新型コロナウイルスの感染拡大で一変した地方在住Webエンジニアの転職環境(前編)

オンライン打ち合わせのイラスト
僕がWebエンジニアとして給料をもらい始めたのは2002年の終わり概ね2003年からのことなので、2021年の12月である今は丸19年ということになります。独学で学んだコーディング技術を友達の会社で活かすという形で業界に入ったのであんまりはっきりとした区切りがなく、「19年」と聞いても「へーそんなもんか」ぐらいの印象しかありませんが、でもまあその間に3回の大きな転職の機会があってそのたびに環境が変わっていたのでそれを思うと「時代は変わったのね」と強く感じます。






長すぎるので前編・後編に分けました。前編は表題の件を書く前の、昔の転職事情という名の自分語りです。本題だけ読みたい人は「新型コロナウイルスの感染拡大で変わったこと(後編)」だけ読んでください。



1度目の転職活動は2010年頃

白目の人のイラスト(男性)

3行で

  • この頃の転職活動は担当者と対面して戦略を練るスタイル
  • 関西限定だと応募が非常に少ない
  • ドワンゴの面接受けたけど頭真っ白になって何も出来ないまま失敗


元々が「独学で学んだコーディング技術を友達の会社で活かす」というレベルであったので、入社時の給料は「時給=最低賃金」とそれはそれは厳しいものでした。当時は自分も会社も「技術に付ける値段」というやつをよくわかっていなかったため、なんとなくそれで良いんじゃないかとなっていたんですけど、しかし本格的にプログラミングをするようになりフロントエンドもバックエンドも支えるようになってきて周りを見てみるとどうやら自分の給料が必要以上に低すぎるらしい。待遇を根本的に見直してもらうか、もしくは環境を変えるべきであるということに8年経ってようやく気が付きました。俺、こんな金額で何やらされてるんだ?


当時も転職・中途採用専門の仲介業者というのは多数ありましたが、僕がお世話になったのはリクルートエージェントさんでした。担当者の方と直接面談をし、履歴書と職務経歴書を作りながら希望を伝えて会社を紹介してもらうという流れ。ただなるべく関西でということで会社を探していたので募集枠があまり多くなく、その中から実際に何社か書類を送ってみましたが通過できたのすらごくわずか。唯一採用に肉薄できたのは関西を諦めて応募してみたドワンゴの面接でしたが、採用担当が居並ぶ会議室でホワイトボードにコードを書くという面接が、そういうのにまったく慣れていない僕にとってはショックだったらしく頭が真っ白になって1行も書けないという無様な姿をさらしただけで終わり(PHPの極簡単な関数を使ってループ処理を書けみたいな目をつぶってでも出来るような試験だったのに)、結局転職は失敗でした。


リクルートエージェントの担当者の方は客観的に見て「こんな給料で働くような職種じゃない」「希望にかなう会社さんはたくさんあります」「めげずに希望範囲を広げてたくさん応募していきましょう」と頑張ってくれたんですけど、ドワンゴの1件で僕の心は折れまくりそこで1回目の転職は終了、元の会社に戻ることになります。今考えてみれば書類審査を通らなかったのは職務経歴書の書き方が拙くて「どんなプロジェクトに参加してきたかはわかるけど何できるかがよくわからない」という状態だったと思うので、もう少し僕個人のスキルにフォーカスして職務経歴書を書けば、書類審査ぐらいは通っていたと思うんですけどね。今よりだいぶ若かったんだし。



2度目の転職活動は2013年頃から2015年頃

求人誌のイラスト

3行で

  • ネットを通して応募するスタイル
  • ただし今回はアルバイト
  • アルバイトの報酬でエンジニアの仕事が出来るわけないだろ


1回目から3年後、システムを刷新すると言って会社に乗り込んできたコンサルタントがプロジェクト進行に行き詰まり、予算を大幅にオーバーして外部から人間を呼べなくなった結果内製エンジニア(つまり僕)をプロジェクトにアサインして使い倒すようになり、それに適応できなかった僕は精神的に追い詰められて仕事を辞めることになりました。この時点で入社から10年を越えていましたが会社の僕に対する評価の低さは変わっておらず、そのことがコンサルタントの僕への責任転嫁を許すことにもなり(システムがダメなのもプロジェクトの進捗が上手く行かないのもあいつのせいだ)、まあ、今考えても酷い体験でした。さすがに最近はトラウマには感じませんが、恨みは忘れてません。


で、そんなこんなで休職を経て退職することになり、自分がやりたいことを考えた末に2013年9月からスペインレストランで働き始めることになるのですが、休職からそれまでの期間、また飲食業界に入ってからもしばらくの間はなんとか収入を増やそうと思ってエンジニアの仕事の就職活動もしていました。それが一番手っ取り早く自分のスキルを生かして稼ぐ方法だと思っていたし、飲食の収入だけでは暮らしていけなかったので。この転職はある意味でWebエンジニアとして真面目に転職を考えたものではなくあくまでアルバイト感覚だったので(なぜなら夜は飲食の仕事があるから)、転職活動はエージェントではなくアルバイト紹介サービスを通して行いました。最終的に電動アシスト自転車を制作・販売する小さな会社に決まったんですけど、確かフロム・エー経由じゃなかったかな。

ここも今考えてみると僕の失敗なんですけど、Webエンジニアをフロム・エーなんかで募集する会社ですから大した報酬は用意してないんですよね。時給は確か1,000円だったかなあ。週に4日ぐらい1日5時間ぐらい会社に通って作業して、システムを構築するという仕事だったんですけど蓋を開けてみたらWebデザイナーとグラフィックデザイナーとプログラマーを兼ねるみたいな役回りで、それで1,000円はないなあという感じでもあり、なおかつ社長としては「1,000円でやれる仕事をやってもらってる」という感覚があるからか扱いが(悪気は全くないんだけど)すごいぞんざいで平気で無茶言う環境で、技術に見合った対価を要求するってのは大事なんだなあとこのとき強く思いました。お互いのためにならないですよね。


それでもこの会社には1年半ぐらいいて、昼も飲食の仕事を入れることにしたときに辞めました。その後の仕事はコンサルタントやコンサルタントが紹介する外注会社を通してこなした(そしてもちろんそれなりに金は掛かったはず)みたいなので、結局僕なんかいらんかったんや、そもそも零細企業が社員としてエンジニアを抱えるなんて過大だったんやということなのかなと思っています。入る前からわかってたミスマッチでしたねえ。



飲食の区切りと復職

買い叩く人のイラスト

3行で

  • 飲食は夜だけにするようにした
  • 最初に入って精神病んで辞めた会社に復職
  • 結果を出しても評価は低いままで、責任だけ上げられそうになったので退避


その後、飲食の仕事を昼夜する時期が2年ほど続き、さすがにしんどいとなって昼の仕事を止めてそのタイミングでかつて精神を病んで止めた最初の会社に復帰しました(2017年末)。この頃にはコンサルタントはもうほぼいなくなって、代わりに入社したエンジニアが何千万も掛かったのにバグだらけの酷いシステムを必死で直して何とか使えるようにしていて、僕はその彼のサポート役として入社したのでした。そのエンジニア(上司)は年下でしたが、僕は上司が年下という環境はまったく苦にならないので彼とは上手くやれていたんじゃないかと、僕は思うんだけど彼がどう思っていたかはわかりません。やりにくかったかも。


復職から1年して「上司」が退職し、その上司の後任が決まらないままなんとなく2年半が過ぎ、例によって僕への評価は低いままなんとなく上司の後任はお前だみたいな空気が醸成されていたので、「そういう仕事はやりません」と会社に対して釘を刺したところ社長が謎に逆上し「お前何言ってるんだ俺の言うとおり働け」と言い始めたので、言われた瞬間にシフトを入れるのを止め、2ヶ月後に辞めました。そんなの、以前精神病んで辞めたときと同じように、業務と評価のバランスが狂った状態で働いた末に「お前のせいで上手く進まない」的なこと言われるだけですから。


この会社とは長い付き合いでしたが、最初から最後まで正当に評価されることはありませんでしたね。楽しんで働いていた時期もあったんですが(特に「上司」と働いていたときが一番楽しかった)、常に足下見られて買い叩かれてたなという印象は拭えません。残念なことです。



3度目の転職活動が2021年

オンライン打ち合わせのイラスト

3行で

  • フリーランス向けエージェントと契約
  • 職務経歴書の書き方がレベルアップした
  • リモート面談は慣れると楽


復職した会社を辞めるタイミングと前後して、1ヶ月ほど転職期間を作りました。そこで選んだのはこれまでと同じようなエージェント方式でありながら、正社員の転職を目指すのではなくプロジェクト単位の案件を紹介するフリーランス向けのエージェントサービス(登録したのはクラウドテックとレバテック)。有り体に言ってしまえば派遣会社なんですが(正確には「準委託」というスタイル)、「正社員として入社する」「正社員を採用する」という従来のスタイルに比べると働く方も採用する方も気楽に選べるスタイルであり、かなりマッチングしやすいと言えそうです。


最初のうちは職務経歴書や面接の勘所がわからず苦労しましたが、募集案件に記載されているような流行の技術やそれに付随する開発スタイルなどを、自身の経験に基づききちんとアピールすることで勝率が上がることがよくわかりました。年齢を重ねている点はマイナスではありますが、報酬額は業務内容で決まっていて年齢で上がるというわけではないので、中途採用ほどは敬遠されることはないかなというのが実感です。まあ、現代の技術をキャッチアップできていることが前提ではありますが。


担当者の方との面談はすべてリモート(Google Meet)。会社との面談ももちろんリモートで、採用担当と技術担当と僕とで3人での面談ってのが一番多かったでしょうか。最初はリモートの面談をやりにくいなとも感じましたが、かつてのドワンゴでの面談を考えるとリモートの方が遥かに気が楽で最終的にはかなりリラックスして臨めるようになり、そうなると勝率も上がるという感じでした。以前と同じようになんらかのコードの提出を求められたこともありましたが、面談でいきなり言われてもなかなか。事前に言われていれば公開しても問題ないコードを選んでGitHubにでも上げておくんですけど、ってそれ作っておいた方が良いのかな。ポートフォリオ的な?

中には事前に指定のテストを受けることを求められる場合もあるみたいですけど、今回はありませんでした。で、最初の契約まで1ヶ月ぐらいの転職活動で。最初の契約が先方の都合で中途解約になったあとは1週間ぐらいですぐ次の契約が決まり、今現在順調に働けています。


(「後編」に続く)