……そういうことはわかってはいるんですけど、人間というのは本当に勝手なもので、そう上手くはいかないんですよね。40代になった僕だって20代や30代には「劣化してんな」と思われてるだろうし、僕もやっぱり年配に対しては思ってます。もうちょっとなんとかなんねえか。
老化で失うもの
様々あるとは思いますが、仕事をする上で感じることは判断力や理解力、記憶力、思考の柔軟性、体力・身体能力。以前と同じノリで説明をしても理解までに時間が掛かったり、少し考えればわかることや10行上に書いてあることを質問してしまったり、事務作業に掛かる時間が何倍にもなったり、自分のやり方に固執するようになったり……念頭には複数の50代以上の男女があるんだけど、まあとにかく大変。場合によっては道徳観や倫理観まで失っている場合があって、なんでそれをOKだと思ったの?みたいなのをやらかしてる人も。もともとそういう人だったならわかるけど、周りに聞くと「昔はそうじゃなかった」「がっかりした」という声があったりして、比較的まともだった人が歳を取るにつれてまともじゃなくなっていくという事案もあります。なんでなんだろう。慣れ?人生だいたい見えるようになってきて、適当なことやっても帳尻合わせれば良いんだろみたいになるんだろうか。よくわからない。何を考えたら買い出しのついでにパチスロするとか出来るんだろうか。
僕もこうなるのかなあ
ミーティングなどでイラッとしながらどこかで「僕もいずれこうなっちまうのか」と思いながら見ているところがあります。上から目線だといえばそうなんだけど、憐れみ半分、不安半分。僕にどう思われているかを相手も感じるのか焦って先回りして理解出来てる風を醸し出したり、言われたことを「知ってる」「もう考えてた」と言ってみたり、なんとか能力が落ちていないことをアピールしようとするんだけどそれが逆に痛かったり。中年以上老年未満ってやっぱりそういう抗い方をしてしまうものなんだろうなあ。仮に自分の能力が劣化したとして、それを自分で受け入れるのはなかなか難しい。今までよりも話のペースを落として、理解出来なかった部分を適切に聞き返すようにしていけば、時間は掛かるけれど全体的なストレスは増えることなくミーティングは終わると思うんだけど、なかなかそんなことは。もう少し歳を取って老年にさしかかればそうなっていけるんだろうか。
そういえば「水曜どうでしょう」では
確かに歳を重ねることで変わることはあるかも知れない。「水曜どうでしょう」の嬉野・鈴井・藤村各氏のこの10年の変化(50代から60間近へ)と、大泉さん(現在40代後半にさしかかったところ)の反応を見ているとそんな感じはします。まだまだ若くて脂がのってる40代、老化に抗いながら生き方を模索する50代、悟りつつある60代みたいな。そうなのかもな。そういう意味では、老化とはいえ失うものばかりでは無いんだよな。手放して初めて得られるものもある。まあ、僕がそれを本当にわかるまでにはまだあと20年ぐらい掛かるとは思うんですけどね。人生、なげえなあ。