1人でやってると偏る
自分では全部一通り完璧にやってると思ってるんですよ。でも奥さんがやってるのを見ると自分とは結構違うんですよね。そんな細かいところまでやるんだ!ていうところもあれば、そこそんなにあっさりなの?というところもあり、ひとそれぞれこだわるポイントが違うんだなあという感じ。こだわりじゃなくても僕と奥さんとでは身長が違うので、高いところが出来るかどうかという違いもありますし、普段自分が使っている部分は汚れに目がいきがちってのはあり、そういうのが仕事の濃淡に繋がっていくんでしょう。色んな人が同じことをやることには意味がある
結局、一人の人が1つのことをやり続けていくとどうしても濃淡に偏りが出てくるってことです。例えば今我が家では週2回風呂掃除をしていて、僕と奥さんが1回ずつやっているわけですが、仕事の日程的に余裕がある僕が「2回とも僕がやるよ」と提案することは簡単だし、そうしても良いなと思っています。でも実際にそうすると多分、いろいろと支障が出てくるんですよね。お互いがお互いの掃除を見ているわけではないから、「そこやって欲しかった」ということや「そこもやるんだ」っていうことが出てきて、1ヶ月も続くとより綺麗になるところとより汚くなるところが出てきてしまうんだろうなと。「ダブルチェックは意味がない」(他の人が見てくれるだろうと油断するから)というのはエンジニア系の仕事では定説ですけど、家事に限って言うと複数人が関与して気になる部分を分担するのは割と理に適っています。
同じことは料理でも
例えば晩ごはんを常に僕が用意することになった場合、作る料理に偏りを作らない自信がまったくありません。僕と奥さんとでは得意分野が違うので、どちらか一人が作ることになったら作られないメニューがたくさん出てきます。今現在も僕としては奥さんが作らないメニューを敢えて作る(昨日はニラ玉を作りました)というポリシーを持っているし、2人が交互に分担することで家の食事のバランスが取れているという面はあると思うんですよね。それはもうね、人には好みがある以上どうしても仕方ない。色んな人が関わる社会の方が面白い
家事の話から社会の多様性の話に飛ぶのはちょっと飛躍しすぎかも知れませんが、基底にある考え方は「1人で考えることには限界がある」ということ。能力の高低もあるし「プレイヤーがたくさんいれば良い」とは一概には言いがたいけれど、少なくとも面白いことにはなると思うんですよ。1人でやってたら固着してしまうようなことも、複数人でやったら振り幅が出来て色んな可能性を試せる。まあ、家事に可能性を試す必要があるのか?といわれると、毎日毎週同じこと出来てクオリティ保ててれば別に良いだろとも思いますけども、それにしても自分1人の視界には限界ってものがあります。タスクの主体を僕1人が担うことになったとしても、他人の目を入れて色んな評価が出来るようにしておくことは大事なことなのかなと思うし、それが全体のクオリティを上げることになるのかなと。家事を通してそんなことを考えています。