?と。 とはいえ、書いている内に、 「主」「従」の関係や、引用元の明記が疎かになってしまうこともあります。 その場合は、指摘を受けたとおり、修正していくべきかと。 blogが一般化してきて、 ネットに関する著作権の法的枠組みが曖昧なのもあって、 結構無視されがちな話題ですが… (多くのblogは『俺だけだったら別に良いだろ』と思っているはず) 大きな問題のない範囲で、やっていきたいと思っている次第です。 なお、Yahoo!Japanなどから直接引っ張ってくるのは、少々危険かな。 一応、引用する際には、該当新聞社の考えもチェックした方が。 Yahoo!は、一定期間後にリンクが消滅するってこともあって、 僕はなるべく、元の新聞社から引っ張ってくるようにしてます。 著作権表示のつもりでリンク貼ろうとしたら、 『リンクはご遠慮下さい』なんてコトが書かれてあったりして、 どうだろうなぁ、それってネット的には時代遅れなんじゃないかなぁと思うことも。 (多分、マイナスにはならないと思うんだけどねぇ) 新聞社の方も、あんまりよく分かっていないっぽいですね。 価値観が変わるのには、もう少し時間がかかるかも。
最近お気に入りのロゴ。
つい最近発見して、それ以来気になってるロゴがある。
決して新しくはないけど、遊び心に飛んだ感じで、オシャレだと思うし、
本来の意味とのギャップも面白い。
そのロゴというのは、これ。
時間の過ぎる早さ…(恒例)
毎年、年の終わり頃になると、 『今年は遅かった』『いや早かった』 なんてことを言ってるんだけど、今年も、もう8ヶ月終わってもうすぐ9月。 みなさんの印象はどんなもんなんでしょうね。 僕個人の印象はと言うと… 先日、出勤途中に思ったのは、 『もう9月かー…てか、え、まだ9月?』 でした。 8ヶ月が早く過ぎたなっていう感じはありつつも、 でも感じとしてはもっと早くても良いんじゃないか、みたいな。 宮本の結婚式なんて、もう1年くらい前のことのように思えるのに、 それ、先週の話だし、 極論すれば、仕事して寝て、たまに遊んでっていう単純な生活なはずなのに なんか全然、時間が進んでいかない…。 別に早く過ぎ去って欲しいと思ってるわけじゃないけど、 なかなか日が過ぎないってのも、それはそれで苦痛ですよ。 あ、もしかしたら… よく、『楽しい時間はあっという間に過ぎる』っていう表現を使うけど、 だとしたら今の僕は、楽しい時間を過ごせてないってことかしら? まぁ確かに多少、停滞気味ではあるけどもね。 でも、それはなんか嫌だなぁ… 早く、冬が来ないかな。
言葉で説明できる人生なんて小さいか?
『言葉で説明できる人生なんて小さいですもんね』 年下の友達としゃべっているときに、彼がそんなことを口にした。 昔の僕だったら、全くその通り、と頷いてたかもしれない、 でもその言葉を聞いて、今僕が感じることはそれほど単純じゃなかった。 この言葉がどんな文脈で出てきたかって言うと、 2人で人生について話していて、 僕が上手く言葉で説明できなくて悩んでいるときに彼が言ったんだが、 そこで僕はこう返した、 『それはそうだけど、相手に伝えるには言葉じゃないといけないし、 むしろ、言葉で説明できることと、その対象が大きいか小さいかは関係ない、 大事なのは、その言葉を受け取って、対象を想像して共有することなんだ、』 そんなに大まじめに切り返すようなことでもなかったけど、 シリアスに話し込んでたわけでもないし、 まぁでも酔ってたんで、何となく口に出てきた。 確かに、言葉で説明するってことが、対象の価値を貶める場合もある。 下手な料理レポーターの、『美味しいですねぇ?』が良い例だけど、 何が美味しいのか、っつーかどうなのか、 っていう部分が全くこっちに伝わってこないのに、 美味いか不味いか、という部分でどうしても嘘臭く見えてしまう。 また、言葉でまとめるために、見栄えの良い部分だけを見繕って説明するときもある、 意図とかバックグラウンドとか、いろいろ盛り込まなくちゃいけないことはあっても、 結局言葉で説明するときには、上っ面だけになったりする。 だから、『大事なことは言葉では説明できない』、ってのも事実ではあると思う。 あー、むしろ、『言葉で説明できることが良いとは限らない』かな。 でも、相手に伝えなければいけないことがあるとき、 相手に伝えたい何かがあるとき、 それらを確実に伝えるには、僕らは言葉に頼るしかない。 問題の大きい小さいなんてことはそこでは関係なくて、 言葉の意味そのものだけでは、すべては語り尽くせないとしても それを受け取った人がプラスαのフィーリングを感じて、言葉を補い、 物事を感覚として共有できるのがベスト、だと僕は思う。 要するに、言葉で説明できないなんてことは当たり前のことで、 むしろそれを何とかするために僕らは会話をするわけで。 『言えば分かる』なんて思いこむのも良くないけど、 出来やしないって諦めるのもなんか違うかな、と。 伝わらないことを何とか伝えようとして、 生きていくもんなのだよ、人間は。
フェチバトン。
某SNSで、友達から回ってきたので書いてみました。 こっちにも転載。 --
本日の『これ欲しいかも』
ITMediaで特集されていた、
「Good Design Presentation 2005」(GDP 2005)
の記事をぼんやりと眺めていたら、
なんだか見たこと無いターンテーブルが目に飛び込んできた。
コンパクトなボディ、クリアなプラッター。
ポータブルなプレイヤー(いわゆるレコードプレイヤー)って、
何となく、安っぽい感じが多い(むしろそれが一つのデザインともいえる)のに、
なんかそういうものとは一線を画している。
クレジットは『GUBER』。
GUBERは、Vestaxによるコンセプト・ブランド。
GUBERとは・・・プロフェッショナルな技術とノウハウを活かしながら、自由でクリエイティブな発想で企画された製品ブランド! レコードプレーヤー、DJミキサー、スピーカーシステム、ギター、ギターアンプ、CDプレーヤーなど多方面に渡る製品を企画・開発中。常に本質を押さえながらも、「自由な発想」をキーワードに、21世紀の新しいブランディングを提案します。(VestaxJapanより)なるほどねぇ。 実際に、製品情報のページに行って見てみると、 思いの外、『厚さ』が気になってしまって、 なーんだそんなにコンパクトじゃないんじゃん、と思うのだけど、 まぁそれでも、斜めから見たときのオシャレ感、 目鱗感を損なう物ではないか、と。 おしゃれなカフェとか、こういうプレーヤーどうでしょう? (残念ながら、セレクトショップのみでの販売、となってるけど) JDN /GDP on line [グッドデザイン・プレゼンテーション -GDP2005- ] Vestax Japan|株式会社ベスタクス ジャパン ITmedia ライフスタイル
あ、そういえば、初クリーニング屋かもしれないな…
どうも眠れるような心境ではなかったので、 『BECK』を読み返して朝を待つ。 と言うのも、先日の結婚式二次会で汗だくになったスーツとシャツを、 クリーニングに出さなくちゃいけなかったからだ。 普段、毎日、スーツを着用している人にとっては、 まぁごく普通の、言ってみれば家事のひとつだと思うんだが、 Tシャツにジーンズでの出勤がむしろ普通の業界に生きている人間にすると、 スーツを着ること自体が既にコスプレみたいなもんなんである。 正直、スーツ着て、ネクタイしめると、 鏡に映ってるのは自分だと当然知ってても、笑ってしまう。 そんなわけだから、 日常クリーニング屋に行くなんてことは、僕のスケジュールには無いことだし、 しかも、なぜかたまたま、 スーツ着る→親が京都に来る→持って帰ってクリーニングに出す→宅急便 という恐るべきタイミングで来てたので(頼んだわけじゃない)、 自分で持ち込むってことはなかった。 28歳にして初体験… しかも、クリーニングって!(笑) 世間知らずにも程があるなー俺。 幸い、朝イチで店は暇だったし、 おばちゃんが親切に対応してくれたし、 特に何も変わったことはなかったわけだけどね。 さて、そのスーツをいつ着るのかが、問題だ(苦笑) (もしかして11月の市場の結婚式かなぁ…)
Sexual 夢。
たまに、知り合いとのSEXの夢を見ることがある… 現在も過去も、そして多分未来も、それほど親密な関係というわけでもなく、 これと言って意識があるわけでもないのだけど、 ふと、降りてくる。 つい最近も、そんな夢を見た。 夢を見てる間は、そんなに意識していなくて、 目が覚めたときに、『あーアレってあいつだよな…』と、思う。 もちろん、そんな夢見たからってそんな希望があるわけでもないし、 見たあと意識するようになってしまうこともないわけだけど、 この手の夢を見たあとって、なんかあんまり… 以前見たときも結局、ろくなことが起きなかった。 んー…