僕が京都に住み続けている理由
大学で京都に来てからもう24年ぐらい。なぜ僕が京都から出ていかなかったかと言えば、京都の会社で働くことになってしまったから、それだけです。嫌いじゃ無いですよ、むしろ好きと言って良い、でもだからといって何十年もそこに留まるだけの理由があるかというとそうでもない。正直に言えば、サラリーマン時代に働いていた会社の拠点は京都と東京にあったから、「東京に行きたいです」って言えば行けるタイミングはあったと思うんですよね。もしそう言っていたら僕は今頃下北沢の路地に詳しい男になっていたかも知れない。当時何度かした転職活動でも転職先が東京というシチュエーションも何度かあったし、それが上手く行っていたら東京に住んでいたかも。でも自分の意思で東京に行こうと思ったことは無かったし、今も思わない。経験として東京に何ヶ月か住んでみたいと思うことはあるけれど。
結局、京都から離れる理由が特にでてこなかったのでずっといる。サラリーマンを辞めたときにも京都から離れるチャンスがあったのかも知れないけれど、その時は既に彼女と同居していたし、僕が京都から離れることはイコール遠距離か彼女が安定した仕事を辞めるかのどちらかを選ぶことになるし、そもそも精神的に参っていてそうしたことを考える余裕はなかった。考えてみても良かったのになあ。
京都を離れてもいいのでは
でもじゃあ京都に住むのが好きで今後もずっと住み続けていたいのか?といわれるとそうでもない。むしろそろそろ理由なく京都を離れたって良いとさえ思っています。東京に行く気はないけれど、縁も縁もないとこに急に移住するとかね。東京や大阪などの大都市以外で卒業生が既に住んでいる土地にわざわざ行くのはなんか気まずいんで(横浜とか千葉とか埼玉とか)それは避けて、地元に帰るのも嫌なのでそれも止めて、そうだなあ例えば徳島とか。和歌山とか。宮崎とか。名古屋好きだし意味もなく名古屋に移住とかでも良いなあ。25年振りに住んでみるのも良いな。確実に不景気に向かうこのご時世で仕事があるかどうかわかんないけど。飲食の社員とかならあるかな?どうせ今だって十分薄給なので、多少キャリアを盛って履歴書書けばたいがいの飲食店には入り込めそうな気もする。それだったら沖縄にだって住めるかも(調べたら本土より1割ぐらい給料安かった)。
その時は来るか?
京都を離れて社会人として東京に行く若者達を見ていると、なんとなく自分についても考えてみたくなるんですよね。「仕事あるんだし、簡単に引っ越すって言うわけにはいかないよ」って思い込んでいるけれど、別にいいよね。子供がいて学校に通っているっていうわけでもないんだしさ、「来年から岡山に引っ越さない?」って言って本当に引っ越してしまっても、必要なのは決断だけで多分困らない。住むところを探したり仕事を探したりは大変だろうけど、そういう大変を楽しむための引っ越しでもあるし。本当には引っ越さないだろうなとは思っているけれど、こういうときに本当に引っ越してしまえる自分でも良いなとは思っています。「なんで?」と聞かれて「なんとなく住んでみたいと思ったから」で引っ越してしまえる自分に憧れる。この思いが実生活ににじみ出してくるようなときが、いずれ来るんだろうか。