料理と握力の関係、または筋トレの意義

自分ではそれほど意識していなかったのだけど、左手に比べて右手の握力がかなり低いみたい。しかも小指があんまり自由に動かないので余計に力が入らなくて、料理をする上でいくつかの作業に支障を来していました。例えば、包丁をきちんとハンドリングするとか。包丁は親指とひさし指で刃を支え、その他の指と手のひらで固定して使うのだけど、僕の場合このホールドが甘いらしくて堅いものが切りにくかったり、自分が切りたい場所を上手く切れなかったり(=みじん切りの幅が揃わないとかスピードが出ないとかいう感じで表れる)してました。


多分どんな「手に職」系のお仕事でも同じだと思うのですけど、こういうときに言われることって「すぐには出来ないから」「時間を掛ければ出来るようになる」。それはもちろんその通りで、技術の習得というのは始めた次の日に上手く出来るようなものでは無いのですが、「なぜ上手く出来ないのか?」と考えて原因を整理してみると、その中には上で挙げた「筋力不足」のような物理的に不足していて練習でカバー出来るような要素も含まれていることがわかります。もちろんそういう筋肉の充実も含めた「時間を掛ければ」なんですが、でもそれってね、野球で言うところの「投げ込みを繰り返すことで肩の持久力を作る」みたいな話と同じなんですよね。


現代野球の投手のトレーニングにおいて、数多く投げ込むことがいつでも有効であるわけではないというのは常識です。むしろ肩は消耗品なので如何に消耗させずに、ピッチングに必要な筋肉を鍛えていくか。もちろんフォームを作り上げ固めたり、コントロールを鍛えたりする目的でのピッチング練習は必要になるのですけど、ピッチング練習は必要なだけにとどめて、極力ピッチングさせずにかつ調子を整えるというのが投手のトレーニングの主流であろうと思います。特にMLBでは。つまり、投げ込みで筋肉が付くのは正しいとしても、その筋肉を付けられるのは投げ込みだけではないという考え方で、「投球数と怪我には関連性がある」というデータに基づくものです(参照)。


もちろん料理はピッチングと違うので、包丁を握る機会を極力減らす必要なんて別に無いのですけど、でも包丁を握るよりも効率的に不足した要素を補う方法はあるわけです。握力が足りなくて包丁の保持が上手く行かなくても、何万回と包丁を使えばきちんと包丁を保持出来るようになるでしょう。それは修行の成果ではありますけど、でも例えば握力のトレーニングを平行して行えばそれが何千回で実現出来るかもしれないわけです。フライパンの修業として「フライパンで砂を振る」というのもそうですけど、フライパンを手に馴染ませるにはたくさん握るのがいいとしても、それとは別に筋トレ(例えば上腕二頭筋)を取り入れても良いんじゃないのと思ったりします。「意味のないことを延々繰り返す」という精神修養の意味もあるのでしょうけど、そういった感じが、プロ野球の一昔前のトレーニング概念に似ているなあと思ったのでした。



ちなみに

握力を鍛えて2ヶ月くらいたって、右手の握り込みが随分変わったのを感じています。その間もちろん包丁も数多く握りましたけど、多分それだけではここまで右手小指に力が入るようにはならなかったろうな。それだけで料理が上手くなるわけじゃないですが、そういうことも大事なんだろうなと改めて確認しました。「4月から高卒で料理人の道に入ります」みたいな若者とは違って、これからじっくり30年修業出来るような人間では無いからなあ、僕は。