食の安全と環境−「気分のエコ」にはだまされない (シリーズ 地球と人間の環境を考える11) 松永 和紀 日本評論社 2010-04-20 売り上げランキング : 57969 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
本書は、これまで無条件で「正しい」とみなされてきた事象(「地産地消」「無農薬栽培」「有機農業」など)や、同じく無条件で「間違っている」とみなされてきた事象(「化学肥料」「農薬」「遺伝子組み換え技術」など)について、実際のデータを上げながら再検討を行い、必ずしも一般の印象が正しいとは言えないということを示した本である。内容は当然のことながら主観と客観が一定の割合でブレンドされているため、完全に信用して良いとまで言えないものの、自分がなんの検討もなく受け入れていた「正しさ」を見直すきっかけとしては非常に役に立つ良書だと思う。
本書で扱う領域は非常に多岐にわたるため、それについて一貫した感想を書くのは難しいのだけど、著者が本書で何を伝えようとしてるかは序章である「地産地消は環境にやさしくない?」にまとめられているのでそこから引用したい。
輸送といっても、大量の化石燃料を消費する航空機で運ぶのと、燃料効率の良い大型船で時間を掛けて輸送するのとでは、環境負荷の大きさは全く異なる。山縣記念財団のウェブサイトによれば、一トンの貨物を一キロメートル運ぶために必要なエネルギーは、航空五二九一キロカロリー、トラック六九九キロカロリー、鉄道一一六キロカロリー、内航貨物船六七キロカロリー、外港コンテナ船二三キロカロリー。温室効果ガスである二酸化炭素(CO2)の排出量も、この順に少なくなる。
北海道産小麦から作られた食パンと北米産小麦の食パンの環境影響について、パン製造販売の最大手、山崎製パンの社員が独立行政法人産業技術総合研究所などと共同で調査研究を行い、〇六年の日本LCA学会食品研究会で発表した。
(中略)
結果は意外なものだった。食パン一斤あたりの原料小麦のCO2排出量は北米産小麦が一〇二グラム、国産小麦が一〇三グラムで違いがなかったのだ。
雨よけ栽培で地産地消の場合(小型トラックで五〇kmを運ぶ)と雨よけ栽培で移出の場合(大型トラックで三〇〇kmを運び、さらに小型トラックで二五kmを運ぶ)、温室栽培で地産地消の場合、温室栽培で移出の場合の四通りについて、小麦の研究と同じようにCO2の排出量を調べた。印象とデータが示す実際とが以下にかけ離れているかわかると思う。地産地消のためにと思って南国植物を温室栽培すると、南国から輸送する場合に比べて遙かに環境に悪い。でもそのことは、「地産地消」というマジックワードで見えなくなってしまう。
(中略)
輸送距離の違いはCO2排出量の大きな差にはつながっていない。それよりも、温室栽培によるCO2排出量がはるかに多かった
著者の「地産地消」に対するスタンスはこうだ。
私は、フード・マイレージの意義や地産地消運動を否定するわけではない。これらは、自分たちの食事がいかに海外に支えられているか、気付いていない多くの人たちの関心を集めるのには役立つだろう。地元の食品に関心を持ってもらおうという運動は、消費者の農業や食品製造への興味を促し、生産振興にもつながるはずだ。食文化の伝承という点でも価値がある。
(中略)
一方で、環境影響や「食の安全」に関しては判断が難しい。今後もさまざまな品目での詳細な検討が必要だ。少なくとも、フード・マイレージという指標で、環境影響や食の安全について善し悪しを語ることはできない。「国産だから、安全で環境によい」とウソを伝えて消費を喚起するのはやめるべきだ。
「安全ではないかもしれません。環境によくない場合もあります。しかし、国産を消費することは、生産者を勇気づけ、食料生産を続けていこうというやる気をもたらします。その元気を基に、国産の品質や安全性をより高め、環境負荷をなるべく小さくする方法を見つけてもらい、前進しようではありませんか」と本当のことを言うべきではないか。
いい加減、農家も消費者も、美辞麗句が経済的事由に基づいて構成されている可能性について、検討を始めても良い頃だ。今までの常識を破壊するとか言う単純思考ではなくて、正しい評価とはどう下すべきなのか?と言う点について、僕らはあまりに情報弱者過ぎる。地震被害のあった国に千羽鶴を送る活動があって、そのあまりの自己満足ぶりが嘲笑の的になったけれど、検討無しの「何となくよさげ」という環境判断は千羽鶴の行為を笑えない。結局、何となく良さそうだからという理由で選択していないか?
率直に言って、「残留農薬が基準値を下回っていれば健康に害はない」「遺伝子組み換え作物の安全性は確認できている」といった話は、例えそれが資料に裏付けられた事実であったとしても容易には受け入れがたい。何らかのPRなんじゃないかと疑ってしまう。それは心情的な問題なので仕方がないとは思うけれど、それでもそれがただ心情の問題で現実は異なる可能性があるということを知っておくだけで、事実に対する認識は随分変わるような気がする。
そういう意味で、イギリスのDEFRA大臣だったデービッド・ミリバン氏の次の発言は極めて正しいと感じる。
有機食品が通常の食品よりも健康によいという証拠はない。ライフスタイルによって何を選ぶかという問題
証拠がないというだけで実際どうかまでは解らない。解らないけれどもはっきりしない以上、大上段に構えるのではなく、「自分はこれが好きなんだ」程度でとどめておくのが適当なのではないのか。。。
本書を読んで、そんなことを考えさせられた。