瓦礫受け入れ問題については、「(放射性物質を含む)被災地の瓦礫」の括弧の部分を、付けたり外したりする人ばっかりなので、「なんとか派」と自称、他称している人はみんな信用しないことにしてる
— いず ○_○|||さん (@nobodyplace) 3月 14, 2012
何派であろうと「被災地の瓦礫を受け入れるべき」という認識は同じで、問題は受け入れ基準なんじゃないのかな。だから反対だの賛成だのと呼称してる時点で論点はずれてるし、ずれてないつもりの人でも議論重ねると極論に走りがち。そういうのを賛成反対でざっくりまとめようとする人は信用できない。
— いず ○_○|||さん (@nobodyplace) 3月 14, 2012
ツイートでは表現しきれなかったけど、この件に噛んでいる人の意見でもの凄く信用できないと思う点は、被災者のことを考えるべき場面では「放射性物質」の部分を付けてコメントをし、自分のことを考えるときは「放射性物質」の部分を外してコメントする人が多いことです。本心では基準値とかどうとかじゃなく放射能汚染の可能性がある被災地の瓦礫はすべて受け入れたくないと思っているのに、人道的には被災地の瓦礫は受け入れなくちゃいけないよねみたいにコメントをする。そういう、なんだか二枚舌になってる人たち。
「被災地の瓦礫を受け入れる」と総称した場合、そこに「賛成」以外の意見が成立しうるんですか?そのことに対して「反対」は成立し得ないんじゃないですか?
僕は放射性物質が基準値以下なら受け入れて良いと思います。被災地と一言に言っても原発にほど近い地域から遠く離れた地域まであるわけですから、安全だと思われる地域の瓦礫は一刻も早く受け入れてあげるべきです。ただ、その基準値の選定基準や測定方法が曖昧であれば、受け入れることは出来ません。被災地の瓦礫には賛成だけど、放射能に汚染されている地域についてはごめんねと。論点は受け入れ基準をどこに設定するかの話であって、受け入れるか受け入れないかの話ではないはずなんですよ。
もちろん、わかっている人はきちんとわかっています。でも「放射性物質に汚染された被災地の瓦礫を受け入れる」という問題を「被災地の瓦礫を受け入れる」と略して主張する人がいるために、問題をきちんと捉えられなくなっている人もいます。例えば岩手県の汚染レベルが極端に低い瓦礫を受け入れない理由は何なんですか?「低いのとゼロとは違う」という考え方の人もいますが…日本国内に、今現在ゼロである地域ってどれくらいあるんですかね?
震災がれきの受け入れに賛成する|河野太郎公式ブログ ごまめの歯ぎしり
自分の地域のごみが健康に影響を与えないように取り組んでいく過程で、同レベルの被災地の瓦礫を受け入れるというのは、とても合理的な話のように思います。
不安なのはわかりますけど「絆」ってのはそういうことじゃないんですか。悪影響が出ない程度に放射性物質を受け入れるというのが、被災地支援だと僕は思いますよ。被災地の瓦礫受け入れには「賛成」だが無条件に受け入れるのは無理、というのが論理的に正しい立場であって、「被災地の瓦礫受け入れ」そのものに対して賛成とか反対とかいうのはおかしいでしょう。そうやって論点を曖昧にしたままざっくりと「賛成派」「反対派」と名乗って行動する人を僕は信用出来ません。
(2012/03/17 後半の論旨が荒れていたので一部書き直し)