ミニブログとしてのSBM / フォークソノミーとタグ

僕ははてなブックマークを、備忘録とミニブログ半々くらいの立ち位置で利用しています。

ただ、「ミニブログ」と言う視点についてこんな記事を見掛けて、
確かになーと思ったので、自分でどう解決しているか(心の中でどう決着付けてるか)を、
何となく書いてみます。

「SBS=ミニブログ」という視点から見えてくる、ブクマに足りないもの – 焚書官の日常 (cached)
ここに、SBSが「ミニブログ」である、という視点から、補助線を引く。その日考えたこと、目にとまったものをブックマークしていくわけだから、ミニブログと言ってしまっても問題なさそうに思える。


上記引用に続いてid:mutronixさんのあげる『ミニブログとしてのSBM』の問題点はこうだ。

すると、さきほどの二重ブクマ問題は、私の物忘れを云々する話ではないような気がしてくる。ブックマーク側の仕様が不十分なだけではないのだろうか。

具体的には、こういうことだ。

ミニブログなのに、なんで一つのURIに対するクリップが、一回しか出来ないんだ? 過去にブックマークしてようがなんだろうが、今おれが興味を持ったってことを控えておきたいのに。

ブックマークというのはURIに1:1で結びついていることになっているけど、私が書き留めたいのは、URIではなく「自分の関心」なのだ。「関心」は、私の中に繰り返し表れる。つまり、「関心」とURIは1:Nの関係にある。

確かに…全くその通り。
そう考えると、やはりSBMはあくまでブックマークであって、
それをミニブログ的に利用しているだけだっていうね。
利用者がそう利用しているだけで、もの自体がそう設計されているわけじゃあない。多分。


指摘されているとおり、あるサイトに対するその時々の感情ってのは…記録できない。
ただ、URIが記録できるだけ。

んでも僕自身がなぜだかそのことにあんまり不満を感じないなと思って、
よくよく考えてみたらば、1日1回ブログにまとめてるからなんだと思い当たった。
ミニブログをブログにまとめ直すとかどんだけ無駄なんだよwとか思うけど、
要するに(システムではなく)僕の精神的な部分では、まとめることでコピーを生成しているんだと。

だから、もしあるURIに対する自分の関心が変化したのであれば、
それをブックマークし直したらいい(面倒だけど)。
それによって、重複はするけど再度コピーを生成する機会を得る、と。

実際にそれを良くやってるかって言うと、1回もやったことないけど(苦笑)、
それが出来るんじゃね?と思うことが精神的な余裕になってるのかもなーとか。
(もちろん見返さないURIが圧倒的に多いというのも理由だろうけどね)

そんで逆に、はてなブックマークで中途半端なミニブログ的利用をしちゃってるから、
他のミニブログに手を出す気が起きないってのもあるだろうね。
tumblrとかちゃんと使えば便利なんだろうけど、
やっぱ色んな所に自分の書いたものがばらけるのが嫌なのかな。





元のid:mutronixさんのエントリはその後まとめとして、

はてなブックマークで、フォークソノミーは死んだ。

というところに辿り着いているのだけど、まぁねぇ。そうかもしんない。
制限無しにタグを付けまくると役に立たなくなる…というか、
タグってそもそも役立てようと思って付けないと役に立たないよね、っていう。

ああ、役立つって言うのは、共通理解を得やすいタグによって、
情報を分類し共有する手助けとなる…みたいなことね。
自分の知りたいことを、タグ検索でスムースに得られるみたいな感じ。




で、ニコニコ動画なわけですよ。
役に立たないタグと言えばね。

もちろん、きちんと言えば、アレは完全にフォークソノミーだとは言えないけどね。
タグの数に上限があるし、利用者とタグが結びついていないし。
ただまぁ、利用者が自由に付けることが出来、分類できるという意味では、
フォークソノミー的側面を持ってる。


ニコニコ動画でタグがどう利用されているかというと、
感想欄というか簡単なまとめ欄。
5分の動画なら5分の中で最も印象的なシーン(ないしは全体の印象)を、
1単語ないしは10文字程度のセンテンスで表現するって言う。

例)[字幕MAD] エロ本が見つかっちゃったよ…
  • 熱く討論をしまくりシリーズ
  • オナニーは別棒

もちろん『音楽』とか『歌ってみた』とか『VOCALOID殿堂入り』とか、
役に立つものもあるけど、比率から言えば1対4くらいで感想の方が多い。


でまぁ、タグなんて検索に利用するんじゃなく見るものだよねとか思うんだけど、
これがしかし意外に役立つこともあって驚く。
1人が付けた『個人的な関心に基づくタグ』が、そのまま定着し共有されることがある。
例えば…『作者は病気シリーズ』とか(笑)

そうなってくると、役立たずだったタグが俄然存在感を増してくる。タグの復権。
今まで邪魔だったのに、そのタグである程度の情報がまとめられていると分かるやいなや、
急に『個人的な感想』から、分類的な意味合いでの『タグ』に変化するっていうか。
誰が認めたとかではないんだけど、なんかそういうカオスな土壌から、
定番になる分類名が生まれる…そんなことがよく起こる。殆どはカオスのままの中からポコッと。

こういうのははてなブックマークにもあって、
何でこれがこう付けられてるかは分からんけど、こういうときはこれだっていう分類名。
元が個人的な感想だからか、これが共有されると結構役に立つ。

そういう分類名を生み出すには、カオスな土壌はどうしたって必要だし、
カオスなままじゃ役に立たないから、それと定型的なタグ(ニコニコ動画で言えばカテゴリタグとか)との
バランスの良い共存が必要になってくる。
そのバランスら辺は…動画(またはURI)の内容によって違うけど、
利用者があれこれ勝手に揉んでる中で醸成されてくるかな(議論であったり実力行使だったりするけど)



しかしまぁね………こうして生まれた分類名は、
言わば知ってる人しか知らない隠語だからね。直感的じゃない。
いや、タグ作った人の直感的すぎて、それ以外の人は直感で理解できない。
それじゃあ情報共有としては広まりにくいよね…っていう。

何かを探したいと思うとき、まずそれを分類するタグの勉強から入らないといけない。
そんなの、検索じゃないよね。図書館で本を探すのであればそれはデフォルトだけどさ。
まずタグを検索してから情報を検索する。
あーそういう意味で、『ニコニコ大百科』はかなり良い位置づけかも。



ニコニコ動画とはてなブックマークのタグの共通点を見ていくと、
フォークソノミーというのは最終的にはタグの暴走によって崩壊する運命にある…けれども、
そのまま滅亡するかというとそうでもなくて、
カオスな層と有用な層とに一定比率で分かれて、運用されていくものなのかなと。

利用者を広げれば広げるほど、完全な形でのタグの存在は諦めざるを得ないし、
ある程度以上カオスになるけれども、決して無用のブツになるばかりでもないよと。
問題はタギングではなく、タグの分類とかになってくるんじゃないの…
…と書こうとしたけどそれは何かもうトートロジーぽいな…うーん。





あと思ったけど、はてなブックマークとはてなスターとを絡めて運用できないかなとか。
その双方を評価して重み付けして、順に並べるとか。
スターは連打できるんでアレではあるけど、関心のタイミングで何度も押せる。
そうすると、瞬間的な評価の高いものばかりが並ぶんじゃなくて、
持久力の高いものも上位に来るんじゃないかとか。

タグは、その際のとっかかりとして使うって感じで。
(はてなスターは拍手とは違うけど良くも悪くも注目度という意味合いで解釈)