坂を上ることは、諦めることから始まる
京都は盆地なので、東京に比べて市街地は平坦な地形が多いです。角を曲がったら500メートルの急坂とか滅多にありませんが、同時に狭い盆地なので距離を走ろうと思ったら必然的に山間部へ向かわねばならず、斜度3%未満の緩く長い坂というのがたくさんあります。20km走ったらその半分は上り坂、もう半分は下り坂です。よく走っている13kmのコースだとところどころアップダウンはあるもののざっくり言って平均1%程度の坂の往復です。だらだら続く上り坂は短い急坂に比べて余計に諦め度合いが強いですね。坂を上っていて気楽なことの1つは、急がなくていいということ。これがレースであったり誰かとの競争であったりしたら多少なりとも急がなくてはいけないけれど、単独走で、かつトレーニングであったならその区間のタイムが落ちることはよほど特殊な条件(坂の上りでスパートする練習とか)でない限り想定内のはず。坂の負荷を感じ始める斜度(2%ぐらい?)からは平地でのペースを維持することは諦めて、上り用のフォーム(前傾してストライドを狭める)で淡々と走るモードに移行します。きついし早く終わりたいけれど、でも早く終わることは出来ないので、であれば一歩ずつ上りながら坂が終わるのを待つ。それしかありませんし、結局それが一番早く楽に終わります。
焦っても終わらないけれど、逆に言えば走り続けていればいつか終わります。早く終わることさえ諦めてしまえば、上り坂はメンタル的にはそんなにキツくありません。フィジカル的にはキツいけど。
しんどいことをやるときのメンタルもそれに似ている
「メンタル的にキツいこと」というのにはかなりの幅があり、人間として許容出来ないようなことも含まれるので、あまり安易に「こうすれば頑張れる」みたいなことを書くべきではないと思うのですが、ここで言っている「メンタル的にキツいこと」というのはキツいことの中では非常に軽微なこと、例えば毎日仕事終わりに30分掛けて掃除をすることだとか、毎日1時間かけて雪かきをするだとか、忙しい日に延々と皿洗いをするだとかその程度のことです。面倒くさいけどしなければならないというような程度のこと。面倒くさいなあと思うようなことでも、見方を変えてとにかく終えることを最優先に考えてメンタルを構築すると、結局は上り坂を上るときのメンタルに近くなってきます。つまり急いでやることは最優先にせず、やるべきことを1つずつ着実に片付けていけばいずれ終わっている。無理して終えようとしなくても向こうから勝手に終わってくれているという感じ。早くやろうやろうとすればするほど、なかなか終わらない現状に対してストレスが募りますし、心身ともに疲弊します。急いでやったところで30分のことが25分で終わるとかその程度のことなので、脱出まで25分しかないとかいうドラマティックな展開でない限り、特別急ぐ必要はないです。焦りたい気持ちを我慢して、淡々と1歩ずつ、終わるのを待つ。それで終わってしまえば、あとは何をするのも自由。
日常的にランニングをするようになってから、日常生活においてもそういう考え方をするようになってきました。
面倒くさいなあ、でも仕方ないよね、じゃあ終わらせようか。そんな感じ。
レースの時もそういう考え方が出来ると楽なんだろうなあ。でも大体、体力的に限界だったりタイム的にギリギリだったりして、そんな考え方をする余裕はなくただただしんどい上り坂みたいなことになりがちなのですけど、でも、次のレースでは以前より少しは余裕を持って上れるんじゃないかなという気はしています。最近のお気に入りは、先日見つけた斜度3%、距離1.5kmの坂道。坂を上がりきる筋力を鍛えるためにもと精神の安定のためにも定期的に走るようにしています。