「子供がうるさい!」 高さ3メートルの防音壁、開園延期……保育園が嫌われる理由とは (1/4) – ITmedia ニュース
共働き家庭の増加とともに都心部などで保育園の新設が相次ぎ、近隣住民とトラブルになるケースが後を絶たない。「騒がしい」など従来の静かな環境を維持したい高齢者らの苦情を受けて開園を延期したり、「平穏な日常生活が侵害された」として、開園後に訴訟に発展したりするケースもある。「子供の声は騒音なのか」をめぐる議論は各地に広がり、波紋を呼んでいる。
子供の声が、音量的な意味でうるさいと思うのはよくわかります。うちも向かいに児童館があり、平日だと午後3時くらいから、夏休みや土曜日だと朝から子供たちが元気に広場で遊んでいます(日曜日は教会の日曜礼拝のためグラウンドが駐車場になるので子供たちはお休み)。一番人気のある遊びはドッジボールで、次が野球。20メートル四方の狭い広場ですが、みんな楽しそうに遊んでいます。
引っ越してきたときはその音量に驚き、うるさいなと思ったこともあったのですけど、結構すぐに慣れました。うるさいって思うよりも、楽しそうでいいなあと思う方が全然多い。仕事柄、昼に短い仮眠を取ることがあり、夏はエアコンを付けないので窓は開けっ放し、眠れないんじゃないかと思いましたけど、いや全然気にならない。今日もみんな楽しそうだなあと思いながら、普通に仮眠取ってます。
いや、「俺は気にならないぜ」「気になるやつがおかしい」って言いたいのではなくて、たぶん多くの人が僕みたいに大して気にしてない案件だと思うのですよね。学校なり公園なりの周りだったらどこでだってあることですから(しかも高齢者以外は日中家にいないし)。自分が子供のときだって、叫びながらサッカーとかしてましたしね。なので、文脈として、「子供の声」をうるさいと感じている人を「変わった人」として処理してしまいがちで、実際問題「どうしてうるさいと感じるのか」を考えられることは少なく、冒頭の記事のように騒音をカットして、問題を解決したようでその実「変わった人」を社会から隔離する感じで終わらせてしまってる気がします。
本当に音量的に騒々しいと思ってる人もいるんでしょうが、記事を読む限り、保育施設の設置や子供を預ける親などに大して心にいちもつ感じることがあり、その感情の発露として保育施設の反対というアクションに繋がってるように見えます。例えば公園を潰して保育施設を作った東京都のやり方が気に入らないから、保育施設に抗議するという感じの。そういう「そもそもの原因」もきちんと解決しないと、こういう子供に対する八つ当たりも減らないだろうし、子供を守るためということであれば、そういうこともしないといけないよなあ。
「子どもの声を嫌う人」と折り合う道はあるか | トレンド | 東洋経済オンライン | 新世代リーダーのためのビジネスサイト
「児童福祉法」には「健やかに成長するという子どもの権利」が規定されており、「子ども・子育て支援法」も「ひとりひとりの子どもが健やかに成長することができる社会の実現」をうたっている。子どもが声を出す権利は法的に保障されているのだ。
こうした問題については、すでにドイツは2011年5月に「連邦環境汚染防止法」を改正し、保育施設や遊戯施設から発生する子どもの騒音についての損害賠償請求を禁止した。それに先立って2010年2月には「ベルリン州環境侵害防止法」が改正され、子どもが発する音は成長の表現として保護すべきものであり、社会的相当性があるため受忍の限度内であることを明らかにした。「子どもの声」のみならず、それに付属して発生する音についても保護の対象としたのだ。
少子高齢化問題を抱える先進国では、子育て環境の整備は重要な政策課題になっている。とりわけ8672人もの待機児童を抱える東京都にとって乳幼児を受け入れる施設の増設は喫緊の課題であるが、それには近隣の住民の反対にあうことも少なくない。
ドイツも同じ悩みを抱えていた。子どもが発する騒音を理由に訴訟が相次ぎ、ハンブルグ市では住居地区にあった幼稚園が閉鎖に追い込まれたこともあった。そこでさらに踏み込んで「子どもの声」を「特権化」したわけだ。
こうやって規定して、上から押しつけるのが良いのかどうか議論の余地はあるでしょうけれど、まず「子供の声は保護すべきものなのだ」という基礎を固めた上で、その上で、周囲の人に協力を求め、改善を求める人に対しては「子供の声は制限しない」という原則に従いつつ個別に真摯に対応していくというのがいいのかなと。周囲に配慮して声を潜めて遊ぶ子供なんて、見たくないもんなあ。