VOCALOIDの新曲をチェックしていたらちょっと好みの音があったので繰り返し聞いてました。




一通り満足して投稿者コメントを読んでみたら、おや?

初音ミク - inverse / U-ske ‐ ニコニコ動画(原宿)

昨年はお騒がせしてごめんなさい。お久しぶりのU-skeです。
【お知らせとお詫び】http://hat.lix.jp/120330.txt



何かあったんでしょうか。
「お知らせとお詫び」に含まれていたTogetterのまとめを読んで、何となく把握しました。

ボカロ風の「音楽性の違いにより解散しました」から見る作り手と聞き手の間のギャップ - Togetter

誤解があったら申し訳ないけどざっくりまとめるとこんな感じ?

  1. ボーカロイド曲を作成し投稿している人たちの中に好きではない姿勢の人間を見つける
  2. その人たちと同じに分類されるのが苦痛になる
  3. 引退を決意し楽曲をすべて削除する
  4. 引退にあたりボーカロイド曲を作成し投稿している人へ全体に対して批難を行った(少なくともそう読めた)
  5. 批難に対してクレームがあり議論に発展
  6. 売り言葉に買い言葉


本当は細かい心情の動きやこだわりもあるとは思うのですけど、客観的に見てこの話には2つしか論点がありません。すなわち、

  1. 作り手が自分の都合で作品を非公開にすることは是か非か
  2. 一部の不適切な構成員を例として集団全体を批難することは是か非か

です。


これらに対する僕の個人的な意見は、

  1. 作り手が自分の作品を非公開にするのは自由だよね
  2. 一部の構成員の行いを根拠に集団全体を批難するのは、あまり礼儀が良いとは言えないね

といったところでしょうか。

U-skeさんはそのあたりきちんと分けてらっしゃる気もしますが、他の方のコメントをみるとあんまりその辺把握出来ていない人も多いようなので。



作り手が自分の都合で作品を非公開にすること

作品の公開/非公開については、聞き手とかファンとかそういうことじゃなく「作った人間以外の人間」が口を挟むようなことでは無いと思うんですよね。例えばこのブログだったら、このブログを閉鎖し非公開にする権利は僕にだけ許された権利であり、仮に僕がこのブログを閉鎖して誰かがそれを残念に思ったとしても、それで閉鎖を咎めたり再公開を強要したりするのは違うと思うのですよ。それは申し訳ないけど知ったことではないです。陶芸家が「失敗だ」と思った作品を割ってしまうことと同じ。そこに「作った人間以外の人間」の意志は入り込めないでしょう。

U-skeさんの場合は心根が優しいのか言いたいことがあったせいなのか「なぜ削除するのか」について言及してしまった。それがたまたま言葉足らずだった(2のような言い回しだった)せいで感情的になる人が出てきてしまった。自分が愛するものを納得できない理由で批難されれば、それはカチンと来ますよ。僕は削除する理由の説明なんてする必要は無かったと思うんですよね。モチベーションの対象が移動したのであれば、わかむらPみたいにあっさり削除して新天地へ飛び立てば良いと思うのです。



一部の構成員の行いを根拠に集団全体を批難する

多分に「売り言葉に買い言葉」なところがあったとは思いますが、まぁあんまり行儀の良い考え方ではないですね。穏やかでない例示をするなら、中国マフィアの存在を理由に中国人の入国を禁止したり、福島県出身という理由で入居を拒否したりすることと同じです。レッテル貼りと乱暴な批判。別に俺の自由だろっていえばそうですけど、しかしそれはU-skeさん自身が「聞き手」にされていると感じていたことと同じなんです。つまりVOCALOIDの楽曲だけを見て「U-ske=ボカロP」とすること。本当は「U-ske⊇ボカロP」なのに。それでいいのかなと。

そのあたりの「自問」の結果が、

以降たくさんの人たちとお話させていただいた中で改めて考えると、
このとき抱いた嫌悪感に対してVOCALOIDというキャラクター・ムーブメントに息巻くのは筋違いで
全て僕に非があります。批判も当然と考えています。

という部分に当たるのでしょうね。自問の結果がどんな形で引退撤回に結び付いているのか僕には解りませんが、U-skeさんの中ではそのことが何か「氷解」の一因になったのだろうなぁと想像します。



あいつと同じ部屋にはいたくない

とはいえ。

「あいつと同じ部屋にはいたくない」という感情自体はとても理解できます。


部屋にいる人間すべてや部屋そのものを批判してしまったが為に無用な反感を買ったのですが、理屈じゃなく「もう無理」というのはありますよ。僕だって経験あります。それで部屋を出ちゃうなんて事はもう普通によくあります。ブログ書いててもあるしDJやっててもあるしまぁいろいろそう言うのはありますよ。

ナイーブだなぁとは思いますが、そういうナイーブさが作品に影響を与えると言うことはあると思います。理屈として「どうあるべき」というのはあったとしても、自分がやりたいのはこういう方向性なんだという感覚。それを優先する。作り手としてはそういうナイーブなところはあっても良いと思います。


ただ…「部屋」をどう捉えるかについては考えるところがあっても良いかもしれません。どの辺までを「部屋」と認識するかはそれぞれの意識に委ねられていると思います。広く取れば人間とか日本人とかの話になってきますし、そこから作曲者、VOCALOIDに携わる人、VOCALOIDを使って曲を発表する人…などと狭めていくことができますが、どれを捉えるかは個人次第かと。感情を裏切るのは難しいですが、自分のやりたいこととのバランスを考えて創作活動にとっておよそ本質的で無い「他人がいるかどうか」という点については上手く妥協点を見つけていくのが良かろうかと思います。

あ、「良い」というのは道義的とか倫理的とか人としてとかそういう意味じゃ無くて、精神安定的な意味で。しんどくないよ、という意味で。



こういうことを言って「大人だなぁ」と言われることがたまにありますが、別に大人なんじゃないんですよ。自分がやりたいことをやりたいんです。場所を変えてやりたいことを止めてしまうのは、僕の中ではやりたいことをやることにはならないと言うだけなんです。やりたいことのためには、それ以外のことは妥協でも何でもしますよ。何かを好きになる、何かに一生懸命になるってのはそういうことだと思います。