厄年を完全に無視してやり過ごした

中年男性のイラスト「髪がふさふさ」
今年の本厄は昭和54年生まれ(満41歳)、前厄は昭和55年生まれ(満40歳)、後厄は昭和53年生まれ(満42歳)だそうです。僕は昭和52年生まれなので晴れて厄年を抜けたことになります。

厄年早見表・厄除けをする年齢表【千葉厄除け不動尊】



とか言いながら、厄年らしいことは何もしませんでした

「厄年」という概念自体は否定しません。人間歳取ってきて人生的にも体力的にも岐路にさしかかるところだし、ここから先は「老い」だぜ、そういう自分と折り合い付けながら生きていかなけりゃいけないんだぜ、そういう意味での「厄年」(いわゆる「男の大厄」といわれるもの)ってのはあると思うんですよ。僕だって脳動脈解離をやったのは41歳の時でしたし。
(女性の場合は少し早いから同じ意味合いではないかも知れないけど)

だから厄年の期間にいろいろと大変なこと、面倒なことが起きるのは必然だと思うし、それに対して「厄除け」「お祓い」などで備えるというのもまた自然な気持ちだと思います。みんなそうやって対応するんでしょう。美容院でも飲食店でも、「お祓いしてきました」「鈴木さんもしてきた方がいいんじゃないですか」みたいな話を振られる機会がありましたしね。



個人的に「意識したくない」んです

でもねえ、個人的に、そうやってしまうと「厄」というものを意識しすぎてしまう気がしたんですよね。意識しすぎることで、生きている上で起きる様々なことに対して悲観的になりすぎてしまう。「本厄だから大変なことばかり起きるんだ」みたいなね。実際はそんなことないんですよ。厄から抜けたあと若返るわけじゃないわけだから、健康的な問題はどんどん起きるし、親が歳取って色んなことが起きるし、仕事も変わって行くだろうし、今だけ大変なことが起きているわけじゃない。

それにこの歳ならではの楽しいこと、良いこともたくさんあるはずなんです。お子さんがいる家庭なら、進学とか、旅行とか、楽しいことはたくさんあるじゃないですか。うちには子供はいませんけど、それでも日々楽しく生きてます。それを「厄」というフィルターを通してみるのはどうしても嫌だったんですよ。悲観的になりすぎずに起きていることをありのままに受け入れられる自分でありたい。



新しい自分に対応した生き方を

そうやって無視していると不思議なことに忘れるもんで、最近何年かぶりに「そういえば厄年って何歳までだっけ」と思いだして調べて、抜けていることを知りました。病気もしたけれど、全体を通してみると大していつもと変わらない普通の日々だったなという感じです。運が良かったんでしょうが、ま、僕には厄は降りかかりませんでした。

ただ先にも述べたとおり、この3年間で確実に3つ歳は取ってます。40歳を過ぎた頃から意識して休息を取らないと筋肉疲労が回復しづらいというのを実感していますし、新しいことを学ぶのに時間が掛かるようにもなってます。今はまだ無いけれど、徐々に理解力が落ちたり判断力が鈍ったりもしていくんでしょう。大事なことは、それを受け入れた上で、どう生きていくかを模索していくこと。自分がやりたいことを常に考えながら、自分が出来ることを考え、社会と折り合いを付けながら生きていく。……そうですよね、先輩方。



ま、ぶっちゃけていえば、若かろうと歳取ろうと常に新しい自分がいることには変わりがないわけだから、そういった自分に常に対応しながら周りとの関係を構築していく、そういう考え方が年齢で変わることはないはずなんですけどね。「厄」という年代を通して見ると、それがはっきりわかる。そういう意味では「厄」自体は無視して過ごしたけれど、これから先意識することになるのかも知れません。生き方は変わりませんけどね。