山田玲司 × ほぼ日

ほぼ日刊イトイ新聞 – 山田玲司が語る、永田照喜治。

『永田農法』で有名になった、永田照喜治さんについて、
山田怜司さんが、ほぼ日で語ってます。
例によって、脱線して、『山田怜司のインタビュー』になりかけて、
また戻って、とかしてますが、
まぁなんだろうな、興味深い。
もちろん、永田さんにも相当の興味があるけれども、
山田さんにもかなりの興味がある僕としては、
(そして当然、ほぼ日、および糸井重里さんにも)
思うところのたくさんあるコラムになってます。

安易に抜粋したり、引用したり、理解ると言ってみたり、賛成したり、
そういうことをしたくはないのだけど、
最近ずっと考えていることがちらりと見えたので、
その辺を。

インタビュー自体は、それが主題でも何でもないし、
これから書くことはインタビューとは全く関係ないので、
誤解無きよう。


* * *



あの「やせがまんの美学」を
もっと大事にしたらいいと
ぼくはこのごろ、思うんですよ。(山田玲司)
む、やせがまんの美学。
あー、あれなんの落語だっけ?
身投げをしそうになってる人に、なけなしの50両を渡す、
それはその日自分の娘が、遊郭に自分を売って作ってくれた50両なんだけど、
それを、俺だって渡したくねぇ、だがてめぇが死ぬっていうから渡すんじゃねぇか、
くれてやらぁ、もってけ!

あーなんだっけ。

他の噺ではこれも困ってる人に金をやるって言う筋で、
困ってる人はどっかの若旦那かなんかで、
町人がこれもなけなしの金を、
さあ、もってけ!うけとらねぇか?もってけ!
といって投げつけて逃げちまうっていうのもあるな。

それで、後で家に帰ってから、後悔もするんだけど、
だけどくれてやった金だから、返してくれとは死んでも言わない、
噺なので、後日返しに来てくれて、めでたしめでたしになるんだけど、
そういう、やせ我慢とかっこつけの美学、ってのは、
僕は、もの凄くよく分かる。


「クレクレクレクレ、私を認めてクレ!」
という暮らしをしている人は、
まわりのエネルギーは吸うわ、
「どうせ私なんか」と言い出すわ、
タイヘンなんです。
これをどうにかする方法はないものか、と
ぼくはずっと考えていたんです。(山田玲司)
僕もこれをずっと考えてます。

こういう人に出会うと、自分以前はそういう人間だったのに、
(そしてもちろん自分の中の一部にはこういうところもあるのに)
僕は、何となく軽蔑してしまう部分があるんです。
いや、ていうか今の世の中、そんな人だらけなので、
軽蔑してたらきりがないんだけど、
例えばもの凄く近い人、
家族とか、恋人とか、友達とか、先輩・後輩とか、先生とか、
そういう中にこういうモノを見ると、
ああ、あんまり関わりたくないな、と思ってしまう。

要するに僕の対応策は、
『何とかする』ではなく、
『ただそこから逃げる、ひたすら逃げる』という手法な訳で、
もの凄く先のない対応策なんだけど、

ああ、一応、もの凄く大事な人の場合には、何とかしようとは試みました。
もちろん、言葉で。
あなたの何が良くなくて、それをどうしたらいいのか、
そういうことを、僕の好みではなく、
もっと一般化させて、言葉で伝えようとしました。

でもなぁ…できなかったんだよ。ホントに。
もっと明確な、モデルを提示してあげられれば良かったんだろうけど、
そんなことはどうでも良いから、褒めてくれ、と言われるとね、
コミュニケーションすらままならない状態に陥るわけです。
多分、僕が性急すぎたんだな。
相手を褒めて認めた上で、展開できれば良かったんだろうけど。
でも、その人を20年以上支えてきた環境を、
一部であっても否定する作業というのはなかなかできたもんじゃない。
気付いて、自分で変わってくれないと…

本人もキツイだろうけどね。
実は簡単なことなんだよね…人は人、自分は自分、と思うこと。
自分のために自分を生きれば良いだけなんだけど…
例え演技でも。
例え演技でも、そこから得るモノは確実にあると思うんだよね…

そういうんじゃない、そういうんじゃない。
言葉でいいんですよ。
「すごいね、かわいいね」
これだけでいいんです。
「愛情クレクレタコラ」の人は、それは言えない。
人をほめることができないんですよ。(山田玲司)
うん、そうそう。
頑張らなくたって良い。別に。
出来る範囲で。

みんながあまりに知ってそうな言葉だけどさ…
愛さないと愛されないわけですよ。実際。
それも、愛されるために愛すんじゃ意味がないわけですよ。
(この言葉、今、もの凄い無造作に使ってます)

認められたいけど、それは結果に付いてきたおまけで良いんだ、
そういう思想が、何をすべきかを見出させると思う。
ちょっと言い過ぎた。
そんなに大風呂敷広げずに、慎重に言うと、
余り多くを求めると、お腹空きますよ、ということだ。
人間は『お腹が空く』と、不安定になるから。

褒めるのを知らないのと、スパルタはまた違うんだよね…
褒めるのを知らないと、褒めないか、手放しで褒めるか、どちらかになってしまう。
この二つは、同じことであることがある。
一番良いのは、何が良くて、何が悪いか、
良いところは褒めて、悪いところは指摘してあげる、
そうなんだよね。



話が右往左往しすぎてるので、まとめると、

少し前、2年くらい前から、
『クレクレクレクレ、私を認めてクレ!』
と言う人たちと、どう付き合って言ったらいいか、考えてました。

僕自身がそういう神経が希薄だと言うこともあって、
相手の要求をバカにして、関係が悪くなったりするんだよね。
クレな人、本人は必死なんだけど、こっちが馬鹿にするもんだから、
感情的になってしまって。

今は…今でもちゃんと付き合えてるか自信がありませんが。
前よりは、さらりとかわすようには出来てるかなぁと。
逃げてるんじゃなくて、
『そこは気付いてね』
と、さりげに示すというか。
それでわからな人は、話通じないもんね。残念ながら。



さ、そういうわけで、
家庭農園でも始めてみるか!
(西向きの部屋でも出来るのかなぁ)