「ラーメン大栄」の歴史について(おまけ)

ラーメン屋のイラスト(建物)
おまけです。






「第一旭」という屋号

「ラーメン大栄」の歴史について先日書きました。


「ラーメン大栄」の歴史について



その中でこの店舗の源流が「第一旭」にあるらしいと書いたのですけど、「第一旭」というのがこれまた「大勝軒」みたいな立ち位置の店舗でありまして、非常にたくさんの人が弟子入りしやがて独立・のれん分けしていったある意味で学校のような店だったようです。特に初代の田口さんの時代には、独立に際し報奨金を出したり、「第一旭」という屋号を自由に名乗ることを認めたりとかなり積極的に独立を推奨していたようで、それが今日の「第一旭」の裾野の広さになっているそうです。


参考文献

家電建築富士宮+薪ストーブ:ラーメン第一旭の歴史を紐解く①本家の歴史・グルーピング
家電建築富士宮+薪ストーブ:京都ラーメン第一旭の歴史を紐解く⑥別名での暖簾分け店



「ラーメン大栄」はなぜ「第一旭」ではないのか

もちろん創業者の方が自分の屋号を持ちたいと思ったかもしれないので、別に「第一旭」でなくても構わないわけですけど、参考資料によれば「ラーメン大栄」創業前の1977年に「第一旭」を引き継ぐことが出来ない決定的なことが起きます。


以前、本家の歴史で書いたように、1977(昭和52年)、佃栄子氏と、松本有司・春枝両氏との間で店舗賃貸借契約が交わされています。また、この際に、第一旭の商号使用を制限することを口頭で伝えられ、了承したようです。

内容は、「【第一旭】又はこれに類似する商号を本件物件以外の営業に使用してはならない。また、その名称のいかんを問わず、一切の第三者をして、【第一旭】又はこれに類似する商号を使用させてはならない。」というものです。

家電建築富士宮+薪ストーブ:京都ラーメン第一旭の歴史を紐解く⑥別名での暖簾分け店


簡単に言えばこれ以降、のれん分け・独立する弟子たちは「第一旭」を名乗れなくなったということのようです。文面からすると既存の店舗にも改称を求める感じに読めますが、現実として現在も複数の「第一旭」は存在しているのでそこまで強硬姿勢というわけではなさそうですね。


ともあれ、そういうわけで「ラーメン大栄」は「第一旭」ではないわけです。まあ普通独立する際には自分の屋号を付けたいと思うもんだと、僕は思いますけどね。



ちなみに:商標上は3つある

特許庁のプラットフォームで検索してみると「第一旭」という商標は3つ出てきます。





一番古いのは創業者の方が取得して継続していると思われる「第一旭」。出願日は1984/10/23となっています。この出願日は結構大事で、上で書いた店舗賃貸借契約(1977年)と創業者の方が亡くなって正式に佃さんが経営を引き継ぐ1989年の間に位置しており、第三者の屋号の使用を禁じるとともに商標を取得したという風に読めます。


面白いのは後の2つ、神戸で「神戸ラーメン第一旭」を展開する株式会社アサヒフーズ(創業者田口有司さんのお子さんが創業)がロゴ入りで商標を取得していることで、なんでこれ取れたんじゃろかいと思ってよくよく見てみると区分が違うんですね。

「第一旭」の区分は「29:動物性の食品、加工食品」「30:植物性の加工食品、調味料」。一方で株式会社アサヒフーズの方は「42:ラーメンの提供」「42:飲食物の提供」。


さらに面白い話:揉めてます笑

商標「神戸ラーメン第一旭」の詳細を見て行くと、佃栄子さんから2000年に無効審判を申し立てられていることが解ります。結構揉めてて面白いんですけど、最終的な結論をざっくり書くとこんな感じです。


  1. 確かに「第一旭」は田口さんから佃さんが経営を引き継いでおり、店名として使用していることは認め得る
  2. しかし既にのれん分けおよびフランチャイズ倒産後の独立によって多くの店舗が「第一旭」を名乗って経営しており、「神戸ラーメン第一旭」を商標として認めたところで請求人の営業に影響があるとは思われない
  3. よって登録を認める


広く使われてしまった後で本家本元が使用を制限しようとしても、商標的には無理ですよという教科書みたいな事例ですね。両店、京都と神戸とで守備範囲が違うし親戚みたいなものなんだからもうちょっと仲良くやりなよと思いますけど、フランチャイズが倒産したりしていろいろ商売も大変で、なんか考えるところがあったのかもしれません。このあたりもラーメンの歴史の一部かなあと思います。