ルートマッピング能力がゲームで培われている可能性

スマホの地図アプリを見ている人のイラスト(女性)
先日路地の続く街をウロウロしていてそんなことを思いました






リアルダンジョン鶴橋

先日、大阪は鶴橋の商店街を奥さんと友達と3人でウロウロしてたんですよ。鶴橋の高架下と言えば言わずと知れた狭い路地に所狭しと道が立ち並ぶコリアンタウンでありまして、JRと近鉄の高架に沿って網の目のように街が広がっています。初見で行きたいところに確実に行き着くのはなかなか難しいし、一度行った場所に後でもう一回行くのもなかなか難しい。実際問題、駅について初手どう進んだらいいかわからずに間違ったぐらいなんですけど、歩いてるうちに同行2名と僕とで街に対する認識に差が出てきました。


2人は歩いても歩いても今自分がどこにいて、この先どこに行くかがわからない様子。10分前に通った場所に帰ってきても「あれ?そう?」という始末。最終的にはこの街を初めて訪れる僕がリクエストを聞いてその店への道順を教え先導することになりました。なんでわかんないんだよ。これはあれか、方向感覚とかそういう人間的な能力の問題であって僕のそういう能力が若干優れているということなのかなと思っていたのですが、でも後日思ったんですよ。これってもしかして学習効果じゃないの?



MinecraftとSkyrimと龍が如く

ゲームをやっているとダンジョンを探索していくとかマップを移動していくというシチュエーションは良くあります。







Minecraftであればランダムに生成されるダンジョンを探索し、そこから生きて元の地上に生還するみたいなことが求められます。「あれ?ここって通ったっけ」とか「ここ確か右から来たよな」とか言うのを繰り返しながら進みます。ま、松明置けば良いんだから覚える必要はそれほどないんですけど。

Skyrimの場合はダンジョンは基本的に「使い捨て」なのでルートを覚える必要はありませんが、オープンワールドであるが故に周りの風景と照らし合わせて現在地を把握するという作業が頻繁に発生します。まーファストトラベルって言う手もありますけど。

龍が如くシリーズの場合は、様々な都市が舞台になりそこでチェイスが発生したりもするので、細かい路地を含めて街の状況をある程度覚える必要があるし都市内部ではファストトラベルはないし繰り返し登場するし、迷ってたらゲームになりません。必然、特徴を覚えて道順を把握するというようなことを集中して行うことになります。あ、これ?



駅の改札を過ぎておばちゃんの店を曲がって道なりに行って

だいたいの人はわかってると思いますが、道を覚えるこつはつまりランドマークをいかに上手く見つけるかに掛かっています。路地の特徴を整理し上手くつかんで動かない必要なことだけを覚えて、再現する感じ。もし仮にこれがゲームで鍛えられたことなんだとしたら、同行2名に出来ないのも無理ないなあ。


逆に言えば今どきの子供は方向音痴少ないのかもな。オープンワールドでグローバルマップ広げないと進めないとか効率悪すぎるしなー。そう考えるとある意味で人間の進化かもしれない。

なるほどね。