著者の山室寛之さんは元読売ジャイアンツ球団代表で任期は1998年から2001年。当時の僕はまだジャイアンツファンだったこともあり(今は「どちらかというとソフトバンク」くらいの割とフラットな感じ)、「山室寛之」という名前をとても良く覚えています。その一方で、読売ジャイアンツの「球団代表」という職は基本的に読売新聞社の1ポストであって、そのポストに座る人は野球にはなんの関心もないただの飾りだろうと考えていたので、本書を読んでとても驚きました。山室さんにとってプロ野球が、その歴史を記録していくことがライフワークであり、野球というスポーツに深い愛を感じてらっしゃるとは。本当に申し訳ありませんでした。
本書を買った理由はとても単純で、Number誌の書評コーナーで紹介されていたから。
Webでもこちらから読むことが出来ます。
元巨人球団代表が描いた、プロ野球の大動乱時代。~著者が語る『プロ野球復興史』~(1/2) – Number Web : ナンバー
巨人軍の元球団代表が本を出した。ただし、書き手は「あの人」ではないし、「告発本」や「暴露本」でもない。
『プロ野球復興史――マッカーサーから長嶋4三振まで』。著者は山室寛之氏。1964年、読売新聞社に入社。社会部長、西部本社編集局長などを歴任し、’98年から2001年まで巨人軍球団代表として長嶋政権を支えた。
本書は、同氏が社長・会長を務めた読売ゴルフを退社した後の’10年に上梓した『野球と戦争――日本野球受難小史』の姉妹編にあたり、敗戦直後から2リーグ制確立に至るまで、奇跡的な復興を遂げたプロ野球の動乱期が、数多くの資料と証言をもとに丹念に描かれている。この2冊の本を執筆したきっかけを山室氏が語る。
「僕は九州の野球少年で、学生時代から野球の歴史を調べてみたいと思っていました。読売新聞に入ってからは、東京本社社会部の警視庁担当時代に起きた『黒い霧事件』(’69年)を取材した際など、様々な折に、鈴木惣太郎さんや鈴木龍二さん、小西得郎さんをはじめずいぶん多くの野球人から、昔の野球の話を聞くことができた。また、好む好まざるにかかわらず巨人軍代表になってからも、いろんな方にお話を伺いました。大げさに言えば40年以上、恐らく300人以上の方にコツコツ取材してきた材料があり、いつかは書きたいと思っていたんです」
アメリカにおける野球というスポーツの成り立ちについては、前回、佐山和夫の著作「古式野球―大リーグへの反論」で学びましたが、日本における野球の歴史というと実はとても曖昧にしか知識がありませんでした。祖父が旧制静岡中学野球部の捕手だったこともあって興味はあったのだけど、知っていたことは戦前戦後の名選手の名前と、その頃はプロ野球よりもむしろ大学野球の方が人気があったこと…くらい。社会情勢や野球の変遷については全く知らず。
沸騰する大学野球、中学野球(現在の高校野球)、それらを利用したい後に制限したい軍部、軍部におもねって反野球キャンペーンを張った朝日新聞社(どの面下げて夏の甲子園を主催しているのか…)、軍部の圧力による中等学校野球部解散と甲子園中止、野球の禁止。僕はてっきり、戦争による空襲などの影響が大きくなって野球の実施が困難になったのだと思っていたのですが、軍部と軍部に従う野球人によって野球を禁止する動きになっていたとは思いもしませんでした。そこまで「アメリカから入ってきた」ことを気にするかということと、それだけ野球の社会に対する影響度が高かったのかと言うことと、二重の驚き。
本書は野球の勃興と、第二次世界大戦によるまさに文化レベルでの中断、それから終戦直後の高校野球、大学野球、プロ野球それぞれの苦闘を描くところまでが描写されています。それ以降は続刊「プロ野球復興史」に譲ることになるのですが(現在、読んでいるところです)、恐らくこれ以上にきっちりと時間軸を追って戦前戦後の野球を記述した著作はないだろうという意味で、とても貴重な資料であると共に、読んでいてとても楽しい1冊でした。
山室寛之さんのライフワークは、これからも楽しみに待っていたいと思います。