京都とは、古いものを否定しながら出来上がった街

清水寺のイラスト
観光客が理想を抱くのは仕方がないとして、なんらかの専門家が誤った認識でボール投げてこられるのは迷惑なんですよね






別に絡むような話じゃないんだけどさ

この記事の中のこのコメントに対するリアクションです(強調は引用者)。


市電が廃止されてからの京都市内の交通事情は、ダイヤが不確かで地元民から苦情が出るほどの混雑ぶりの市バス、代替交通とはいいがたい地下鉄など周知の通りである。古都でありながら「古いモノは時代遅れ」という矛盾に満ちた発想は、日本最古の電車発祥の地を否定するものであったと筆者は思っている。

「車優先」で相次ぎ廃止、今はなき路面電車の記憶 近年は「復権」、存続していれば観光資源にも? | ローカル線・公共交通 | 東洋経済オンライン


筆者であり鉄道写真家の南正時さんが何を思おうが自由なんですけど、路面電車の文化的重要性については強く同意しつつ、京都の発想に対するこの記述に関しては明確に否定しておきたいと思います。

「古いモノは時代遅れ」という考え方は、京都にとって矛盾に満ちた考え方でもなんでもなく、むしろ合理性を重んじる京都人の伝統的な考え方であり、京都という古都が今なお京都として現存しているそのアイデンティティのようなものです。矛盾どころかそれを否定したら今の京都はありません。



最新技術を取り入れ続けるからこその京都

よく誤解されがちなのですけど、京都という街は常に変わっています。変わっているからこそ古いものを大事にするんですね。


例えば京町家。京町家とは1950年(昭和25年)以前に建築された木造住宅のことですが、それを未来永劫保存していくことが不可能であることぐらい誰でもわかります。西洋の石造りの建築物とは違い木造なんですから、築100年も経てばボロボロです。それでも骨組みだとか建築ポリシーだとか大事な部分を残しつつ、壁材だとか断熱材だとか最新の技術を取り入れてより良い形で残して行く、それが京都のやり方です(といってもそうして京町家を保存することは殆どなく、経済的理由から大抵は取り壊され現代建築に置き換わりますけども)。

神社仏閣だって大昔からただそこにあり続けたわけではなくて、時代ごとにその時の最新技術で補強されてきたからこその古都なんですよ。


京都という街は、そうしてスクラップ&ビルドを繰り返してきたからこそ、近代まで日本の中心であり続け、現代でも文化水準を維持しているんです。それを止めたら、ただの地方都市でしかありません。



そもそも新しいモノに置き換えたからこそ路面電車が生まれた

記事内にもあるとおり、京都電気鉄道用による路面電車は日本初の営業用電気鉄道です。北垣国道京都府知事による琵琶湖疎水の推進と、その開通に合わせて建設された日本初の営業用水力発電所となる蹴上発電所、そこからの電気鉄道。当たり前ですが、路面電車という存在そのものが歴史において非常な新規性を持っています。京都の文化がただ古いモノを残すことだけを是とするものであったなら、疎水も水力発電も電気鉄道もありません。


そう言う成り立ちをふまえて考えれば、古いモノを代替する目的で作られた路面電車が、古いモノとして他の新しいモノに代替されることは極めて自然なことです。鉄道愛好家としてそれを矛盾だと呼びたいのなら好きになされば良いけれど、京都文化史のうえに立って語るなら、それを矛盾と呼ぶことはまったく非合理なことであると言わざるを得ません。単に、一時代の風景を固着させたいだけではありませんか?


僕も路面電車が走る京都の街は好きでしたし、南正時さんが撮影された京都市電九条線の写真は非常に素晴らしいと思いますが、そのことと京都の発想に関する指摘の非合理さとは別の問題です。



もちろん現代の公共交通機関については議論の余地がありますが

新しいものに置き換えた結果が良いかといわれると、それに関してはもちろん議論の余地はあります。

ただそれについても議論のやり方というものがあり、路面電車をなくしたから現代の公共交通機関が混乱しているわけでは全然ありません。現代の三条通り、堀川通、九条通などの交通量を考えると、路面電車が残っていればより顕著に混乱していただろうと思いますし、そもそも市バスも地下鉄もなく路面電車だけで、市民と観光客の運送をまかなうのは絶対に不可能です。


「ダイヤが不確かで地元民から苦情が出るほどの混雑ぶりの市バス」これはまったくその通りですが、この原因は市バスが使えない交通手段だからではありません。観光客が多過ぎるんですよ。観光地に向かう系統では、何本見送っても満員で乗れないなんてことが毎日起きています。週末の四条烏丸バス停とか祭か?というぐらいの混みようです。

地下鉄も同様。週末の京都駅と四条駅では、1回で乗れないことがあります。大量の観光客がスーツケースと共に乗り込むからです。


路面電車の狭いホームにスーツケースを持った観光客が居並ぶ、観光客にとっては情緒溢れる素晴らしい瞬間かも知れませんが、それが市内交通にどれだけ影響を与えるかを想像するのは容易です。果たしてそれが地元民にとって素晴らしい交通機関になり得るか?

現在の地下鉄と市バスが最高だとはまったく思いませんが、21世紀の京都の交通事情のことだけを考えるならば、路面電車を廃止したのは英断であったと僕は思います。問題が深刻化する前に先取するか、深刻化した後に手当てするかの違いです。



京都市の財政が復活したらあるいは

そういう意味では、今、深刻化しつつある問題に対してなんらかの手当てをして欲しい所です。もし問題を解決する手段がLRTだというのであれば復活を検討しても良いと思います。地域を限定した運用なら確かに効果があるかも知れません。地下鉄を延伸するよりずっと経済的だと思いますし。

ただ、京都市はお金がないんですよね。何年か前には破綻寸前まで行きました。その原因は地下鉄東西線の建設にあるので、路面電車の廃止を急ぎすぎたから破綻しかけたというのもあながち間違いではありません。でも、そういう時代だったんですよ。計画されたのはバブル期でしたから。。


ちなみに徹底した合理化の結果京都市は22年ぶりに黒字を達成しました。


深刻な財政難に陥っていた京都市は2日、令和4年度の決算概況を公表し、22年ぶりに一般会計の収支が黒字に転じたと発表した。新型コロナ禍の落ち着きによる宿泊税の徴収増や市民サービスの見直しなどが影響した。

財政難の京都市、22年ぶり収支黒字に 令和4年度決算概況 – 産経ニュース


ただこの黒字は見せかけのもの。実際には22年間の間に取り崩してきた「公債償還基金」を元に戻す必要があり、その完済には2038年までたっぷり15年掛かる予定なので、財政に余裕が出来るのはまだまだ先のことです。


その頃までには、現在の公共交通機関を「古いモノ」「時代遅れ」としより合理的な新しいものへ刷新出来るような環境になっていたら良いですね。


それこそが京都のあるべき姿だと僕は思います。