ブログ記事ネタ消化状況
さて、先月に比べるとだいぶ良いペースでブログを更新出来ていますが、ここで先日から貯めているブログ記事用のネタをどれくらい消火したかを確認してみましょう。今現在、全部で41項目あり、そのうちブログ記事として記事を起こして更新したのが12。残りは29項目。なかには先日の職場のカミングアウトを前提としたネタもあるので、どれでもすぐ記事に出来る状態だったわけではありませんが、したってまだまだありますね。「16. 歩き方が残念な美人」とか、それを思った状況は覚えてるけど、これをどうやって文章にしろというのか。そもそも自分が残念でない歩き方を実践出来ているわけではないしなあ。
ただまあ、リストを見返してみると、思いついてその時は良いアイディアだと思ったけど、メモを見返すまで全く忘れていたようなネタもあり、メモすることの重要性を改めて感じました。「後でメモしておこう」と思って10分後にすっかり忘れちゃってる(メモしようと思ったことだけは覚えてる)ネタもたくさんあるし、それがデジタルであれアナログであれ、すぐにメモ出来る環境は大事ですね。見た夢を起きた後すぐ忘れる……みたいなもんですからね。感覚的には近い。もうしばらくはこのリストに追加していくつもりなので、リストはどんどん長くなっていきます。最終的に半分くらい書けていれば良いかなあ。
ブログの記事を書くことは、やはり、自分を見直すという意味でかなり大事なので、その過程として、ネタがどんどん溜まるのも、健康的。いつかの段階で必ず自分自身が思ったことなので。
もう少しだけ、お付き合いのほどを。
音楽離れって言うことじゃないんだけど。
バイトの大学生を見てると、ほとんどの大学生が、出勤してきたときや帰るときにイヤフォンもしくはヘッドフォンをして音楽を聴いてます。僕も昔は、移動中、つまり自転車に乗ったり歩いたりしているときに携帯プレイヤーで音楽を聴いてました(昔は自転車に乗りながらイヤフォンで音楽聴いても違法じゃなかった)。出掛けるとなったら、靴を履くのと同じようにイヤフォンを耳に突っ込むのが習慣でしたが、いつの間にかそれをしなくなりました。多分、Twitterかなんかに書いたことがあると思うんだけど、「止めよう」と思って止めたというよりはほんといつの間にか。
止めた当時はデスクワークだったし、出勤してから退勤するまで長いときで14時間くらいずーーっと音楽を聴いてました。その流れで通勤の時も聴いてたんですけど、あるとき何も聴かずに出勤してみたら街の環境音がなんだか新鮮で。もちろん騒音もあるけれども、音を聴いて気付くことも色々ある。
別に、気付いても気付かなくてもどうでもいいことなんですけどね。
こんなとこに工場あるのとかね。
おばちゃんが掃き掃除してる音とかね。
中学校の部活のかけ声とかね。
なんだかそういう環境音がある方が、移動としてリアルな感じがして妙に気に入ってしまいました。たぶんそれから、ジョギングの時を除いて、音楽を聴きながら移動してない。ジョギングの時は移動時間が長いのでなんか聴いてないと飽きちゃうし聴いてるけど。
だから歩きながら音楽聴くなとかそういうことじゃないんだけど、そう言えば自分も音楽聴いてたなあ、それも若いってことなのかなあとちょっと思ったり。自転車で何日も移動して疲労困憊の時、聴いてた音楽で元気づけられて乗り越えたみたいなこともあるので(今はやっちゃダメだけど)、もっと生活に音楽があっても良いんじゃないかとも思うけど、なんかそこまで切実ではないのかも。もちろん切実に音楽聴きたくて聞いてるわけじゃないとは思うんだけどね。

先日、ドナルド・トランプアメリカ大統領が就任しまして、それと前後して為替相場も大きく動きました。トランプ大統領の施策を反映したもので、基本的には「ドル高」基調。で、年末年始、118円くらいまで行ったんですが、トランプ大統領が口先介入するじゃないのってことでこのところ少し戻して、今は113円です。


最近、仕事前のルーティンをしっかりとこなして、準備をきちんとしてから仕事に臨むようにしています。

ホールマネージャーがインカムで「お客様の人数が増えられたので準備して下さい」と言っていてなんか違和感。
「人数が増えられた」っていう言い方するのかな?
いろいろ調べてみて、直接ヒットするような情報は無かったけれど、人ではない名詞の「人数」に敬語を使うのがどうもあんまり良くないみたい。日本語として正しいかどうかで言えば、別に「人数が増えられた」でも正しいのかも知れないけど、「お客様が増えられる」とか「お客様の人数が増える」「人数を変更された」など、お客様の行動に対して敬語を使うか、そのまま丁寧語で伝えるかどちらかが敬語としてはナチュラル。微妙な感じが残る表現は、避けるのが良いのかなと思います。つまり、今回の例だったら「人数」という単語をそもそも使わない。必要ないからね。
正しい敬語を使うのは確かに難しいけれど、よっぽど格式ある場面でない限り、極力シンプルにしていけばそうおかしなことにはならないと思うんですよね。相手には敬称と尊敬語、自分や身内には敬称は付けず謙譲語か丁寧語。あとは、場面に合わせて正しい敬語を使うように心がければ自然と身につくかと。つい、慣れた言い回しで言ってしまうこともありますけどね。
「人数」に関しては、丁寧な言い方として「ご人数」という言い方がありますが、世の中にはそれにさらに敬語を加えて「ご人数様」と言っている場合があるみたいです。
個人差のある話なので、一般論ではないですよと前置きしておきますが。
「美女」というとなんとなく、高飛車だとか調子に乗ってるとか、性格的にマイナスなイメージが付けられることが多い気がするのですが、実際に見る美女というのは、気が利く、気を遣う感じの人が多い気がします。そういう人間性が外に出てきているみたいな啓発系の話じゃなくて、やっぱり、目立つ容姿の女性というのは敵を作りやすいんだと思うんですよ。
男でもないとは言わないけれど、やっぱり女社会の方が、妬みだとか陰口だとか多いじゃないですか。容姿で目立つ人は、その人が何か特別悪いことをしているのでは無いのに、なぜか目の敵にされてしまう。「あの子ばっかりずるい、ちょっと顔が良いからって」みたいなの、男子だった僕でさえ聞いたことある訳なので、男子に聞こえないところではさもありなん。ましてや女子高では。
つうわけで、必然的に、周りと協調しようとする人が増えるような気がします。そういう気配りとか、配慮のせいで余計に魅力的に感じられたりもするわけですけど。男はもちろん文句はないし、女性も文句はないでしょう。容姿端麗な女性に気まで使われたら、ぐうの音も出ないですからね。もちろん容姿端麗であればこそ、気を利かせるときの笑顔が映えるというのもあるわけですが、まあそれはまあ。
そういうのって割と人に話すようなことではないし、色んな経験をして自然に出来るようになっていることなので、本人も自覚は無いかも知れないけれど、まあ大なり小なりそういうのやってるよね。そしてさらにモテるって言うね。
人の社会というのは、つくづく不公平に出来ておりますね、と思うわけであります。
まあ動物の社会はもっと不公平だけどね。